平成21年12月19日 東洋大学白山校舎6302教室
平成21年12月19日 東洋大学白山校舎6302教室
土田杏村の倫理思想
――「一即一」の倫理について―
渡邊 郁子 客員研究員
土田杏村(新潟県佐渡生まれ、本名茂、1891~1934年 。 以下「杏村」と略す)は、日本の近代化推進のなかで輩出 した 、 福沢諭吉や中居兆民らに並ぶ、西欧思想を範としながら、「理想社会」の実現に取り組んだユニークで多才な思想家である。社会改 革の必要性を強調する杏村は、「文明評論家」を自称しながらも、理論と実践の人であった。彼の推進した「自由大學運動」(1922~1930)には、彼の思想の特徴がよく表れている。ひとつには、 社会改革を体制(国家)ではなく、農民などを中心とした「市民」に 対する「教育」によって進めて、日本の市民社会を実現しようとした 点である 。本発表では、『土田杏村全集』(第一書房、一 九三五―六年)から「人生論」 「社会哲学」「思想問題」「日本支那現代思想研究」「教育 目的論」など、および「華厳哲学小論致」(『象徴の哲学』、 叢書名著の復興13 、 新泉社 、 1989年)の記述を手がか りに 、 杏村の理論と実践の思想からは 、どのような「倫理」 が提示されるのかについて、 その概要を明らかにした。
杏村の提示する倫理は、「華厳思想」を現象学の方法によって解釈 し直した 、 独自の論理に依所している。これは、西欧の近代化の特徴 の一つである「個の確立」を促すとともに、「個」のあるべきあり方 を「個と全体(個を超えるもの」)」の関係から明らかにしようとする ところに明らかになる。端的には、現象学的な解釈から、「重々無尽 の縁起」として知られる華、厳の究極の真理観である「事事無凝法界」 (四法界説)を捉えなおして、「象徴的原理」として「一即多、多即一」 を「一即一」へと極めて、個「と個の関係」、「有限と有限の関係」を解釈する。さらに、「理と事」を現象学的立場から、「意味と対象(指 示対象)」とし 、 現象世界は「象徴」として実在(意味の内在)し 、 現象世界の外部にある超越的なものは存在しないという論理が提示さ れる。これより、「一即多、多即一」によって象徴される「理事無凝 法界」 、 すなわち 、 「理(意味:普遍 、 全体 、 「一」)と事(対象特¨殊 、 個 、 「多」)が妨げあわない」(無限と個物の関係)というだけでは 、 不十分であり 、 「事が互いに妨げあわず、解け合っている」という「事事無凝法界」とは 、 「一即一」(個と個の関係)であって、「事がすべ て本性(理)としての同一性を通じて他の一切の事と妨げあわない」(理 事無凝)からこそ 、 事(対象一多様な個)は理(意味¨全体)を介し て一つ(多様なものの共存共生的統一)になるのであるという 。 ここ からは 、 個(市民)が全体共国家)に吸収される論理ではなく 、 個が 相互に現実社会において「統一的意味」(意味の共有)においてかか わりえるという理想(法界)の社会に基づく多″様性共存″の「倫理」 が指示されている。
インド実在論学派における認識論と因果関係の関係
三浦 宏文 客員研究員
インドのバラモン系正統六学派の1つに数えられ、実在論学派とされるヴァイシェーシカ学派は、独自の認識論の体系をつ くりあげた。この認識論は、実は因中無果(原因の中に結果は存在し ていない)論という同学派独自の因果論と分かちがたく結びついてい た 。 本発表では 、ヴアイシェーシカ学派におけるこの認識論と因果論 の関係について 、 同学派の代表的哲学者プラシャスタパーダ6世紀) の思想を中心に考察することで 、 インド的実在論思想の一端を明らか にすることを目指した 。
プラシャスタパーダの主一者『プラシャスタパーダ・バーシュヤ』の 各認識形態には因果論的な区別が対応していることが、そのサンスク リット原文の文型によってわ かる 。 すなわち 、 因中無果論 では 、 内属因 、 非内属因 、 動力因の3種の原因をあげる が 、 この原因が認識論の説明 にも登場するのである。まず あらゆる認識によって得られた知識は 、 自我の属性である ので共通の内属因は自我であ る 。 そして 、 推論以外の諸認識は 、 「自我と意識の結合」 という非内属因から起こる。 その際 、 過去に関連する記憶は 、 非内属因に〈特殊な〉という限定がつく。特別な認識である聖仙知は、-apekṣa という語に伴われない形でablativeで非内属因と動力 因を併記するという形の文型を取るのである。
またさらに 、 この因果論的区別からプラシャスタパーダの認識論では 、 諸認識形態の中でも現在時に関係する直接知覚及び推論が基本に なっている。直接知覚は、運動やその他の因果関係の表記法と共通す るプラシャスタパーダの術語化した因果関係の表記法で表記されてい る 。 推論は出発点として,「徴証をみる直接知覚」が前提されるので、 非内属因が他の認識と区別されるが、直接知覚に準じたものと考えて よいであろう 。 記憶は 、 非内属因に〈特別な〉という限定をつけることで 、 他の認識とは区別した形で表記される。記憶が正しい知識に分 類されながらも、直接には認識手段とされないのは、その記憶が推論 に関連し 、正しい推論過程を経た上で 、 推論の結果の知識として成立 するからである 。 聖仙知は、動力因ablativeで併記する形で表記され 、 通常の認識とは明らかに区別されている。また、この聖仙知も記憶同 様に認識手段として認められていない。これは、聖仙知が一般に認知 されるためには,その聖仙知の知識が「他人のための推論」によって 論証されなければならないからである。このように,プラシャスタパー ダの認識論では、あくまで現在時の認識が基本にあり,それ以外の認 識とは厳密に区別されていたということが、この因果論的側面からも わかるのである。
日蓮における安然の問題について
土倉 宏 客員研究員
日蓮は遺文の中で安然の名を挙げ、安然を論じている のだが 、 円仁や円珍ほどその頻度は多くなく、その取り上げ方も(円 仁・円珍に比して)穏当な表現であるといえる。そこで日蓮の台密批 判というと 、 円仁 、 円珍が真っ先に挙げられ、安然はその陰に隠れて しまう感が否めない。しかし、日蓮は安然文献をよく渉猟し、台密の 中でも安然の思想を最重要視していた可能性が高いのである。その理 由は 、 日蓮が台密思想を論じる時の広略(大日経―広説、法華経―略 説)概念の展開方法が、安然の著作に基づいていること、また『蘇悉 地経疏』の引用文が安然の著作を踏襲したものであること、等からそ のように考えられるのである。
ところが、ここに大きな問題が一つある。日蓮は安然の文献をよく 検討していたはずであるが 、 日蓮文献のどこにも安然の「一大円教」 に触れるところがない 、 という問題である。安然の代表的思想概念で ある「一大円教」に触れていない、ということは、何か日蓮に意図す るところがあったと考えざるを得ないのである。これは詰まるところ、 日蓮が安然の「一大円教」思想を認めることができなかったからに相 違なく 、 その根幹に開会の問題があったものと推測できるのである。
また日蓮の十界曼茶羅と安然の曼茶羅思想とは 、 ともに「十界」と いう問題で通じる所がある。しかし、日蓮の十界曼茶羅は法華思想を 重視したものであり 、 安然の曼茶羅思想は密教思想を重視したもの 、 という根本的な違いが存する。日蓮は安然の曼荼羅思想を、法華開会 の視点から批判的に見ていた可能性が高いと考えられる。
このように考えていく時 、 日蓮の開会思想と抵触する安然の思想が 浮かび上がってくる。その例として挙げられるのが、「一心一心識(密 教)と一切一心識(法華)」(『教時間答』)の問題 、 「真如十界(密教) と無作十界(法華)」(『教時間答』。『菩提心義抄』)の問題 、 「本来一 仏一乗(密教)と[開会]一 仏一乗(法華)」(『教時間答』) の問題等である。これらの安 然の思想を精査していくと 、 安然は法華開会思想を必ずし も最重要視していたわけでは ないことが伺え、日蓮はその 点を台密批判の根幹に置いた 可能性が高いのである。
日蓮は 、 二乗作仏・久遠実 成を説く経典として法華経を 最重要経典とするわけだが、 それはとりもなおさず開三顕 一 、 開近顕遠なる開会思想を説くものだからであり 、 この開会思想を 説かない密教では 、 いかなる曼荼羅思想を展開しようとも意味はない と考えた可能性が高いのである。