サン・アンドレス島
日本に住んでいた頃、僕は31回の海外旅行をしました。最初は25歳の1974年7月に32日間イギリスを中心とするヨーロッパへの旅でした。その後50歳であった、1998年の12月から翌年の1月までの同じ32日間にわたるインドへのバイク旅行までです。その間、10回は真夏の旅でした。
その約2年後に退職して、2001年6月から2004年9月まで3年3か月、南北アメリアをバイクで旅した訳です。その後、コロンビアの首都ボゴタに約1年10か月、ボゴタの近くのガタヴィタと言う小さな町の借家にまた約約1年10か月住みましたが、この頃は2005年に日本に帰国した以外は、コロンビア国内を旅行していました。2008年の5月に現在住んでいるフサガスガに家を買って引っ越ししたのですが、泥棒が入る危険があったので旅行を止めていました。その頃、僕達が住んでいる住宅地域は周りを壁で囲まれていて、入り口に鍵の掛かった扉があり、門番の家族が住んでいました。しかし、この国は日本と違って泥棒が多いのです。門番までが泥棒だったのです。そのため2011年の夏に日本に帰国した時には、向かいの家の奥さんに頼んで3か月我が家に住んでもらいました。その後、門番を警備会社の専門職に変え、夜にはもう一人夜警の人も追加し二人にするとともに、団地の防御壁を高くし、照明塔も増やす等の対策を講じたので、泥棒は減りました。
それでまた旅行に出るようになりました。2015年5月にコロンビアのカリブ海岸にある、大観光地カルタヘーナに1週間旅行したのを切っ掛けに、2016年2月には1か月チリとアルゼンチンに、5月に8日間再びカルタヘーナに、6月に11日間山の中にある街のメデジンやマニサーレス等に、日本からやってきた陽子さんと旅行しました。8月にはまた3か月日本に帰りました。2017年には8月に北米西海岸地方を22日間旅行しました。2018年5月10日から32日間パラグアイとブラジルに、11月には6日間アマゾンのレティシアへ旅行しました。
2005年の日本帰国からは、もちろん全てマリアと一緒の旅です。そのため、日本への帰国を除いて、殆ど全てホテルの予約を取っています。それまではホテルの予約は一切取りませんでした。特に1982年にスペインとモロッコに行った時には、ガイドブックも持たず、そのせいで最初の到着地であるバルセローナでは空港の地下鉄駅で街の中心部へはどう行ったら良いか、近くに居た人に聞いたものでした。
2019年7月24日から8月24日まで、そのスペインを再訪します。以前は一人旅でしたが、今回はもちろんマリアと一緒です。「コロンビア便り」は、毎年僕の誕生日の8月1日にお送りしていますが、今年は少し早くお送りします。
2019年3月4日から9日まで、5泊6日でカリブ海に浮かぶコロンビアの島、サン・アンドレス島に行ってきました。実は、この島はコロンビアから北西の方向にはずっと離れていて、パナマ、コスタ・リカを通り越してニカラグアの沖合にあります。ニカラグアが島の統治権を主張していましたが、1991年にコロンビアに統治権を認めました。国際司法裁判所が2012年にコロンビア領であることを確認したうえで、周辺海域の管轄についてはニカラグアのものと認めています。
この島は北北西に細長く伸びていて、まるで竜の落とし子のような形をしています。島の湾岸道路を一周すると27㎞あります。この島は平坦なサンゴ礁でできていて、そこに住む人達は約4万人です。殆どが黒人で訛の強い英語とスペイン語を話しています。そこに大量の観光客が押し寄せています。
1629年に清教徒により発見されたそうです。17世紀後半にスペインに占領されましたが、その後イギリス、フランス、オランダ、スペインによる島の領有権争いがありましたが、1793年スペインとの条約によりスペイン領になりました。1806年に黒人奴隷が送られ、現在はその子孫が住んでいます。そして1810年にコロンビアがスペインから独立しました。
2018年11月19日~24日にコロンビアのアマゾン地帯を旅行後、すぐにサン・アンドレス島のホテルを予約しました。実は去年の夏のパラグアイ・ブラジル旅行後、11月と3月にアマゾンのレティシアとサン・アンドレス島に旅行しようと思っていました。どちらを先にしようと思って降雨量を調べました。
サン・アンドレス島は海が奇麗なので晴天の時期に行きたかったからです。アマゾンは一年中雨が降っています。11月から翌年の5月までは300m?以上の雨が降り、一番少ない7月でも160m?程度の降雨量です。一方、サン・アンドレス島は2月から4月までは降雨量が20~30m?で、特に3月は一番低くて24m?と出ていました(大阪の梅雨の6月の降雨量は201m?)。それで3月にサン・アンドレス島と決めたのです。
去年行ったレティシアは南緯4.1度で平均最高気温が30.6度(1月)~29.9度(5月)~31.4度(10月)と、一年中夏の気温です。僕の住んでいるフサガスガは北緯4.2度ですから赤道を挟んで反対側の町です。また、サン・アンドレス島は平均最高気温が28.6度(1月)~30.1度(5月)~30度(10月)とここも一年中夏で、北緯12.6度ですから、マニラ(北緯14.4度)やバンコック(北緯13.5度)より南にあります。
ホテルについては、インターネットで3日前までにキャンセルすると予約金は要らないので便利です。まずホテルを予約し、航空券は11月29日に購入しました。飛行機で2時間掛かる距離を一人往復9,000円強と言う安値で、Viva-airという航空会社から買ったのですが、インターネットで予約するときに入力の日付を間違えたら、1万3,000円強に値上がりしました。どうも嫌な感じがする会社だと思っていたのですが、出発前の2週間くらいになって、出発便が2019年3月4日の14時15分から9時10分に変更されたと電話がありました。全く下手なスペイン語で抗議したのですが、ダメでした。やっぱり安い切符には問題があることを知らされました。
この島は観光客だけで栄えているので、ホテルが高いのでびっくりしました。2003年にコロンビアの首都ボゴタに来た時には、安宿に500円で泊っていたのですが、今回は何と、一泊2万円もしたではありませんか!
5泊の短期旅行なのと、妻が一緒なので、この島で2番目に高いホテルにしたのです。一番高いホテルは予約がいっぱいで取れませんでした。この島の安いホテルでは、シャワーに真水が使えないと聞いていましたから、奮発したのです。以前にコロンビアの大観光地であるカルタヘーナと言うカリブ海に面した街で、Hiltonホテルに泊まった時も一泊朝食付きで2万円でしたが、このホテルには夕食も付けたので、僕の人生で2番目に高いホテルと言うことになりました。それだけのことはあって、水不足に苦しむ島なのに、25mくらいのプールがありました。海水を淡水化していると妻から聞いたのですが、船で運ぶのも大変ですから、本当かも知れません。 このホテルは竜の落とし子の尖った口の下の部分に建っていて、サン・アンドレス島で最大のホテルです。この尖った口の部分にホテルやショッピング街が集中しています。また空港も近く、徒歩で20分の距離です。ホテルには昼の12時頃着きました。Viva-air では大きさが40x35x25 cmのバッグを超えると追加料金を取られるので、僕の旅行史上最小の荷物でした。部屋への入室は15時以降となっているので、ナップサックをホテルに預け、通りに出ました。
快晴でした。思っていたよりも熱くなく、汗も出ませんでした。潮風が快適でした。海に面した通りには綺麗に整備された歩道が続き、ホテル、レストラン、それに様々な商店が立ち並んでいます。椰子の木陰のベンチに座って、ずっと遠くまで何色にも分かれている南国の海を眺めていました。この地域には沢山のワインショップも並んでいました。僕はワインよりもウイスキーやブランデーの方が好きなのです。店へ入って見ていると価格が安いのです。ウイスキー1?が770円で売っていたので買いました。また隣にジン1?が280円とあったのでこれも買いました。酒が安いのは、この島はコロンビアの免税店地帯だったのです。
サン・アンドレス島で最も大きなホテルに泊
まった。一泊2万円もしました。
南国の島の喉かな海。僕の生まれた泉佐野の海も、僕が子供の頃は綺麗でした。
2日目は東の尖った口の方向を避け、空港のある真っすぐ北の方向へ歩きました。この辺りは観光客相手ではなく住民向けの店が立ち並んでいます。アロハシャツと靴下の予備をそれぞれ1枚持って行ったのですが、気に入ったアロハシャツを1枚見つけたので買い、靴下が破れたのでこれも1足買いました。それに南国の太陽の日差しを避けるためと思って野球帽を1頭買いました。 3日目は島内を運転手付きの窓がないクルマで一周しました。この島は北部の竜の落とし子の頭の部分を除くと、殆ど緑の木々に包み込まれた島です。クルマは島を時計と反対周りに回りました。西側の海岸の中間地点で島の古い家の構造を示す博物館に入ったり、また東側道路の南端近くでスノーケリングをしました。30㎝以下の小さな魚のカーテンに包まれました。透明度はありましたが、水深が6m位と浅く、海底が白砂だったので迫力に欠けていました。もう少し北へ進んだ所には間欠泉がありました。3m位の深さから風が噴き上がってくるのですが、コンタクトレンズが吹き飛ばされる心配があったので、下を見ることはできませんでした。
4日目はホテルの沖合にある島へのツアーに行きました。13時半出発と言うので待っていたら、初めは妻と二人でしたが、そのうち20人ほどの人が集まってきました。ところが彼らはパラ・ライディングの客だったのです。15分ボートに引っ張ってもらってパラシュートで空を遊泳すると4,000円と言いますから結構な値段です。僕は高いところは苦手なので40万円もらってもお断りします。結局、島への客は僕たち二人でした。二人で2,400円払うと、二人の船乗りが小さなボートで来て島へ連れて行ってくれました。船の下には透明な海水を通して真っ白な砂が見え、少し遠くを見ると水色から濃い青まで様々な色で海が輝いています。島へ着くと観光客が溢れていました。島の周りには遠浅の砂地に細長い岩場ができていました。水に入るためには足を守るための靴を貸していました。350円で貸していましたが、借りるのを止め、そして水にも入らず、小さな休憩所で海を眺めていました。夕方になって、帰りに迎えに来ると言っていたボートが来ず、別の10人位乗っていた舟に乗せてもらいました。二人で、また700円払いました。やっぱりここは外国のコロンビアです。
2019年4月14日から21日まで、ボゴタの友人のHernanが運転する車に乗り、妻のマリアと3人で北西のManizalesと南西のFlorida及びPalmiraに行きました。Helnanは、父親が死んだ直後の2016年9月に宝くじを買って新車を当てたのです。彼との付き合いは長く、1992年に日本政府による海外研修で大阪の環境科学研究所に来ていた時に知り合いました。彼がバイクに乗っていると聞いたからです。最近までバイクに乗っていましたが、古くなったので売り払いました。コロンビアでは4月18日(木)と19日(金)が復活祭の休暇だったので、Hernanは15日(月)から17日まで年休を取り、8日間一緒に旅行できました。
彼は、我が家の南西方向のCaliの近くに旅行すると言っていたのですが、4月13日に来てウイスキーを飲んでいると、何処でもいいと言いました。北西方向のManizalesに、コロンビア人と結婚した日本人女性が日本料理店を3年ほど前に出したと聞いていたので、そこに行くことにしました。
家を出てパンアメリカン・ハイウェイを15分ほど西に降りると有料道路料金所があります。パンアメリカン・ハイウェイと言っても、日本の有料道路と違って、普通の一般道路ですが有料なのです。この旅行では、合計19か所の料金所を通り6,600円程払いました。この旅行で走った距離は、約1,300キロでしたから、平均して約68キロ毎に料金所があったと言うことになります。
14日は我が家を9時35分に出ました。コロンビアには南北に3つのアンデス山脈が走っています。我々の住んでいるフサガスガは一番東の山脈の西斜面にあります。30分ほど下ると標高500m位の平地になり、少し汗ばみます。それから西へ1時間ほど走ると標高5,320mのルイス山のある、西から2番目のアンデス山脈に当たります。山を上り始めた所で大交通停滞に遭遇しました。1時間半ほど待ちましたが、車は止まったままです。引き返す車は殆んどありません。何の情報も入らないので、引き返して北上することにしました。4~5キロ走ると北へ向かう道路がありました。1時間ほど走り、西にあるアンデス山脈を越えると、そこが目指すManizalesです。19時10分に着きました。以前に宿泊したホテルが、街を見下ろす山の上のロープウェー乗り場の隣にあります。このホテルには山頂から見下ろす談話室があり、宿泊客は誰でもそこで食事をしたりビール等を飲むことができます。山頂沿いに多くのホテルを見て歩きましたが、こんなに展望の良いホテルは他にありません。この談話室の下に一部屋だけ山を見下ろすことのできる部屋があります。以前はここが取れて最高でした。しかしこの日はこの部屋だけではなく全ての部屋が詰まっていました。仕方がないので近くの別のホテルに宿を取りました。翌日もこの部屋は空いていませんでしたが、通りに面したホテルの入り口の上の部屋が空いていたのでそこに泊まりました。この部屋には小さいベランダがあり、そこは広場に面していて広場の向こうには由緒ありそうな建物が望めるので、却ってこの部屋の方が良かったのかも知れません。
島では人混みを避けるとこんな所もありました。平和です。
空港の近くの野球場にも、こんな壁絵があり
ました。
さて日本人女性は野原妹子さんと言います。僕がGuatavita に住んでいた頃で、2007年2月10日、コロンビアの青年海外協力隊員の全員がGuatavitaの近くの温泉に来た時に知り合いました。そう当時、彼女は青年海外協力隊員で、Manizalesで活動していたのです。そこで知り合った男性と結婚し、そのままコロンビアに住むことになりました。僕がフサガスガに転居してから2012年2月に男の子を連れて我が家に遊びに来てくれたことがあります。今では2番目の男の子もあります。15日はロープウェーに乗ってから一年ほど前に新しく出した日本料理店NIPPON に向けて13時にホテルを出ました。久しぶりに会った妹子さんは一旦店を閉めて、Manizalesを案内してくれると言うので、Hernanの車で出かけました。以前この街に来た時には、近くにある温泉に行っただけで市内見物はしていなかったので、楽しい時間を持てました。18時半の再開店に合わせ店に戻りました。この日には旦那さまと子供たちも来てくれました。旦那さまは男前の上、高い教養のある感じの人でした。食事については、僕がカツ丼、Hernanがお好み焼き、マリアはうどんを食べました。マリアは毎晩日本料理を作ってくれますが、フライは油の後始末が嫌なので食べたことはありません。
Manizalesのロープウェー乗り場の横にある
ホテルから見た街並み。
野原妹子さんがManizalesの名所を案内してくれた。右端は古くからの友人のHernan。
その意味でカツ丼を貪るように食べました。当然Manizales最後の次の日も行って、またカツ丼を注文しました。勘定を払おうとすると、どうしても取ってくれません。有難く、ご馳走になることにしました。彼女は店に日本画のタペストリー、暖簾、湯飲み茶わん、ティーポット、アクセサリー等々置いていて売っています。僕は「相撲」と「葛飾北斎の神奈川沖浪裏」の織り柄のタペストリー、同じくマリアとHernanも一枚ずつ買いました。こんなものは海外では手に入りにくいので貴重です。また日本料理も、首都のボゴタには5~6軒あるみたいですが、Manisalesでは妹子さんの店だけみたいなので、泊まっていたホテルに話をすると、ぜひ店の宣伝ビラを作ってくれと言われました。このことを知らせるメールを妹子さんに送りました。このホテルは料金が安く、欧米の外国人観光客も多く泊まっているので、宣伝ビラがあれば、ホテルから歩いていくにはちょっと距離がありますが、日本料理を求めて客が増えると思います。NIPPONの料理は、例えばカツ丼は600円位だったと思います。これはボゴタの日本料理店と比べて、無茶苦茶安いのです。2年前にロスアンゼルスで豚カツを食べましたが小さな3片とポテトフライで1,500円払ったのを思い出します。
Manizalesの後は、南のFloridaとPalmiraに行きました。Hernanは昔、役所の仕事をしながらここでも働いていたようです。だから友人が多く、僕達はその2軒に泊めてもらいました。一軒は東アンデス山脈に近いFloridaに住む人の家で、主人はガソリン・スタンドを4軒持っていて、僕達はその1軒に行きました。そして街を歩きました。この主人はいつも彼の商売のことで電話したり受けたりしていました。家に帰るとまだ大学生の女子二人と男子、それに高校生位の男の子がいました。さらにこの家には再婚なのか、奥さんの以前の子供達も住んでいました。日本と違い、この国では離婚から再婚、さらに再再婚、・・・は普通なのです。 ここで2泊させてもらった後、少し西に寄り、しかしまだCaliの東にあるPalmiraの建築家の家に2泊させてもらいました。彼は別荘(?)を2軒持っていて、その一軒に、彼がこの年の1月に買ったと言う新車で、建築家夫婦と僕達3人で行きました。別に27歳の彼の息子はバイクで追走しました。山裾に建てられたこの別荘には、ガチョウ等の鳥が我々を待ち受けていました。僕とマリアを除く4人は、ガチョウ3匹の首に包丁を入れ、熱湯に入れてから羽を取り、更に熱湯に入れ、残った毛を剃り落とし、次に手と足を落とし、内臓を削除して火にかけました。食べるまで2~3時間かかりました。もっともコロンビアで僕等が買っている鶏一羽は350円位ですが、羽の削除は機械でなされていると聞きました。これらのガチョウが殺されている時は残酷で、僕は食べられないのではないかと思っていたのですが、大丈夫でした。人間の感情っていい加減なものです。
Floridaでガソリン・スタンドを経営する人の家で。主人と子供二人。
5月25日の土曜から日曜日にかけて、マリアの親戚の人ばかり23~24人、貸し切りバスに乗って自宅から1時間半西にあるGirardotと言う街の端にあるEl Penonと言う高級住宅地に行ってきました。ここにはコロンビア出身で現在スペインのサッカー選手と結婚してそこに住んでいるShakiraと言う歌手の別荘もあります。Shakiraは全世界で7000万枚のCDを販売している世界的に有名な歌手で、2010年の南アフリカの世界サッカー選手権で公式テーマ曲を歌ったことを覚えておられる人もいるのではないかと思います。この高級住宅地には大きなゴルフ場があるくらいですから、宿泊施設まで歩いて行くには遠すぎます。とにかく、この日9時20分頃、フサガスガの家の前の道路に横付けされたバスに乗り、El Penonには10時40分に着きましたが、すぐには中に入れませんでした。全員の身分証明証を預け、一人一枚の入場許可証にサインをさせられ、顔写真も撮られました。それでも直ぐには入れず、入り口で1時間半も待たされました。さらに乗ってきたバスが中に入れず、タクシーで6往復してやっと宿泊住宅に着きました。泊まるのはいつも普通のホテルで、こんな所に泊まったのはもちろん初めてでした。
Palmiraの建築家の家の奥さんと長男の子供
Shakiraの別荘もある高級住宅地とは知らずに、門の前で長時間待たされたので気分を害していた僕ですが、大きくてもちろん一戸建ての大きな家が余裕を持って建てられている敷地内を走っているうちに、気分がほぐれてきました。そして我々が泊まる家に着いて、それは感動に変わりました。プールのある大きな敷地に建てられた住宅には、これまた大きなリビングルームの近くに3部屋の寝室、そして2階にも同数の寝室が設けられていました。住宅に入ると料理等を作ってくれる2人の女性が僕達を歓迎してくれました。彼女たちにはこの日の昼食と夜食、それに次の日の朝食と昼食の4食をご馳走になりました。プールの向こうには広大な敷地が広がっていました。そして100坪ほどある家の敷地境界には金網が張ってあったのですが、その向こうには体調1mほどのイグアナが佇んでいました。100坪(331㎡)ほどの敷地だけの価格でも一億円位と聞きました。そうなるとこの家一軒はいくらするんでしょうか?僕達が支払った金額はバス代、宿泊費、4食、全て入れて一人4,000円ですから、全員で約92,000~96,000円。これからバス代と食事代を除けばいくら残るのでしょうか。採算がとれるのかどうか心配になります。