平成三十年十二月二十二日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

 『釈摩訶衍論』の遼代における流通

  ―房山石経の記述と周辺事情―

関 悠倫 客員研究員

 〔発表要旨〕本発表は『釈摩訶衍論』(以下『釈論』)の遼代における流通と題し、房山石経の記述と周辺事情(遼代の公文書等)を精査しながら、後に述べるように『釈論』に関する典籍(末釈や引用文献)が中国圏内に集中していることから、改めて同論が中国で成立した可能性があることを指摘したものである。この方法は従来ほとんど試みられてこなかった。 そして、後代において高麗の義天が、経録の製作や大蔵経(『高麗大蔵経』)を開版するにあたり、取り入れたことを確認できた。従来、朝鮮半島成立の根拠とされてきた、『釈論』が元暁の著作を依用していたとする指摘については、『釈論』作者以前に存在した論師(中国)たちも、彼の著作を参照していることが確認できる。したがって『釈論』の作者が中国にいたとしても彼の著作を参照する環境にあった可能性は高いといよう。

 日本では出自が不明な典籍であり、後代においてどのように取り扱われてきたのか検討されないまま、独特な思想をとく偽書として処理されてきたが実際のところ、そうではないことが指摘できる。

 加えて、『釈論』が遼代の仏教(密教)思想の中に大いに取り入れられていたとする従来説を踏まえながら考察を進めた。それにより、『釈論』が遼の皇帝の意向のもと同論の末釈が製作され、さらに『大日経義釈演密鈔』や『顕密円通成仏心要集』といった密教の典籍理解まで広く受容されていることを突き止めた。すなわち遼仏教の思想は、『釈論』の特性(同論の作者とされる独特な龍樹観や三十三法門といった思想)を色濃く反映させたことによって成し得た事績と評価できるだろう。これまで検討してきた、『釈論』が中国国内で成立したことを強化する点である。

 作者については、朝鮮半島出身あるいは中国出身者のいずれかと想定されるであろうが、本研究において明らかになったように、典籍の流通が大陸間でなされていることからも、現段階では東アジア圏内の人物であり、且つ朝鮮半島と中国の仏教事情を知り得る人物であるとしか言えない(少なくとも朝鮮半島出身者に限定はできないだろう)。今後の課題としたい。

 最後に、本研究において『釈論』の依用・影響を受けた典籍や思想については、関係があると指摘したのみで詳しく考察を加えられなかった。その点についても、今後探求し徐々に明らかにしていきたい。


平成三十年十二月二十二日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

  インドネシア、バリ島のヒンドゥー教における「シヴァ=ブッダ」の観念の表出

  ―ヒンドゥー寺院や儀礼における仏教的要素を中心として―

山口 しのぶ 研究員

 〔発表要旨〕本発表においては、インドネシアのバリ島で信仰されているバリ・ヒンドゥー教において重要とされる「シヴァ=ブッダ」の観念について、その起源およびバリ・ヒンドゥー寺院や儀礼の中でこの観念がどのように表れるかに関して述べた。人口の九割以上がイスラーム教徒のインドネシアにおいて、バリ島では例外的に人口の九割がヒンドゥー教徒であり、彼らの信仰する宗教は「バリ・ヒンドゥー教」と呼ばれる。バリ・ヒンドゥー教においては「シヴァ= ブッダ」という、ヒンドゥー教のシヴァ神と仏教のブッダを同一視する観念が重要とされる。

 このシヴァ=ブッダの観念は、東ジャワにおいて紀元十三世紀から十六世紀にかけて存在したマジャパヒト王国で誕生した観念が、バリに伝播したものだとされる。十四世紀、マジャパヒト王国では『スタソーマ』『クンジャラカルナ』などの古ジャワ語による文学が作られ、それらの文献には「ブッダとシヴァの本質は一つである」または「私(ヴァイローチャナ)はブッダとシヴァの顕れである」という表現が見られる。これらの表現で示されるシヴァ=ブッダの観念は、マジャパヒト王国の人々がバリに移住して以降バリにも伝えられ、現代では一般のバリ・ヒンドゥー教徒にもよく知られる基本的な観念となった。シヴァ=ブッダの観念はヒンドゥー全般と仏教全般の結びつきというよりも、ヒンドゥー教シヴァ派と密教との結びつきを背景としている。

 バリ・ヒンドゥー教では基本的にはインドのヒンドゥー・パンテオンの神々が知られるが、ヒンドゥー寺院にはしばしば仏像や仏塔等の仏教的要素が見られる。例えばギャニャール県のプグリンガン寺院には、バリ・ヒンドゥーの最高神サン・ヒャン・ウィディ・ワサ像に加え仏塔があり、その龕には金剛界の仏たちが安置された痕跡がある。またサムアンティガ寺院の古い仏塔はśūnya (空)と呼ばれる。またシヴァ・リンガと菩薩像が一つの社に祀られる、あるいはシヴァ神の祠堂と仏塔が並んで置かれる寺院もある。さらにヒンドゥーでありながらブッダの教えをも奉ずる僧侶たちが行う儀礼においては、仏教(密教)系のマントラが唱えられ、仏像へ供物が捧げられる。このようなヒンドゥー寺院や儀礼における仏教的要素を、バリの人々はシヴァ=ブッダ観念の表出と考えている。またムスリムが圧倒的多数を占める現代のインドネシアにおいて、バリの人々はこのシヴァ=ブッダ観念を、バリ・ヒンドゥー教がジャワのヒンドゥーを継承するという自身の宗教文化の正当性の根拠として捉えているのではないかとも考えられる。