インドの死生観の研究―聖典・聖 地・都市構造にみるインドの死生観―
インドの死生観の研究―聖典・聖 地・都市構造にみるインドの死生観―
多数の犠牲者を出した平成二十三年三月十一日の大震災および原発事故は、突発的に死が訪れることは避け得ない、誰もが将来いつ死んでもおかしくないという強烈な認識をもたらし、どのように死んでいくのか、死をどのように迎えるのか、というように、死があらためて問われることになった。また、遺族にとって近親者を失ってしまったことは大きな苦しみと悲しみをもたらす。被災者の方々に寄り添うためには、被災者の方々の支援のみならず、亡くなってしまった方達をどのように受け止めるかが問題となる。そこで死生観があらためて注目されるなか、インドの死生観を探求することは大きな意義がある。ヒンドゥー教においては、死に行く人は、死への旅立ちの時間を予告しておいて、息子達を呼び寄せておき意識を集中させておいて生を捨離する。その人は死んだのではなく身体を放棄したと言われるのである。このような死生観は死生を考察するにあたって大きな示唆を与えてくれるものといえよう。そこで最新の研究を踏まえ、インドの死生観を広く一般に提示するために本研究に着手するに至った。本研究は、インドの宗教の八割強を占めるヒンドゥー教に着目し、教義・哲学の面よりもむしろ生活する民衆の視点から、カビールら宗教詩人の民衆への浸透、聖地ヴァーラーナスィー(バナーラス)における葬送儀礼などの詳細な研究を通じて、インドの死生観を把握する。ヒンドゥー教のさまざまな分野におよぶ聖典など、文献研究に基づく死生観の研究を行うとともに、民衆にとって死生がどのようにとらえられているかを実地に把握する。また、死後の存在について、ヒンドゥー教の神話に対して人間本来のあり方を追求するには無益であると弾劾した、十五~十六世紀の織工であった宗教詩人カビールなど、宗教詩人の存在も忘れてはならないだろう。カビール、スィク教祖ナーナク、ミーラーン・バーイーらの詩作についても死生観との関連から検討する。さらに、インドの都市構造の研究から、都市構造と死生との関連を検討する。そして、以上の分野での研究を総合して、インドの死生観の特色を提示する。
研究組織は以下の通りである。
研究代表者 役割分担
橋本泰元研究所長 研究の統括、インド民衆の死生観
研究分担者 役割分担
岩井昌悟研究員 初期仏教におけるインドの死生観
沼田一郎研究員 古代インドの死生観
宮本久義研究員 インドの聖地と死生観
出野尚紀客員研究員インドの都市の構造と葬地の関係
本研究プロジェクトは、平成二十五年度~平成二十七年度の研究計画で、それぞれの研究者が(1)インド民衆の死生観、(2) インドの聖地と死生観、(3)古代インドの死生観、(4)インドの都市の構造と葬地の関係、(5)ヒンドゥー教と仏教との関連性といった分担課題のもと、文献研究および、南インド地方の調査、ビハール州ガヤー市の祖先供養の実態調査、ヴァーラーナスィーの聖地信仰調査などの調査を行い、その成果を研究発表会やシンポジウムにおいて発表し、討議を重ねて成果の統合をはかる。
研究の最終年度にあたる平成二十七年度は、初年度の研究成果を踏まえて研究を深化させつつ、総合的な研究成果に向けて、各研究者が文献研究、調査研究を進めた。また、日本人の死生観への関心に対応するため、仏教を視野に入れてインドの死生観を考察することになり、初期仏教の研究者である岩井昌悟研究員が本年度よりプロジェクトに参加した。なお、宮本客員研究員は昨年度まで研究員としての参加であったが、教授職の定年退職に伴い、平成二十七年度より東洋学研究所の客員研究員として、本研究所プロジェクトに参加している。
代表者橋本研究員は、クリシュナ神信仰諸派の中心のひとつである、インド、ウッタル・プラデーシュ州マトゥラー市ヴリンダーヴァンにおいて、現代インドにおいて有力なヴァイシュナヴァ派の一派チャイタニヤ派(通称)の指導者と信者に、自己の信仰・教義と死生観の関連、特に死生観の特徴を聴取した。
岩井研究員は、岩井は初期仏教と当時のインドの状況に着目し、インドの死生観に対する仏教の影響を探求した。沼田研究員は、平成二十五年九月十二日~九月二十一日に実施した南インドでの実地調査結果の分析を踏まえ、現代インドにおける死生観の考察を行いつつ、サンスクリットの古典文献を調査して、古代インド人の死生観念、来世観念の解明に努め、古文献に現れた死生観と現代のヒンドゥー教徒の死生観との相違について、その変容や新規の要素の摘出に従事した。
宮本客員研究員は、インドで祖先供養が行われる重要な聖地とされるビハール州ガヤー市において祖先供養の実態調査、ヴァーラーナスィーでの調査を行い、また、ヒンドゥー教の聖地信仰関連の文献研究の成果と関連づけて、考察をまとめた。出野客員研究員は、葬送儀礼における葬地と都市との関連について、マニカルニカー・ガートなどの、ヴァーラーナスィーの火葬場の位置関係を検討し、成果をまとめ、「ヒンドゥー建築論からみた葬送地の位置について」という題目で研究成果報告書に論文を提出した。そして、研究成果の発表として、一月九日に開催された研究発表例会会で、出野客員研究員が「インド古典建築論における施設配置―村落と都市―」という題目での研究発表を、宮本客員研究員が「ヒンドゥー教における祖先祭祀―北インドの聖地ガヤーの事例を中心として―」と題する研究発表を行い、三年間の研究成果をまとめた研究成果報告書を刊行した。
以下に橋本研究員、宮本客員研究員の調査報告を示す。出野客員研究員と宮本客員研究員の研究発表については、本研究所活動報告の研究発表例会のページにある要旨を参照していただきたい。
研究調査
現代インドにおける有力なヴァイシュナヴァ派の一派、チャイタニヤ派(通称)の指導者と信者への、自己の信仰・教義と死生観の関連、とりわけ死生観の特徴に関する聴取
橋本泰元研究員
期間 平成二十七年十月三十日~十一月六日
調査地インド・デリー、ウッタル・プラデーシュ州マトゥラー市ヴリンダーヴァン
北インド中世期の十六~十七世紀において盛んとなり現代に繋がる民衆的な宗教である、最高の人格神クリシュナへのバクティ(信愛)思想を信奉する諸宗派の中心地であり、古代以来のクリシュナ神話の故地であるヴリンダーヴァンにおいて、宗教家、教学者そして民衆がどのような死生観を抱いているか、聞き取りを中心にする実地調査を以下のような日程で行った。
二〇一五年十月三十日日本航空749便にてデリー国際空港に予定通り十八時二十分に到着した。The Lalit(ラリット)にて宿泊。翌三十一日、専用車にて三時間半、十二時三十分ころ、旧知であり当地で有力なチャイタニヤ(Caitanya)派(通称)の有力寺院の一つの輪番住職を勤め、当地の文化保存に尽力しヒンドゥー教宗教者を代表してローマ会議に参加もしているシュリーワッツ・ゴースワーミー師を、信徒会館を兼ねた自宅に訪ねた。師自身も自派の教学者であるので、先ず師に対して死生観を質問した。
師によれば、人間の魂(アートマンātman)は、死後、「完全な身体(siddha deha)」を獲得して、恒常なるヴリンダーヴァン、すなわち天界において最高神ラーダー・クリシュナ(Rādhā Kṛṣṇa)両神の奉仕(sevā)に永遠に従事する。民衆レベルでは、この教義は、アートマンが最高神と婚姻をし、そしてアートマンが最高神に帰入し至高の歓喜を味わうものと理解されている、との話であった。続いて、ヒンドゥー教一般における祖霊供養の概要を説明してくださった。
ついでに、師に有識者である巡礼案内僧、自派の講釈師、自派に近い思想をもつ思索家を紹介してもらった。十一月一日午後、講釈師であり説法師のゴーヴィンダーナンド・バット師を自宅に訪ねた。師の説明はより詳しく、アートマンはラーダー・クリシュナ両神の眷属、あるいは奉仕者としての地位を獲得すること、愛着をもって両神に奉仕することが解脱であるとする。そして、その典拠であるこの派の初期の教学者であったループ・ゴースワミーの主要な著作を挙げてもらった。
十一月二日、十一時四十五分から思索家であり社会奉仕者である老齢のセーワック・シャラン師を自宅の庵に訪ねた。師は『バガヴァッド・ギーター』所説に基づき、自己の解釈を加えながら、自然界はクリシュナ神の開展であり、その世界の中心であるヴラジャ(ヴリンダーヴァンを中心点とする地域)における帰趨を獲得することが解脱である、という自然主義的な見解を示した。また、師は本人が世俗を捨て、ヴリンダーヴァンの聖地性の意義をインド世界に知らしめる社会活動に身を挺したか、半生を語り当地における死が歓喜(ānanda)であると締めくくった。
十一月四日よりデリーに移動、デリー大学やデリーの出版社を訪ねた。宿泊先については、十月三十一日より十一月三日まではヴリンダーヴァンNidhivan Sarovar Portico(ニディヴァン・サローヴァル・ポリティコ)、十一月四日はThe Metropolitan Hotel(メトロポリタン・ホテル)にて宿泊。今回の短期の実地調査では、民衆に最も近い立場にある巡礼案内僧には、本人の急な予定変更でインタビューができなかったのが不足に感じた。しかし、このクリシュナ信仰の中心地における人びとの死生観ないし死後観が、その信仰・教義のもつ特徴に裏打ちされていることが、よく観察できたと思う。
研究調査
北インドにおける先祖供養に関する聴き取り調査
宮本久義客員研究員
期間 平成二十七年十二月九日~十二月十六日
調査地インド・ガヤー、ヴァーラーナスィー
二〇一五年十二月九日より十五日まで、東洋学研究所プロジェクト「インドの死生観の研究―聖典・聖地・都市構造にみるインドの死生観―」(研究代表者:橋本泰元教授)の研究の一環として、北インドのガヤー等の聖地の調査を行った。二〇一三年十二月にもガヤーを訪れ、シュラーッダ(祖先祭祀)の調査をしたが、今回はその時に見られなかったタルパナ(献水祭祀)を実際に行い、それに関する聴き取り調査も行った。
十二月九日に成田空港を出発し、同日現地時間の夕方にインドの首都デリーに到着。夕食のあと、ラールバハードゥル・シャーストリー・サンスクリット大学の学長ラメーシュ・クマール・パーンデー教授にお会いし、先祖(祖霊)に対する供養全般についてヒンドゥー教徒がどう考えているのかを、またどのような祭祀を行っているのかのインタビューを行った。宿泊はAshok Country Resortにて宿泊。十日は、デリーよりガヤーに飛んだが、ガヤー空港で預けた荷物が出てこないというハプニングがあった。荷物は翌日受け取ることができたが、たいへんな時間のロスで、その日予定していた調査ができなかった。
十一日は早朝よりヒンドゥー教徒が先祖供養で訪れる五箇所の主要な場所を調査した。ボードガヤーのダルマーラニヤ、マータンガヴァーピー、ガヤーのヴィシュヌパド、パルグナディー、アクシャヤヴァタでは、多くの巡礼者が集まっていた。ヴィシュヌパド寺院ではタルパナ儀礼を実際に行って写真に収めることができた。その他、スィータークンド、プレータシラー等にも足を運んだ。現地の歴史に詳しいヴィールナーラーヤナ・スィンフ氏から多くの情報が得られた。十、十一日はHotel Gharana Gaya に宿泊。
十二日は、ガヤーを出発しヴァーラーナスィーに向かった。途中、サーサーラームで中世のイスラーム王朝皇帝シェール・シャー・スーリの墓廟を見学。夕方、ヴァーラーナスィーに到着。バナーラス・ヒンドゥー大学のラーナー・スィンッフ教授などに宗教地理学的に見る先祖供養について話を聞いた。Hotel Ganges View に宿泊。十三日は移動日でカジュラーホーに夕方到着し、Hotel Greenwood に宿泊。十四日、チャウンサッティー・ヨーギニ―寺院等調査のあと、デリーに移動、Hilton Garden Inn New Delhi に宿泊。十五日は、午前中、バハーイー教の礼拝堂、ラクシュミーナーラーヤナ寺院、午後にマハートマー・ガーンディー、インディラー・ガーンディーの礼拝場所(荼毘に付された場所)に行き、その後、空港へ。
深夜、デリー出発、機中泊のあと、十六日早朝、成田空港着。