(1)2001年10月16日 ニューテキサス州Albuquerqueからのメール
10月12日にダラスを出て、国道287号線で西北西に進みインターステート40号線との合流点にあるAmarilloという町を通り、ニューメキシコ州のAlbuquerqueに昨日着きました。ここのモーテルは税込みで23.95ドルという安さだし、4ヶ月ほど前になりますが、旅の二日目のキャンプ場で遭った人が住んでいるので、もう一泊するつもりです。彼とはきのう電話して、今夕会うことになっています。彼も役所を早期退職したそうです。もともと岩石が専門らしく、今もクルマであちこちの山に分け入り石を捜し求めています。彼とはしばらく連絡が取れませんでしたが、この間もユタ州の方に行っていて、ちょうど帰ってきたところでした。
Amarilloからはルート66を走ってきました。シカゴを出たルート66はロスアンゼルスまで続いていますが、僕は西隣のアリゾナでルート66を離れ、またユタの国立公園を通り、ネバダ州を抜けてカリフォルニアに帰るつもりです。カリフォルニアでは、二輪免許を取るつもりですが、テロの影響で難しくなっているのではと心配です。でもとにかく試みてみます。
ニューヨークのテロ発生から一ヶ月が経った日にダラスを出て、国道287号を北西に進む。心配していた天気だが、運良く朝から晴れ上がっている。ほんとに今回の旅は天気に恵まれている。途中、タバコ休憩をして走り出すと、ウィンドシールドがガタガタと音を立て出したので、すぐにバイクを止めて見てみるとウィンドシールドの四本のステーの内の一本が、ボルト止めしている所でちぎれている。大したことはないがBMWの初めてのトラブルだ。行く手の空も雨模様だし、明日は土曜日、溶接は今日中に済ませたい。4時前にモーテルに入る。最寄りの溶接屋をモーテルで調べてもらう。4~5キロの距離にある。明日は休みで今日は6時までだ。バイクの荷物を部屋に入れようとすると、大雨だ。やきもきしながらも時間が過ぎる。雨は30分で上がる。まだ間に合う。溶接屋に見せると、「これがアルミだと溶接できませんよ」と言って磁石を取りに行く。BMWは小さなネジまでステンレスを使っていて、ほとんど全てが非鉄金属で造られている。いやな予感だ。またBMWのバイク屋を捜しながら1000kmも走らなければならないのか。しかし、磁石は着いた。鉄も使っているんだ。嬉しい反面、少し悲しい気もした。溶接代は10ドルだった。
国道287号線はAmarilloでインターステート40号線とぶつかる。
ルート66沿いの静かな町
ルート66沿いのカフェ
ナット・キング・コールのルート66の歌、“... Get your kicks on Route 66. ... Amarillo, Gallup, New Mexico..." の、あのAmarilloだ。だが、地図を見てもルート66はどこにも見つからない。アメリカから取り寄せた本には詳しく載っていたが、厚くて重いのと、滅多に見ないのでダラスに置いてきた。偶然、Amarilloにあるモーテルについての所在地案内地図にはルート66と書かれた道路がある。そこへ行く。インターステート40号線の近くを平行に走っているので僕の記憶と一致する。でも交通標識は別の通りの名前になっている。しかしこれしかない。数キロほど行くとインターステートではなく国道40号線にぶつかる。無視してまっすぐ進むと道は行き止まりだ。仕方なく国道40号線に戻ってそのまましばらく走ると、国道40号線の交通標識の下に、"Old Route 66"の標識も架けられている。やっぱりこれだ。隣を併走するインターステート40はどんどんクルマが走っているのに、ルート66はゼロに近いほどクルマは少ない。最高の気分だ。しかし100キロほど走ると、一本しかなかった道が途中で消える。仕方なくインターステート40に戻り西を目指すと、程なくツーリスト・インフォーメーションの看板が見えたので、バイクを止めルート66の地図を手に入れる。地図を見ると、ルート66はインターステート40を右に左に縫うように走っていて、途中で何ヶ所か切れている。なるほど、この切れている所でインターステートに乗ればいいんだ。しかし、実際に走ってみると、その切れ目がどこだかわからず何回も道は行き止まりになる。「行き止まり」の標識があったのは一ヶ所だけだ。一度は牧場の家に迷い込んでしまった。なるほど、どれだけ交通量が少なくても誰も走らないはずだ。
Amarilloからルート66を西に進むと180キロほどでニューメキシコ州に入る。
ルート66沿いの牧場
テキサスで続いてきた農場や牧場は姿を消し、半砂漠の土地が広がり始める。ルート66は、歴史の中に置き去りにされたまま、黙々と西に伸びる。40~50キロ毎に小さな町を通るが、中にはゴーストタウンのように寂れ、静まり返ったところもある。しかし、大事なことに気が付いた。モーテルが安いのだ。今までいくら安くても30ドルはしてきたモーテルだが、21~22ドルの看板をかけたモーテルがどんどん続く。中には15~16ドルのモーテルもある。信じられない。この値段は8年前に西海岸を走った時の値段だ。モーテルの料金までタイムスリップしている。ここは合衆国のニューメキシコだが、15ドルとなってくると、メキシコに近い値段ではないか。 手に入れた地図ではルート66はSanta Rosaの少し東で国道84号線になり、北のSanta Fe まで大きく迂回している。インターステート40を出て国道84号線に乗ると遠くに山が見えてくる。ロッキー山脈の東南の端なんだろう。半砂漠の原野をまっすぐに伸びる道には不安になるくらいクルマが走っていない。風が強く、しかも寒い。10月の15日は日本でもこんなに冷え込んだだろうか。今朝、一番厚手の手袋に替えたのに指が冷たい。グリップヒータのスイッチを「弱」に入れる。効かない。「強」に変える。山が近づくにつれ次第に木が増えてきて、道路もくねり始める。山はアパラチア以来だ。バイクのツーリングにはやはり山道の方が変化があって楽しい。一時頃にSanta Feに着く。かなり暖かくなってきた。南のAlbuquerqueにはこの旅行の二泊目のキャンプ地で遭った人が住んでいるので、その街まで行くことにする。ルート66は、Santa Feの少し手前からインターステート25号線と平行して走っているが、かなりの部分は25号線に吸収されている。また何回も道を間違える。二時半にAlbuquerqueに着く。ルート66は古い道だから、そこには日本の宿場町みたいに宿がたくさんあるだろうと思っていたが、ない。
ルート66
ルート66の横を走る長い列車
仕方がないのでアメリカ中に低料金モーテルを展開している「モーテル6」のディレクトリーを出して料金と場所を確認する。一泊29.99ドルでうまい具合にルート66沿いにある。この道沿いだ。しかしおかしい。モーテルの略図のルート66は東西に走っている。今、僕は北から南に走っている。また例によってその辺の人に聞く。本来のルート66はAlbuquerqueではセントラル・アベニューという名前で街の中心を東西に横切っているのだ。ダウンタウンに入るのはいやだが仕方がない。しかし行ってみると、何のことはない。人はほとんど見かけず、クルマも少ない。東京や大阪を想像するからいけないのだ。モントリオールでもトロントでも、またマイアミでもそうだった。超高層ビルが立ち並ぶ通りでも閑散としていて、これでビジネスが成り立つのか心配になったほどだ。「モーテル6」を目指してセントラル・アベニュー走っているとモーテルが何軒も見えてきた。軒並み21~22ドルだ。当然「モーテル6」は忘れその内の一軒に投宿する。バイクを止めて降りると、汗ばむほどの暑さだ。この気温の変化は何だ! 6月の中頃にカリフォルニアのRohnert Parkを出てしばらくすると、左足に少し痛みを感じだした。毎日重いバイクを左足のつま先だけで支え、同時にチェンジを切り換えるのによく使うからだ。しかし大したことがないのでそのままずっとAlbuquerqueまで走ってきた。それが本格的に痛み出してきて、ビッコを引いて歩くようになった。そしてとうとう痛みのために夜も眠れなくなった。翌朝、 Albuquerqueのモーテルを出る時、太った女がバイクに近づいてきて「足が痛いんですか?」と話しかけてきた。「足のこと、なぜ分かったんですか?」と聞くと天からお告げを聞いたので、"Reiki" で治してやる」と言う。しばらく話をしていて「霊気」だと分かる。「いくらですか?」と聞くと「とんでもない、無料ですよ」と言うので、ダメでもともと「お願いします」と左足を彼女の前に出す。彼女は、ぶつぶつ祈り事を唱えながら左足のブーツの上に両手の指を沿わせる。精神を集中して指先から何かエネルギーを照射しているようだ。僕も彼女に合わせて目をつぶり心を集中しながらも、時々は目を開けバイクに置いた荷物がなくなっていないことを確認する。「治療」が終わると、彼女は左足の痛みはバイクからでなく、感情を司る右脳からきているという。日本でも「病は気からと言いますからね」とか言いながら、脳の話や現代科学の不完全さなんかをしゃべりあう。そのうち、彼女と一緒に旅をしている男女も加わり横で我々の会話を黙って聞き出す。彼女との会話が楽しかったからか、あるいはご利益があったのか、バイクに跨ると左足の痛みは少し和らいだような気がした。子供の頃風邪をひくと決まって、向かいに住んでいる天理教のおばさんが我が家に来てくれて、呪文を唱えながら背中を両手でさすってくれたのを思い出した。その時も、いつも少し楽になった記憶がある。
Albuquerqueを出てGallupまで、またルート66の跡を追う。ルート66はここでもインターステート40に乗ったり、また離れて別の国道に乗り換えたりしながら西へ進む。現在の国道名とは別に、時々 "Historic Route 66" の標識が現れるので道を間違えてないことがわかる。
テキサス州のAmarilloからずっとたどってきたルート66を
ニューメキシコ州の西の端Gallupで離れ、ここから少し北寄りを走る国道264号線に乗り換え、グランド・キャニオンの北の方向を目指す。Gallupを出るとすぐにアリゾナ州に入る。テキサス、ニューメキシコではメキシコ系の人が多かったが、ここではアメリカインディアンが多い。国道264号線は、インディアン居住区の中を、砂漠と呼んでいいような荒野の中を、西に進む。時々粗末な住居の集落を見るが、それ以外は何もない。ここの人達はどうやって生計を立てているのか、またアメリカの東に広がる緑の土地からこんな荒野にまで追いやられたきたアメリカインディアンの歴史を想像しながら西へ進む。彼等の歴史の暗さとは逆に、ダラスを出て以来空は明るく晴れ上がったままだ。アリゾナに入ると気温も上がって、最高のツーリング日和だ。 国道264号線は、アリゾナ州の北部で160号線に当たる。この道は6月25日にグランド・キャニオンからモニュメント・バレーの行く時に通った道だ。それから4ヶ月近く経った。カリフォルニアを出て北米大陸を回ってくるのに、R1100Rの距離計は2万キロ走ったことを示している。地球のほぼ半周だ。遠い道のりだった。
インディアン居留区
インディアンの住居