136jp

雨と雹のボリビア

Copacabanaの町

ホテルの部屋から見たCopacabanaのビーチ

チチカカ湖の真中には国境線が引かれていて、西半分がペルー、東半分がとボリビアだ。ボリビア側の国境に、チチカカ湖畔に面したCopacabanaという小さいが観光客が多く訪れる町がある。教会から湖に向かって軽い坂を下る通りが唯一の賑やかな通りで、洒落たレストランが軒を連ねている。5年ほど前までは静かな町だったらしいが、観光客が増えたのでホテルも多い。安い宿は一泊200円ちょっとである。僕のホテルは観光客が集まるビーチに面していて、大きな窓からはビーチで遊ぶ人達や小さな入り江に繋留されているボートがたくさん見える。部屋は、三つもベッドが置かれている大きな部屋で実に快適だ。この町では一番いいホテルかもしれない。それなのに料金は朝食付きで、一泊520円という安さだ。安い上に居心地がいいし、さらにこの町ではマスカットから造られた酒が一瓶300円、ヨーロッパ系のタバコが一箱28円で売られていることもあって、クリスマスを挟んで一週間も泊まることになった。インターネット・カフェも3~4軒ある。しかし少し高い。ペルーでは一時間50~60円だったのに、ここでは150円ほどする。レストラン、ホテル、インターネット・カフェとここまではいいのだが、不思議なことに銀行は窓口が一つの小さなものしかなく、ガソリン・スタンドもない。まだ歴史が浅いのでそこまでは追いついていないのかもしれない。それだけに安全で、人も擦れていない。その人々の顔がペルーよりも一層純粋のインディオの顔に近づいてきた。僕のようなアジア系の顔に近い人もいる。そのせいか、ホテルやレストランで数回、外国人観光客から従業員と間違えられた。昔、ネパールでは土地の人からも、日本人観光客からもシェルパと間違えられたことがあるが、それ以来だ。

La Paz

Copacabanaからラパスに向かった一日は最悪の日となった。朝起きると二日酔いで少し気分が悪かった。ホテルの近所の店で買った10リットルのポリタンに入ったガソリンが悪かったのか、出発しようとしたら、駐車場の出口でエンジンが止まった。駐車場を出るとすぐ上り坂で右折した時に、またエンジンが止まった。そしてバイクが傾き、支え切れずにバイクを倒してしまった。走り出したら胃がむかついて途中で何回も吐いた。ホテルを出るとき晴れていたのに、一時間ほど走ると前方の空が真っ黒になった。カッパを着ていないのに大雨の中を走ることになった。アンデスに雨が降ると日本の真冬のように寒い。さらに雹まで降りだし、それが弾丸のように顔を打つ。ここではフルフェースのヘルメットが必要だ。あいにく取り外しのできるチンガードは、北米・中米と使わなかったのでボゴタに置いてきた。ラパスの手前の町で道路がなくなり、小さな公園に出てしまった。大きな道路が目の前に見えているのに行けない。まだ雨は降り続いている。路地を引き返そうとしたらひどい泥道で、重いバイクを180度回転させるのに苦労した。ラパスは4,000mの高原から400m降りた谷底にあって、市の中心まで通じている道路は一本だけなので迷うことはなく簡単だった。しかし市内の一方通行は複雑で街区半分を戻るにも大きく遠回りをしなければならない。やっとガイドブックで調べておいたホテルに着いたと思ったら、駐車場がない。次のホテルに行ってもない。ラパスの街にはやたらと警官が多い。その一人に駐車場のあるホテルはないかと尋ねると、観光警察へ行けと言う。観光警察は、ラパスには駐車場のあるホテルは極めて少ないという。しかし一軒の安宿を教えてくれた。迷いながらやっとそこへ辿り着いた。しかし、近所に公共駐車場はあるがホテルの駐車場ではない。雨の中、駐車場からホテルまで大きな荷物を運ぶのは嫌だ。当てもなくまた走り出したら立派なホテルが見えた。四つ星のホテルで、僕には関係ないと思いながら値段を聞くと70ドルと答える。そのホテルでもう少し安いホテルを教えてもらった。そのホテルは三つ星で35ドルと言ったが、25ドルにしてくれた。すでに雨の中を4時間半も探し回っていたので諦めてそこに泊まることにした。高いので一泊だけしてラパスを出ることにしていた。ホテルのガレージにバイクを入れると、どっと疲れが出てきた。口?利くのも大変だった。ホテルで初めて、バイクの荷物を部屋まで運んでくれるよう頼んだ。部屋に入るとすぐベッドに横たわり、そのまま17時間半眠ってしまった。お陰で2泊分50ドルも払うことになった。二日目の大晦日はほとんど何も食べられず、便所で胃液だけを吐いていた。そしてラパスは雨だった。

大晦日の深夜12時、ベッドの中で何発もの花火の音を聞いた。それで新年を迎えたことを知った。翌朝8時に目が覚めた。幸い胃の調子は少し回復している。きのう吸えなかったタバコが吸える。そして雨は降っていない。ラパスを出て南220kmにあるOruroに向かうことにした。ラパスを出るとすぐに雨が降り出した。また激しい雨と雹だ。Oruroに着くと、狙いを付けていたホテルには幸い駐車場があった。このホテルも三つ星だが、トイレなしの700円の安い部屋があった。屋根が全部硝子張りの明るい大きなレストランがあり、さらにインターネットが使える部屋まである。僕はこのホテルに一泊し、バイクと荷物を預けて、塩の砂漠を見るため、西南に汽車で8時間のUyuniへ行くことにした。この地方に雨季が来た。乾季でも僕の腕とバイクでは走れないダートの道をぬかるむ雨季に走れるはずがない。

Oruroからチリまでは塩の砂漠を縫って汽車が走っている。僕が行くUyuniはその中間くらいだ。朝8時半に切符を買いに駅に行った。駅は切符を求める人で長蛇の列だ。僕はマチュ・ピチュへの汽車の切符を買う時に、パスポートが要ったことを思い出した。駅員に聞くとやはり要ると言う。ホテルへ帰り、パスポートを持ってまた駅へ戻った。9時10分だった。順番待ちの番号札をもらうと90番も後だ。駅員に待ち時間はどれくらいかと聞くと1時間と言う。僕は2時間かかると思った。そして2時間かかった。バイクで旅をしていると、このような苦労はない。しかし一方、汽車やバスの旅は辛抱を覚えるには良いのかもしれない。

Oruroの駅

水のあるUyuni塩盆

水のないUyuni塩盆

アンデス山脈はチチカカ湖で東西に分岐し、チチカカ湖の南に縦長の楕円形をした大きな高原を作る。楕円の南はチリとアルゼンチンだ。Uyuniはその高原の南で東アンデスの麓にある。そしてUyuniのすぐ西側には海のように大きなUyuni塩湖がある。塩湖と言っても一年の9ヶ月は水はなく、塩の砂漠だ。今は雨季が始まったので、塩盆の大部分には水が溜まっている。しかし水の溜まっていない所もあって、そこは本当に塩の砂漠だ。塩は大きさが50cmから1mの五角形や六角形の、亀の甲羅のような模様を作り、それが地平線の彼方まで真っ白な平原となって続いている。水の溜まっている所でも水深は最大10cm位なので、そこを僕達ツアー客を乗せたTOYOTAのランド・クルーザーが走る。運転手兼料理係の二人に加え、乗客は僕の他イスラエル人の女性二人と男性一人、フランス人男性、それにドイツ人男性だ。いずれも20才代の若者だ。Uyuniに来るまで雨が降っていたのに、幸い空は晴れ上がった。塩原に溜まった水はまるで鏡のように、くっきりと青空と白い雲を映している。遠くの雪山が水の鏡に映って美しい。鏡の上を進むクルマは、まるで湖の水面を走っているようだ。やがて空と水面の境界が分からなくなった。前方に青空と雲だけが広がっている。僕達はまるで大空を飛ぶ飛行機に乗っているようだ。ランド・クルーザーは果てしない幻想の空間を泳ぐ。塩原だけしか見えない乾季でなくて、むしろよかった。

ランド・クルーザーはUyuni塩盆の真中で南に向きを向け、少しずつ西に寄って西アンデスに入る。そこからはチリとの国境線沿いに南に進む。雪を被った高い山もいくつか見える。この辺りの標高は4,200mを越えている。高度が高いので辺りには木はない。草もほとんど生えていない。山と山の間には湖が点々と続く。湖にはフラミンゴが群れをなしている。山裾には野生のビクーニャが散歩している。ダチョーも一羽クルマの前を横切った。湖が果てると4,500mの高さに砂漠が続いた。ペルーの海岸砂漠でも風は強かったが、高地の砂漠の風はさらに強かった。走るクルマは全てランド・クルーザーだ。それが砂漠に陸上競技場のトラックのような何本もの平行線を残していく。砂漠が果てると、また湖がいくつか現れた。その一つの湖には温泉があった。湖のすぐ側から地表に湧き出した温泉は自然の湯槽を造り、湯気を立てながら湖へ流れ込む。湯温は30度。ちょっと物足りないが、湖面に映る山と青空、その湖面に群生するフラミンゴを見ながら、僕は三日振りにヒゲを剃り、頭を洗った。最高の入浴だった。大自然の中、4,350mの高さにある美しい温泉だった。

空を飛ぶように湖を走るランドクルーザー

TOYOTA Land Cruiser

アンデスの湖にはフラミンゴが群生している。

アンデスには砂漠がある。

僕達を乗せたランド・クルーザーは、西アンデス山中をさらにチリとの国境近くまで南下した。そこには緑色の湖があって、湖の対岸には5,916mの火山が聳えている。火山は国境線上にあって、反対側はチリだ。火山の東側にも山があって、その向こうはアルゼンチンだ。火山の山裾にボリビア側の国境の小さな建物だけがポツンとある。僕達のランド・クルーザーは、同乗していたフランス人のJulienとドイツ人のGeronimoをそこに降ろした。彼等は何もないこの山中から30kmほど離れたチリのSan Pedro de Atacamaという町に向かった。そこにはもう一つの温泉がある。僕は遥か北のOruroにバイクと荷物を置いてきたので、このままチリに入る訳にはいかない。西アンデス山脈をチリに越える舗装路はずっと北まで戻らないとない。僕はそこまで戻り、チリ側のペルーとの国境の町、Aricaに入り、大きく迂回して、目の前の火山の向こう側にある温泉まで帰ってくる。バイクなしで一時出国できたとしても、次に本当に出国する時の手続きが心配なのだ。国境とは本当に難儀なものだ。

4,350mの高さにあるアンデスの温泉

Uyuniからは夜行バスでOruroに帰り、バイクを預けておいたホテルで三泊した。四日目の朝、いよいよチリの国境に近い町まで行こうとすると、雨だ。ボリビアへ入ってからはずっと雨の中の移動だ。2年7ヶ月のバイクの旅で、にわか雨にあったことは三回だけ記憶している。アメリカで一回、カナダで一回、そしてグアテマラで一回だけだ。ホテルを出て雨の中を走り出すのは初めてだ。しかし思いきって出た。チリの北の果ての町、Aricaに向かうボリビアの道は見事で、雨の中でも90kmくらいで走れた。アンデスを上るにつれて、雨はまた雹に変わった。寒い。グリップヒータはボリビアに入ってから、ずっと「強」に入れたままだ。それでもグリップを握る指の感覚がなくなってきた。チリとの国境近くにSajamaという雪に覆われた高い火山がある。標高は6,542mでボリビアの最高峰だ。その麓に同じ名前のSajamaという町があって、ホテルがあると聞いたのでそこに泊まるつもりだった。しかし舗装道路からSajamaまでは12kmのダートだった。他にクルマは全然走っていない。こんな所で転倒したら一人ではバイクを起こせない。しかも雨だ。1kmほど走って引き返した。国境に向かって1kmほど走ると村があった。村の入り口でどこか寝られる所はないかと聞くと、あると言う。戸数50の小さな村に運良く、民宿みたいなものがあった。宿泊料は140円だ。

チリとの国境線上にある5,916mの火山。火山の向こうがチリで、そこにはある温泉まで僕は再び戻ってくる。

国境まで10kmのLagunasの村

民宿で出してくれた夕食は干し肉に、玉子のフライ、そこにポテトフライが付いていた。僕はポテトフライは普通はほとんど食べないが、ここのは本当に甘くて美味しく、全部食べた。ジャガイモはアンデスが原産地だと聞いている。本物のジャガイモだったのかもしれない。夕食を済ませて夕暮れ前に外へ出ると、雲で山裾しか見えなかったSajamaの山が頂上まで見えた。Lagunasというこの村の標高は4,300mもある。6,542mのSajama山と言えども、標高差は1,200mちょっとだ。見ていると簡単に登れそうだ。村人に登った人はいるのか、と聞くとたくさん登っていると言う。そして五人の外国人登山者が死んだという。考えてみると、この山は北米大陸最高峰で6,194mのマッキンレーよりも高いのだ。Lagunasの村の西側にも6,000mを越える白い山々が見える。そこはもうチリで、ボリビアの国境はこの村から10kmだ。