平成20年5月24日 東洋大学白山校舎5202教室
平成20年5月24日 東洋大学白山校舎5202教室
「チベット問題」の淵源を考える
―チベットはなぜ”自由独立の国”であり続けられなかったのか―
田崎 國彦 客員研究員
いわゆる「チベット問題」は、簡略に整理すれば以下 の4項からなる 。 ただし 、 これらの4項はそれぞれ他の項とリンクし ている 。 ①第1は 、 「チベット問題」発生の直接的な起点(発生点)」となる 一連の出来事の正当性(正統性)をめぐる問題である。具体的には、 1950年に始まる中国人民解放軍によるチベットヘの軍事侵攻とチ ベットの自国領土への編入は、チベットに対する中国の正統な主権の 行使なのか 、 あるいは侵略なのかをめぐる問題である。
②第2は 、 この発生点(起点〉より遡った「チベット問題の歴史的 な淵源(チベット問題の淵源)」、すなわち「『チベット問題』発生の 歴史的背景」である 。 第1の発生点に至るまでのチベットと、漢地 (漢土 、 シナ…黄河と揚子江の流域を中心とする地域で北シナと南シ ナに分かれる)に展開した歴代王朝(特に元・明・清、なかでもチベッ卜問題に至る直接性をもつのは清朝)との間に起こった諸事件のいわば”歴史認識″を めぐる問題である。具体的には 、 チベットは元朝以来”中国”の不可分の一部なのか 、 あるいは独立国であったのか、 それとも別な関係の在り様をしていたのかをめぐる問題で ある 。
③第3は 、 第1とした「発生点」以後の 、 すなわち実効支配下における中華人民共和国のチベット政策の如何をめぐる問題である。具体的には、チベット 人の幸福度(物質的経済的ばかりでなく精神的な幸福度〉を増大させ る政策であるのか 、 あるいはチベット人を、チベット文明を消滅に至 らせる政策であるのかをめぐる問題である。この第2は、チベット人 に対する人権侵害 、 チベットの自然破壊(核施設などの問題を含む)、 チベット文化の破壊(チベット人の中華民族化)、チベットヘの漢人移入(移民)の問題などをめぐる問題でもある。中国開催のオリンピックの聖火にかかわる 、今回の世界で起こった一連の出来事は、なかでも人権侵害自然破壊の問題 (これは同時に中国政府による情 報の開示 ・解放を含めて )が国際問題となっていることを示している。
④ 第4は 、チベット問題の解決にかかわる問題である。具体的には、問題解決とチベット人と漢人 (両者を両親とする子供を含む)の共存・共生・共栄に向けたチベットと中国間の”対話”などをめぐる問題である。
今回の発表では、まず、「チベット問題」発生の起点(発生点)となる一連の出来事を確認した後、チベット文明、チベット仏教文化圏、この圏内で共有された仏教理念(仏教の興隆と興隆による有情すなわち命あるものの安寧・利益をはかること)やチューュン関係(仏 教の経済的な基盤となる「布施する者と布施を受ける寺院・教 団 ・僧 侶 」がつくる関係 )を明確にし、次いで 「チベット問題 」の歴史的な淵源の一つとなる、清朝によるチベットヘの軍事力の行使 ( 1720・1728・1751・1792年 の派兵と1910年の軍事侵攻)、 1913年の「チベット独立宣言」 を取り上げて、 この両 「軍事力行使」 に見られる「清朝のチベットに対する対応・態度の変質 」を明らかにし 、最後にこの変質を清朝の中外一体思想、列強のアジア侵略 、国連の対応、 チベット社会の問題点などと関連づけて、観音 を守護尊とする仏教国チベットが辿った近現代史を考えた。