平成二十八年十二月二十四日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

 『学処集成』(Śikṣāsamuccaya )における受戒について

鈴木 伸幸 院生研究員

 〔発表要旨〕八世紀前半頃にインドのナーランダーで活躍したシャーンティデーヴァが著したと伝えられる『学処集成』(Śiks4 āsamuccaya,以下ŚS と表記する)は、後代のインド・チベットの仏教ではアサンガの『菩薩地』「戒品」などと並んで、大乗の受戒を説くテキストとして重視された。

 本発表ではŚS の「布施波羅蜜章」に説かれる制戒(samṃvara)の受戒の詳細を明らかにし、その受戒思想の特色を考察した。当該箇所の制戒の受戒の説明では、制戒を受ける資格、方法、目的の順番で制戒の受戒が解説されている。この文脈に沿いながらŚS に説かれる受戒の分析を行い、その全体像を明らかにした。

 ŚS における受戒法の説明では、菩薩が受けるべき戒として制戒が使用され、制戒を受ける菩薩の資格が解説されたうえで、従他受法と自誓受法の二種類の受戒法が説かれている。制戒を受ける資格については、大乗の教えに対する修習の度合いに視点が置かれ、菩薩の階位や、在家や出家、男性や女性などの違いは問題とされていない。受戒法については、どちらの受戒法をとるにしても、諸仏諸菩薩を証人として自力に応じた実践を自らよく考察して選択し、制戒を受けることが示されている。

 そして、制戒の受戒は、輪廻の続く限り衆生救済に勤しみ、やがて無上正等覚を獲得するために行うものであるので、制戒の受戒と菩薩の誓願には密接な関わりがある。そして受けるべき制戒はそれぞれの菩薩が大乗経典に説かれた学処を学ぶことで選択する。しかし、それには大きな困難があるため、ŚS の著者によって大乗の菩薩が受持すべき制戒をとりまとめた七要所(一切衆生のために、身体と享受物と三世において生み出す善性それぞれを、捨施し、守護し、浄化し、増大すること)が示されている。

 ŚS に説かれる受戒法の特徴は、制戒を受ける資格や、学ぶべき学処についての規定が緩やかであることである。このような説明方法は、比丘や比丘尼などの厳格な出家生活を送る者たちよりも、在家仏教徒や、一般民衆に法を説く法師(dharmabhānṇaka)などに歓迎されたのではないかと推測する。

平成二十八年十二月二十四日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

 二種の『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī について

園田 沙弥佳 院生研究員

 〔発表要旨〕初期密教経典に属する『大寒林陀羅尼』は、『大随求陀羅尼』Mahāpratisarā、『守護大千国土経』Mahāsāhasrapramardanī、『孔雀王呪経』Mahāmāyūrī、『大護明陀羅尼』Mahāmantrānusāriṇ īとともに、インドやチベット、ネパール等において一つのグループとしてまとめられ、「五護陀羅尼」(Pañcarakṣā)として扱われてきた。五護陀羅尼経典の一つである『大寒林陀羅尼』には二種類のバージョンが存在することが先行研究によって指摘されている。第一は、サンスクリット・テキスト、漢訳、およびチベット語訳が存在するもの(以下ŚV-A 本と称する)、第二はチベット語訳のみ存在するといわれるもの(以下ŚV-B 本と称する)である。今発表では二種の『大寒林陀羅尼』を比較検討し、問題点と内容構成の特色について述べた。

 先行研究によると、ŚV-A 本の成立に影響したとされる『檀特羅麻油述経』の翻訳年代からみて、ŚV-A 本の原典成立は四世紀まで遡ることができるという。一方、ŚV-B 本は八~九世紀前半頃にチベットで編纂された仏典目録『デンカルマ』『パンタンマ』等で「五大陀羅尼」(gzungs chen po lnga)に含まれていることから、九世紀にはチベットで知られていたと推測できる。

 二種の『大寒林陀羅尼』の内容は以下のとおりである。ŚV-A 本で鈴木 伸幸 院生研究員は、ラーフラが大寒林(屍林)において数々の障りを受けて苦しみ、世尊のもとを訪れて涙を流していた。世尊が理由を尋ねたところ、ラーフラ尊者はその胸中を打ち明ける。その為、世尊は諸々の障りを防ぎ、障りをなす者の頭が七つに割れる「大寒林」という名の陀羅尼をラーフラに授ける。それを聞いたラーフラ尊者やその場にいたものは歓喜した、という内容である。一方で、ŚV-B 本では大寒林における世尊と四天王の対話が説かれる。さらに、障りや災難と大寒林陀羅尼の効能、多くのヤクシャたちの恐ろしい姿や、世尊と四天王の陀羅尼呪、そして儀軌によって主に構成されている。ŚV-A本、B本両者とも『大寒林陀羅尼』とみなされているものの、その内容は大きく異なっている。少なくとも、分量の多いB本が広本、少ないA本がその略本という関係とはいえないだろう。

 以上のことから、おそらくインドではŚV-A 本、ŚV-B本の原型が存在し、そのうち、ŚV-A 本はネパールなどの写本や漢訳において『大寒林陀羅尼』として残されたが、チベットの『デンカルマ』等では五大陀羅尼のグループに入らず別名(『聖持大杖陀羅尼』)が与えられ、別個に大蔵経に入れられたと推測される。 前述した経題やチベット語訳等の問題点に関しては先行研究によって指摘されているものの、なぜ『大寒林陀羅尼』がこのように二つの系統に分かれて展開したのか、その背景については今後の考察の課題としたい。


平成二十八年十二月二十四日 東洋大学白山キャンパス 五一〇四教室

 大英図書館所蔵『八千頌般若経』チベット語写本に関する調査報告

石川 美惠 客員研究員

 〔発表要旨〕『般若経』は「大乗」という言葉を用いた最初の経典であり、その成立は大乗仏教の起源と密接に関わっている。最初期の紀元前後に成立したとされる『八千頌般若波羅密〔多〕』(Skt.Aṣṭasāhasrikā Prajñāpāramitā, Tib. 'Phags pa shes rab kyi pha rol tu phyin pa brgyad stong pa. 以下『八千頌』)には、ハリバドラ(9c 頃)による注釈書『現観荘厳論』の影響の有無から、新旧の二系統の存在が指摘されているほか、チベットの伝承では訳語の観点から、『八千頌』は三種存在したとされている。写本の系統の確定と訳語の異同調査は『八千頌』研究に豊富な史料を提供するが、いまだ未調査の写本も多く存在する。

 筆者は、本年九月に大英図書館(ロンドン)に赴き、絶滅のおそれのある古文書のデジタル・アーカイブズ・プログラム(Endangered ArchivesProgramme)の中から、ブータンの三寺院:ツァムダク(mTshams brag)、ネープク(gNas phug)、タダク(mTha'brag) 所蔵の『八千頌』の写本に関し、Asian & AfricanStudies のReading Room 内の専用ブラウザ(British Library Viewer ver.3)を用いて調査した。

 その結果、ネープク寺写本は奥書きを欠くが、第一章の章題と「三種の『八千頌』」を分類する訳語の観点から古系統に属すことが明らかとなった。訳語のヴァリアントは古系の中では比較的新しいとされるプダク写本および河口慧海将来蔵外写本に近い。ただ、ネープク寺写本は、判別基準とした語:Śreṇika に対して『翻訳名義大集』と同一の正字法に沿った訳語を用いるのに対し、プダク写本と前掲河口写本はそうではない。従って、古系の中でのネープク寺写本の位置付けは今後の更なる精査を俟ちたい。タダク寺写本とツァムダク寺写本は、奥書きの記述から新系統に属すことがわかった。タダク寺写本は大蔵経所収版成立(18 c)以前に、ツァムダク寺写本は以後の庚寅年に改訂・書写されたと推測出来る。もし、EAP 編纂者の前序の記述が正しければ、同写本にはツァムダク寺創立者のガワン・ドゥクパが関わっていることになるため、成立年は一七一〇年と考えられる。ただ、チベット(デルゲ)での大蔵経編纂の時期と重なるため、ガワン・ドゥクパの直接の関与はなかったものとみて一七七〇年以後の書写とするか、あるいはブータンにはまた別の『八千頌』が渡って行ったとみるか、これについては更なる検討が必要である。従って今回は、上記のような新古の位置づけを調査の成果としたい。また、ブータンの三写本の第一章に関しては校合の成果も合わせて、来年度に論文の発表を予定している。

 (本調査は、平成二十八年度 科学研究費助成事業 基盤研究(C)

「八千頌般若経のデータベース及び言語検索ツールの構築」(課題番号15K020 44、研究代表者 渡辺章悟)の研究成果の一部である。)