平成二十八年十月十五日 東洋大学白山キャンパス 第一会議室

 ヒンドゥー教の宇宙論

  ―『ラクシュミー・タントラ』第二章における最高神の顕現

三澤 祐嗣 奨励研究員

 〔発表要旨〕ヒンドゥー教において、ヴィシュヌを最高神として信奉するヴィシュヌ派の中でも、パーンチャラートラ派は最も早期に成立したものの一つである。現在は衰退したにもかかわらず、その教義は後代へ多大な影響を与えたとされる。この派の主要な文献の一つである『ラクシュミー・タントラ』(九~十二世紀頃)は、様々な思想を自由に取り入れ、折衷し、壮大な宇宙論を教示している。本発表では、『ラクシュミー・タントラ』第二章を取り上げ、最高神からの顕現を説いた創造説について検証した。

 ヒンドゥー教における最高神は世界を生み出すものであると同時に世界そのものであり、そこには自己と世界が密接に結びついた心身論と宇宙論が反映されている。『ラクシュミー・タントラ』において、創造の最初の段階では、自己の究極的な主体であるアートマンの最も純粋なものとして、至高のアートマンが説かれる。この至高のアートマンが自己を自己として認識すること、すなわち、わたしと想起することにより、ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)が生起する。そして、そのナーラーヤナから彼の神姫ラクシュミーが生起する。その二者は不可分の存在で、ナーラーヤナは「わたしという実在」であり、ラクシュミーは「わたし性」とされる。すなわち、実在と状態という、「わたし」の異なる側面を表しているのである。それは、全くの不活動であった至高のアートマンが自己性をもったアートマンへと展開したことを示している。

 このラクシュミー・ナーラーヤナはブラフマンとも呼ばれ、「知識」・「自在力」・「潜在力」・「力」・「勇猛さ」・「光輝」という六つの属性を有している。そして、それらの属性の配分によって、ヴァースデーヴァ、サンカルシャナ、プラディユムナ、アニルッダという四つの形態として顕現する。これがヴューハと呼ばれるパーンチャラートラ派の特徴的な創造説である。その中で、ヴァースデーヴァのみが全ての属性を有し、その他の三神は、サンカルシャナ:「知識」・「力」、プラディユムナ:「自在力」・「勇猛さ」、アニルッダ:「潜在力」・「光輝」、という組み合わせとなる。ヴューハ神の展開は、ヴァースデーヴァ→サンカルシャナ→プラディユムナ→アニルッダの順で、徐々に形相を有するようになる段階的な顕現であり、アートマンが覚醒に向かうことと結びつけられている。

 以上のように、パーンチャラートラ派の学説では、自己と世界創造を結びつけた宇宙論が展開するが、ここで取り上げたものは、最高神の顕現という清浄な創造であり、現実の世界が現れるにはさらに長く複雑な過程を辿る。それは、様々な説を折衷させた結果でもあり、そこにインド特有の思考方法の一端が見て取れる。


平成二十八年十月十五日 東洋大学白山キャンパス 第一会議室

 『釈摩訶衍論』における「六馬鳴」について

  ―法滅と授記を中心に―

関 悠倫 客員研究員

 〔発表要旨〕『釈摩訶衍論』(以下釈論)は『大乗起信論』(以下起信論)の注釈書であり、三十三法門という、特有の思想とされる修行道論を説くことで知られる。六馬鳴とは釈論が起信論作者である馬鳴について、時代を隔て六度出現したとする数に因み示される。成道十七日より仏滅後八百年の間に計六回出現し、それぞれの時代の馬鳴は皆同一人物の理念があるとする。続けて、その馬鳴がもとは仏であり衆生教化のために第八地の菩薩位として下生したとする。三十三法門と馬鳴との関係を述べると、釈論作者である龍樹が、馬鳴より三十三法門にまつわる構想の教授をうけ造論したと主張している。釈論の造論には馬鳴が重要な役割を担っている。

 研究動向を概観すれば、起信論の作者である馬鳴について、釈論の作者である龍樹が、独自の視点を付加したとする説、同論が引用する馬鳴造とされる、『大宗地玄文本論』の馬鳴像との比較をした説がある。これらは、釈論が馬鳴を六度も出現させたのは何の思想に依るものか、龍樹と馬鳴が三十三法門の創設にどのように係っているのか、六馬鳴説が後代においてどのような影響を与えたか、ということについては殆ど鮮明になってないと思われる。

 そこで筆者は、釈論作者である龍樹が馬鳴との関係を、諸経論の法滅句や授記による思想を着想の基盤とさせながら、独自の視点を付加していると考え検討を試みた。以下その検討結果を述べる。

 馬鳴と龍樹は兄弟として出現し、馬鳴は「大光明仏」、龍樹は「妙雲相仏」であり授記を得ており、来世においても誓願を立て兄弟として転生している。釈論の馬鳴像に影響を与えたのものとしては『大宗地玄文本論』の説を援用したものであった。

 釈論の法滅思想とは『摩訶摩耶経』といった様々な典籍を参照し、引用したり独自の説として書き換えていることを確認した。授記思想については、六馬鳴と連動していることは勿論、十二部経に基づく問答体による、部派の「法鏡」思想を踏襲している。

 やはり釈論の六馬鳴説とは法滅と授記思想を基盤として組み立てられており、釈論の作者である龍猛は、歴史上の馬鳴を全て同一人物として捉えている。且つ、作者とされる龍猛についても同様に転生した人物であると理解していることを確認した。

 それが後代では真言密教において第三祖龍樹の祖師紹介の中で援用されていた。釈論作者である龍樹の居た時代とは、仏滅後八百年と認識した像法の時代に生きた人物であると同時に、密教第三祖の龍樹と関連性があると考えられる。