(1) 2001年6月18日 ラスベガスからのメール
Topaz Lake のカジノホテルを出てからYosemiteとその南にあるKings Canyonの東裏にある三つのキャンプ場で4泊しました。最初のキャンプ場では、僕と同じく53才で公務員を早期退職した人で現在57才のジョンという人話が合って、晩ご飯をご馳走になり、当然酒盛りも始まり夜遅くまで話しがはずみました。ニューメキシコに住んでいるのでメキシコに下る前に彼の家に寄る約束をしました。彼のお嬢さんは登坂かでYosemiteで登坂訓練をしていても近い内にK2に登るそうです。翌朝はイスラエルのキブツから来たと言うご夫婦に朝食をご馳走になりました。カリフォルニア辺りは夏時間で9時まで明るく、バイクで走っていて4時や5時になってもまだまだ走れると心に余裕ができます。太陽が沈めば寝、登れば起きるという生活で、何十年ぶりかで胃は元の健康な状態に戻り、目下完璧です。どのキャンプ場でも当然夜は真っ暗で、一人では何にもすることがなく、ただ空を仰いで星を眺めています。星の数があまりにも多すぎ、そのためいろいろな星座の形を自分で見つけてしまって、日本から持ってきたプラネタリウムのソフトにある正しい星座なんかクソ食らえと言う気になります。ひっきりなしに動く星が見えます。東へ向かう飛行機なのです。
マイケルの住むRohnert Parkを出て東へ向かった。やがてシェラネバダの山に入る。平地と違って山の夜は冷える。寝袋を二枚使ってもちょうどいいくらいだ。シェラネバダ山脈の東麓をキャンプしながら南下する。この山脈の南麓にはホイットニー山という、アラスカを除く合衆国で最高峰があるくらいで、山々はその名が示すとおり頂にまだ雪を抱いている。ホイットニー山から東は砂漠だ。灼熱のDeath Valley がラスベガスまで横たわっている。
ラスベガスは砂漠のど真ん中にできた賭博の街だ。
ラスベガスの東も砂漠化した禿げ山が続く。南東に50kmほどのBoulder City の入り口で、道を確かめるため路端にバイクを止めようとした。エンジンを切る。サイドスタンドを出そうとするが、道路の中央側が高くなっているので、右側通行のアメリカではさらに右側へバイクを傾ける。バイクは右側に落ちてくる。右足のつま先で必死に支えようとするが、荷物を入れると280kgの重さだ。もう無理だ。旅に出てまだ10日しか経っていないというのに二度目の転倒だ。バイクを止めるのが本当にこわい。短足に生んだ両親を恨むより仕方がない。お陰でまだ付けたばかりの新品のエンジンガードの塗装が剥げてしまった。 グランドキャニオンとモニュメントバレーでは当然キャンプだ。
太陽が一日の労働を終え最後の残り火を燃やし尽くすと、やがて大地は暗黒の眠りにつく。すると星たちが賑やかな晩餐を始める。キャンプ場には何もない。電気も電話もテレビもない。あるのは暗闇と静寂だけだ。しかし、空だけは明るく、賑やかだ。だから自然と、目は空に上る。それしか見えないのだ。天空の北斗七星だけは分かる。あとは無数の星が輝き、星座すらはっきりしない。パソコンのプラネタリウム・ソフトにない小さな星までも大きく輝いて、その小さな星たちが勝手自由に星座を形取る。だから天文学者か誰かが決めた星座は忘れ、自分勝手にきままな形を見つけ僕流の星座を決めることにする。そうこうしている内に僕は思う、傍観者にならず星たちの宴会に加わらねばならないと。そうすると、やっぱり今夜も酒を飲んで、タバコを吸わねばならない。要するに僕は不良なんだ、不純なんだ。星と語るとき、生来シャイなためなのか、これが要るんだ。いや、脳細胞がもはや退化してしまっているから、これらを刺激して目覚めさす毒物が必要なんだろう。 しかし、あなたは思うだろう、
曇っていて星のない夜はどうするのかと。実は内緒にしていたのだが、ラジオなんだ。こんな片田舎の、自然のまっただ中のグランドキャニオンで、モニュメントバレーでFMが入るのだ。ノートパソコンの電気が取れないので日頃聴き狂っている高橋真梨子はあきらめて、アメリカンミュージックを子守歌にしてテントで寝ることにする。日本を出る前にソニーの超高性能イヤーホーンを7000円も出して買った。あまりの迫力に子守歌にはならず、ついつい興奮してしまう。寝不足を防止するためには、ソニーを捨てることだ。 今晩は初めて曇っている。周りは、空も大地も真っ暗だ。今宵は星とのデートは諦めよう。星のない夜もいい。夜風が背中をなでる。この気持ちよさは都会で感じ得たか。まるで背中をキスされているようだ。
モミュメント・バレー。夕日に映える三つの岩山は幻想的だった。