平成25年12月21日 東洋大学白山校舎 6312教室
平成25年12月21日 東洋大学白山校舎 6312教室
容教士人の天主教理解
―その「実」観に関する一考察―
播本 崇史 奨励研究員
明末に来華した天主教神父たちがもたらした学術を論じる際、多くの先行研究は、「実学」という鍵概念を用いる。その「実学」とは、自然科学に関する知識や技術のことであり、社会に対し即効性を有する実務実用の学である。イエズス会士たちが、明末清初期の排斥運動を経たうえで、清朝で一定の地位を確立したのは「宣教師」としてではなく、むしろ天文学や数学など、彼らの学術を活用しうる「欽天監」としてであった。欽天監として18世紀末まで清朝に留まった史実からしても、従来の一定の見解は至当である。
しかし一方で、天主教説そのものが、必ずしも全く拒絶されていなかったということも、また事実である。天主教の教義や活動を肯定した中国士人、いわゆる「容教士人」の中には、利瑪竇(Matteo Ricci)の『天主実義』を「実学」と評する者が存在した。
『天主実義』の燕貽堂版には、利瑪竇の序文と、三名の容教士人の手になる序跋がある。大変興味深いことに、三者ともに天主教説を「実」学として捉えようとする特徴が見られる。本発表では、容教士人の天主教理解として、李之藻「重刻天主実義序」(1607年)に着目し、その特徴を明らかにした。なお李之藻は、奉教士人として著名であるが、受洗したのは1610年であり、本序文においては容教士人として理解すべきであろう。
李之藻は、自身の学問観において、彼が「孔子が提唱した」と述べる「自己を修めること」〔修身〕に言及する。その方途として、李之藻は『孟子』尽心篇に基づき、自らを知り、自己自身の心にある天性を自覚し〔知天〕、天に仕えること〔事天〕の重要性を主張する。さらに李之藻は「天」に仕えるためには、心を尽くす〔尽心〕という実践が必要不可欠であると述べ、さらに「天を知る」手立てとして、親に仕えること〔事親〕を推し進めることを強調する。この理解は親への親愛の情を天理のはたらきとみなす宋学の「天」観に通じるが、李之藻は、利瑪竇の天主教説をも、かかる「事天」の学に基づくものだとして賞賛する。とりわけ、自己に正統を把握させ、善を体現させる主体として「天(天主)」を捉えている。
李之藻は、「知天」「事天」の大要において、宋学と天主教との共通項を見出した上で、自己の内面において、既にはたらくべくしてはたらいている心を、善への促しとして疑いなくありのままに捉え信ずる学問として、これらを「心性実学」と評していた。
李之藻にとっての「実」とは、心のうちに、天理のままに正統と善とを全うしようとする確かなはたらきであったと言うことができる。
インド建築論が構築した「世界」について
出野 尚紀 客員研究員
『サマラーンガナスートラダーラ』Samarān· gan· asūtradhāraは、11世紀前半にパラマーラ朝のボージャ王Bhojadevaによって記されたヒンドゥー建築論書である。その第五章Bhuvanakośa(世界の容器)は、シュローカ体を用いた一〇四詩節とマーリニー体を用いた一詩節の計一〇五詩節からなる。第一節から四〇詩節ab パーダまでに地上の大陸や山塊の大きさや形、四〇詩節cd パーダから七五詩節にバーラタを除く八ヴァルシャの地勢や生物の特徴、七六詩節から八〇詩節にメール山頂の神々の居住地域、八一詩節から一〇五詩節に星々の運動について記されている。
世界は柱状であり、この世界であるその上面は、直径が一億百九十万ヨージャナであり、周囲が三億二千六百八万ヨージャナである。ほぼ円形となっている。世界には七つの大陸と大海が順にあり、それらのうち、中央にあるジャンブー大陸は、十万ヨージャナの直径で、ジャンブー大陸の中心部には、メール山があり、ヒマヴァット山脈、ヘーマクータ山脈、ニシャダ山脈、ニーラ山脈、シュヴェータ山脈、シュリンガヴァット山脈という六山脈が南北に並列している。そして、東西にマーリヤヴァット山脈とガンダマーナ山脈が連なっている。そして、ニーラ山脈とニシャダ山脈の間から四本の川が流れ出し、海に注いでいる。それらの山脈の幅はどれも二千ヨージャナである。メール山の高さは三万二千ヨージャナであり、山裾の直径が一万六千ヨージャナ、頂上が三万二千ヨージャナとなっていて、ハスの花のような上面が広い円錐台の形をしている。これは残りの部分が地下にあり、軸をなしているためと考えられる。また、六つの山脈の名称の起源と山中に生息するものについて記述される。ついで、六山脈を挟みこむように南北に七つ、そして、マーリヤヴァット山脈の東とガンダマーナ山脈の西という具合に、ジャンブー大陸上に九つ配置されるヴァルシャの位置と特徴が記される。九国の最南端に、弓に弦を張った形のインドを神話的に書き表したバーラタがあり、弦の位置にヒマヴァット山脈があり、北隣のキンプルシャとの間を隔てている。また、メール山を含むジャンブー大陸の中心部は、イラーヴリタであり、広さ三万四千ヨージャナ四方である。イラーヴリタの南北にある六ヴァルシャは、南北方向が九千ヨージャナであり、東西の二ヴァルシャは最も広いところで、一万九千ヨージャナとなる。
本章の世界について記述は、まったく同一の構成をなす文献は管見の範囲にないが、プラーナ文献の記述に見られる伝統的な構造に従っており、西方世界の知見など現実世界における新たな知識を組み込んでいない。また、円については、アーリヤバタらの数学とは異なる定数を使っていた。
モンゴルオボー信仰に於ける仏教の影響
―アジャ・ゲゲンの十三オボーを実例として
バイカル 客員研究員
中国内モンゴル自治区シリンゴル盟正藍旗では、アジャ・ゲゲンに管轄されていた「アジャ・ゲゲン・シャヴィナル」とよばれる人々が散在している。筆者は2012年から3回に渡って、「アジャ・ゲゲン・シャヴィナル」の実態とかれらが信仰している十三オボーに対する研究調査を行ってきた。報告では、その調査をもとづき、一.アジャ・ゲゲンとアジャ・ゲゲン・シャヴィナル、二.アジャ・ゲゲン・シャヴィナルのオボー信仰の実態:アジャ・ゲゲンの十三オボー、とオボー祭りの実態を明かにし、最後に、オボー信仰に於ける仏教の影響を分析した。
シャヴィナルは、チベット仏教がモンゴル社会に全面的に浸透したことにより出来上がった特別な組織である。20世紀初頭、ドロンノールとショロン・フフ・ホショーの地域では、ジャンギャ活仏、ガンジュール活仏、ラホー活仏、グルフヘラマゲゲン(活仏)、ガルダン・シレート活仏、ビリゲト・ノモンハン活仏、ダライ・ハムブ活仏、ジルン活仏、ノヤン活仏、エムチラマ活仏、サマサ活仏、トンヘル活仏、ミンルラ活仏及びアジャ・ゲゲンら十四の活仏のシャヴィナルが存在していた。一九四九年、中華人民共和国が成立した後、これらのシャヴィナルは全部ショロン・フフ・ホショーに所轄されたが、組織としてそのまま残されたのはアジャ・ゲゲン・シャヴィナルだけである。ただし、その名前が「アジャ・ゲゲン・シャヴィナル」から「ジョーロンゴル・ソム」に変わった。1990年代、中国で地方行政合併政策が取られ、「ジョーロンゴル・ソム」はなくなり、そこに所轄していた三つのガチャー(オロンモド・ガチャー、ジョーロンゴル・ガチャー、バヤンジュホラン・ガチャー)はシャンド・バラガス(上都鎮)に合併された。アジャ・ゲゲン・シャヴィナルは、行政的には独立性を失ったが、オボー祭りを通してシャヴィナルというルーツを確認し合い、オボー信仰を続けている。アジャ・ゲゲンは、一九九八年、アメリカに亡命した後、シャヴィナルとの交流は中断されたが、シャヴィナルの中、アジャ・ゲゲンに対する崇拝を更に強くなっている。
アジャ・ゲゲン・シャヴィナルは、チベット仏教界の最高僧侶である活仏の信徒であり、属民でもある。かれらは熱心にオボー信仰を続けてきた。それは、モンゴルにおける仏教受容と変容の研究にとっては参照すべき重要な価値があると思われる。
というのは、チベット仏教は、モンゴルでは、遊牧民の「父なる蒼天、母なる大地」という自然崇拝のシンボルであるオボーと融合しながら、独自な形で展開されてきているからである。オボーの形と数、祭祀の内容、唱える経典などはチベット仏教の影響を強く受けていることは間違いなく、モンゴル民族の自然崇拝の思想が、仏教の「草木にも魂がある」という教えと融合した結果、モンゴル人のオボー祭祀とチベット仏教が融合した思想体系が構築されたと考えられる。