(1)アカプルコからのメール
最初の砂浜、Melaque
二番目の砂浜、San Juan de Alima
Puerto Vallartaから太平洋沿いに1000キロほど南東に走ってアカプルコに着きました。ホテルに着いてシャワーを浴びてから、早速エスペランティストのLuisに電話しました。またエスペラント語が出てきません。スペイン語と英語にエスペラント語を混ぜてしゃべってしまいました。Luisは一時間後にホテルに来てくれ、すぐ家に来るかと言ってくれましたが、バイクから荷物を下ろしライディングの装束も脱いだので、今晩一緒に飲んで明日彼の家に移動すると言いました。そして今日、彼の大きな家に移ってきました。彼はクルマを二台も持っています。奥さんはお医者さんで、たいへん優しい女性です。今日三人で有名な高い崖からの飛びこみを見に行きました。きのうの夜はLuisと丘のてっぺんにある高級レストランに飲みに行きました。そこからの夜景は凄いものでした。 アカプルコに来る途中で、長い長い砂浜のある村や集落の四ヶ所で泊まりました。 Puerto Vallartaでは休暇期間中ということもあって、ずっと小さい砂浜は観光客でいっぱいでしたが、これらの砂浜では端が見えないほど長い砂浜にほとんど誰もいなくて寂しいくらいでした。そのうち二ヶ所のホテルでは、宿泊客は僕だけでした。特に最後に泊まった、アカプルコまで180キロのLa Barritaという砂浜では、実はホテルではなくレストランがついでに建てた宿泊施設なんですが、夜になるとレストランの人たちまでどこかへ帰ってしまうので、全く無人状態になりました。 日中は暑いのでビールを飲みながらハンモックに揺られ、ペリカンがひっきりなしに海の魚をめがけてダイブするのを見ていました。魚を捕捉する確立は分かりませんが、もし100%とすると30分もすれば魚が重くて飛べなくなるほど盛んに飛びこみます。ハンモックで海を眺めている間も、小型のカラスみたいな鳥が、何回も目の前を糸を引いたように飛んでいきます。ビーチの端にある岩山に鷹か鷲か知りませんが、群れを見ました。ビデオを撮るのに6,7メートルくらいまで近づいてら、そのうちみんなどこかへ行ってしまいました。岩山の下の砂浜には肉だけを食べられた30cmほどの大きな丸い魚がたくさん落ちていました。この鳥も魚を食べるんでしょうか? また砂浜の波打ち際では、磯シギでしょうか、数百羽の大群が波と追いかけっこをして遊んでいました。遠くからは蟹の群れと思って近づいていったら、一斉に飛び立ちました。
三版目の砂浜、Caleta de Campos.
四番目の砂浜、La Barrita
夜の砂浜は真っ暗で、日中数人見かけた人たちも去り、波の打ち寄せる音だけが聞こえます。白い波頭が月に照らされて輝いています。砂浜の写真はHPに載せておきました。 ロッキー山脈のキャンプ場以来、久しぶりに懐中電灯を取り出しました。電池が少なくなったので、出発前にアメリカから取り寄せた充電器で初めて充電しようとしたら壊れていました。台湾製と書かれていました。 「安宿のノラ」をホームページに追加しました。また、「 (2) バイク海外ツーリング - 1991 ~1998 年 」の英語版に「 (7) インド - 1998年12月 」を追加しました。グアテマラに着いて時間ができてから英訳しようと思っていたんですが、インドの友人から催促のメールが何回か届いたので、ちょっとキバッてみました。これで旅に出てから「 (3) 12の独り言 」を含め、エスペラント記事の英訳を全て終えました。長年の宿題みたいなものだったので、少しほっとしています。 日本はもうすぐゴールデンウィークですね。毎年の温泉ツーリングを思い出します。
メキシコ・シティーを出てから、インターネットでメールアドレスを見つけたアカプルコのエスペランティスト、Luis Ignacio Raudon Uribeにアカプルコで会いたいとメールを送った。すぐに返事が来て自宅に泊めてくれるという。去年の12月にアカプルコに行った時には、電話付きのホテルに泊まって一泊6000円も払ったのでありがたいことだ。きっとインターネットにアクセスするための電話も使わせてもらえるはずだ。 アカプルコに着くとすぐにLuisに電話した。一時間後にプジョーに乗ってホテルに来てくれた。Luisは一旦職場に戻って、夜の10時にまたホテルに来てくれた。山上のレストランで、アカプルコの素晴らしい夜景を眼下に眺めながら、二人で夜中の二時まで飲んだ。Luisは僕より少し若い49才で、言語や歴史のことなど何でもよく知っている。それもそのはずだ。よくわからないが、彼はどうやらマーケッティングみたいなことが専門で、メキシコシティーとアカプルコの大学で教えていたらしい。今はコカコーラの提携会社に勤めていて、余暇にはサルサのダンスを習っているという。 Luisは翌日の土曜日にもホテルへ来てくれ、ビーチの桟橋にあるレストランで、奥さんのBerthaと待ち合わし、三人でアカプルコの高層ホテル群を見ながら食事をご馳走になった。
ビーチの桟橋にあるレストランで、Luis、Berthaと食事
メキシコの中年女性は太めの人が多いが、Berthaは若い女性のようにスリムで、知的魅力に溢れた女性だ。医者だと言う。食事を済ませてから、Berthaは彼女のフォルクス・ワーゲンで自宅に帰り、僕はLuisのプジョーでホテルに送ってもらってからバイクに乗り、Luisの先導で彼の家に移った。大きな家だ。前庭の駐車場だけでも、僕が住んでいたアパート以上の大きさがある。僕には別棟の一室が与えられた。ホテルの部屋より広くてずっと快適だ。 家に入ると、高校生くらいの可愛いお嬢さん、 Elisaが待っていた。いかにも育ちがいいといった感じのElisaは日本語も勉強していると言う。何も僕を待っていた訳ではない。その日はLuisが週一回のエスペラントを教える日で、別の所にある教室でクラスを持つことになっていたのだが、彼女がその時間に来れなかったので自宅で教えることになったのだ。しばらくするとLuisの娘さんのDaliaが加わった。 ElisaはDaliaの同級生なのだ。いつもはこの二人に奥さんのBerthaも入って、Luisからエスペラント語を学んでいると言う。
Luisの家の大きな前庭
Luisはこの三人にエスペラント語を教えている。右から娘さんのDalia、奥さんのBertha、Daliaの級友Elisa。
断崖から海へ飛びこむ
夕方になって、四人でアカプルコで有名な崖からのダイビングを見に行った。若者が7~8人、見物人のいる崖から海に入り、向かいの急峻な崖を裸でよじ登る。まるでロッククライミングだ。半数はまだ小学生くらいの子供だ。この子たちは練習だろうか、崖の中腹から海に飛び込む。崖のてっぺんは35メートルもの高さがある。そこには十字架が置かれている廟みたいなものがあって、飛びこむ前に若者は、そこで祈りを捧げていた。一つ間違えば死が待っている。それを毎日一時間毎に繰り返すのだから、よく事故が起こらないものだと思う。 日曜日は、また四人でアカプルコの郊外8kmの所にある湖に行った。ボートに乗る。湖畔を取り囲むマングローブには、白いサギみたいな鳥がチラホラと留まっている。やがてボートは湖の真中にある島に向かって進み出した。島に近づくと、島の木は様々な鳥で埋め尽くされている。小さな鳥で埋め尽くされた木はメキシコで見たことがあるが、大きな鳥が鈴なりになっている木々は初めてだ。空にはたくさんのペリカンや鷹みたいな大きな鳥が飛んでいる。まるで夢でも見ているような感じだ。こんな豊かな自然が都会のすぐ近くに残されているとは実に羨ましい。大阪の野鳥公園には行ったことがないが、そこには果たしてどれくらいの鳥が見られるんだろうか。前回アカプルコに来た時にはホテルに閉じ篭って、一日中パソコンに向かっていたのでどこも見なかった。たまには外に出なければならない。アカプルコは思っていたよりもずっといい街だったのだ。
鳥の島
Berthaから、家の電気代が10年間で10倍に値上がりしたと聞いた。そしてその値段は日本よりもずっと高い。だから路上の電線から盗電する人が多いと言う。気が付かなかったが、ガソリン代も毎月値上がりしているらしい。確かに7年前と比べて倍ほどの値段まで値上がりしていて、世界でも最も高い国の一つの日本とあまり変わらない。でも、メキシコは世界有数の石油産出国だ。その理由を何回もメキシコ人に聞いた。みんな政府の失政が原因だと言った。 Berthaはお医者さんだが、最近は医者の仕事をしていない。今日は近所に服を売りに出かけた。彼女に聞くとメキシコの医者は仕事を見つけるのが難しい上に、日本のようには給料がよくないらしい。Luisは大きな会社に勤めていて、平均所得が日本よりずっと低いメキシコで、多分破格の高給なんだろう。彼らにはDaliaの他にRodrigoとJorgeという二人の息子さんがいて、三人の子供さんはみんな学生だ。長男のRodrigoはメキシコ・シティーの大学に行っている。公立大学の授業料は年間6万円くらいだそうだが、私立大学の学費は日本以上だ。大きな家の支払いもメキシコでは相当な金額で、僕が奈良の団地に払っていた家賃と変わらない。そこへ高い電気代とガソリン代が加わる。Luisの家にはプジョーとフォルクスワーゲンの二台のクルマがある。ガソリン代も馬鹿にならないはずだ。 メキシコ人からメキシコの平均月収は、3000ドルくらいと聞いた。Luis家では一ヶ月に1500ドル以上の電気代を支払っている。盗電が起こるのも無理はない。子供を大学に入れると一月に3000ドル以上要るとBerthaは言った。メキシコでは関税がかかるのでバイクは日本よりずっと高い。クルマも同じはずだ。月給3000ドルでは一生かかってもクルマは買えない。石油があるにも拘わらず、一般のメキシコ人の暮らしは苦しいはずだ。道路際に並ぶ墓のように、メキシコ人が暴走して国家的事故を起こさないことを祈る。
メキシコの経済には問題があるようだが、LuisとBerthaの関係は、傍で見ていて羨ましくなるほど良好だ。大学生の子供があるくらいだから二人の結婚生活はもう随分長いはずなのだが、二人はまだまるで新婚さんだ。二人にはマンネリという言葉が存在しないように思えるほど、実に新鮮だ。二人は学生時代に知り合ったと言う。学生時代そのままではないか。僕はもう多分結婚することは無理だろうが、もしそうなったら、こんな二人みたいな関係を持ちたい。 Luisはエスペラントがまだよくわからない僕に、言葉を選んではゆっくり、はっきりとしゃべってくれた。随分ストレスが溜まったものだろうと思う。グアダハラで遭った人から難しいスペイン語のメールが届いた。ひょっとして自殺前の遺言なのではないかと心配していた。Luisに読んでもらって、彼のエスペラント語での説明を聞いて少し安心した。
次男のJorge
半年近くメキシコを旅行していて毎日スペイン語を聞いていても、やはりエスペラント語の方が易しい。Luisのお陰で少しエスペラント語に自身ができてきた。 Berthaは実に易しい女性だ。お医者さんということもあって、一日に何回も少しずつ食べるよう、僕の胃のことに気を使ってくれた。でも決して無理強いはしない。知的な人のいいところだ。彼女には一時間ほど、医学書を使っての白血病の講義を受けた。彼女からはスペイン語も学んだ。 次男のJorgeは高校二年生だ。日本ではこの年は大学受験で大変なのに、悠然としている。自分で撮ったビデオを編集したり、パソコンでチャッティングしていた。よく友達も遊びに来る。僕がアカプルコを出る日には、カンクンでサッカーの試合があると言って、朝早く家を出ていった。彼には新しい音楽ダウンロードのソフトを教えてもらった。 娘さんのDaliaとは英語でしゃべった。きれいな英語をしゃべる。私学の高校一年生で、小学校から英語を勉強しているという。そこにエスペラント語なんだから、末が恐ろしい。 Luis家はいい家族だ。僕は思った、夫婦の仲がいいのがきっと最高の教育であり、平和な家族を築くんだろうと。