(1) 2001年12月24日 Cancunからのメール
メリー・クリスマスです。そちらはクリスマスですが、こちらカンクンはクリスマス・イヴです。日本は寒くてクリスマスの雰囲気がしますが、こちらはお盆の感じです。でも、僕は就職してからはほとんど毎年暑いところでクリスマスを迎えてきたので、この方が旅情があってしっくりします。このところパソコンでジャズのクリスマス・ソングを聞いて、クリスマスの雰囲気を盛り上げようとしています。
さて問題のウィルスですが、先日SONYのビデオカメラからPCに写真が取り込めなくなったので、ちょうどいい機会だと思ってディスクを初期化しOSを再インストールしました。完全にシステムを回復できるか不安を覚えながら思い切ってやってみました。インターネットなどはまだチェックできていませんが、全て回復できたと思います。ただ肝心のカメラから動画を取り込みことが依然としてできません。消去法でいろいろやってみたんですが、ハードウェアに問題はなく、今のところはバックアップ用に持ってきたソフトがWindows98に対応していないものしか持ってこなかったのかな、と思っています。それで今回の旅日記「メキシコ人が好きだ」には写真を載せることができませんでした。 SONYのビデオカメラは記録容量が多くので何としても回復したいんですが、とりあえず安物のデジカメでも買おうかなとも思っています。とにかく、僕のコンピュータからはウィルスはなくなったはずですから、安心してください。再インストールしてからはコンピュータの動きが速くなり、フリーズもしなくなりました。さらに高橋真梨子の歌が、元の迫力を取り戻しました。写真が取り込みさえできれば、ウィルスも大いに役に立ったと言えるんですが…
Villahermosaから東に100キロほど走り、またシエラ・マードレの山に向かって南に30キロほど走ると、山麓のジャングルの中にマヤの代表的な遺跡パレンケがあります。
マヤ遺跡、パレンケ
有名な遺跡ですからホテルは高いんだろうと思っていましたが、不思議と全く逆でむちゃくちゃ安く、一泊770円でした。メキシコの最安値です。安いのに加え、雨も降ったので三泊しました。 Villahermosaからまっすぐ東へカリブ海に当たるまで走るとベリーズとの国境の町Chetumalがあります。ベリーズは小さな国ですが、物価が高い、ビザが要る、時間がないという理由で入国しませんでした。一日で走り抜けてしまうほど小さく、しかもジャングルだけしかないはずなのに、なぜ物価が高いのか不思議です。その国境の町からカリブ海沿いにユカタン半島の北の端まで走ると、最近は日本人にも有名なカンクンがあります。パレンケからカンクンまではずっとジャングルです。道路の近くにはマヤの遺跡がたくさんあります。メキシコでは雨は降らないと思っていたのに、ユカタンでは降るんですね。パレンケからカリブ海に出るまでは500キロほどあって、途中で二泊したんですが、三日間雨にたたられました。なるほどジャングルが生い茂るはずです。雨に打たれながらバイクの上で考えていたんです。雨が降らなくて砂漠化したんなら無理はないけど、そうでもないのにマヤの人たちは、どこからかあれだけの石をジャングルを掻き分けて運んできて築き上げた都市を捨てて、どうしてどこかへ消えてしまったのかと。 遺跡の村で州都から出張してきていた二人の公務員と、夜、僕だけ飲みながら数時間しゃべりました。1リットル125円のアグアルディエンテという30度のサトウキビでから造られた蒸留酒なんですが、二人のうちの一人は一杯だけ飲んだだけで、それ以上は手を出しませんでした。やっぱり美味くないんですかね。一滴も飲まなかった方の人の話によると、マヤ語というのがあって、外国人の中にも勉強している人たちがいるそうです。一度メキシコ人から「マヤ語、しゃべりますか?」と聞かれました。インディオはどちらかいうと、僕みたいに丸くて平坦な顔をしている人たちが多いようですが、マヤの遺跡に残された人たちの顔は大きな鼻に長い顔で僕とは正反対です。アメリカに近い北の方で、遺跡に出てくるような顔をした女の人を見たことがありました。ユカタンに近いベラクルスの出身だと聞きました。そんな顔の人、あまり見かけないいんです。どこに消えたんでしょうか?
寒さから逃げるため、モントリオールは8月中、アメリカは11月中に出る、カンクンにはクリスマスに友達が来るというスケジュールで、時間はいくらでもあるのに本当に駆け足の忙しい旅をしてきました。もうタイムリミットというものがなくなったのと、アカプルコで三ヶ月の滞在延長許可を取ったので、カンクンの後はやっとゆっくりした気ままな旅ができます。
少し遅れましたが、新年おめでとうございます。
年末、年始はカンクンで過ごしました。
信じてもらえないと思いますが、ホテルは世界の高級ホテル、シェラトンでした。クリスマスには、これまたハイアットに泊まりました。もちろん生まれて初めてで、これが最後だと思います。この先、旅のどこかで言いふらしてやろうと思っていますが、軽蔑されそうなので、やっぱり止めときます。両方のホテルで合計6泊しましたが、一泊平均が2万円ほどかかっているので凄い大金です。これは友達が払ってくれたのですが、そのお返しで、毎晩の食事代とコスメル島の中級ホテルの4泊分の宿泊代は僕が払いました。カンクンのリゾート街はJ字形の細長い島の上に造られています。民家はなく、世界の高級ホテルと高級レストラン、それに高級みやげ物店だけのある無機質の人工的な所で、メキシコの町ではありません。
コスメル島を潜るダイバー
ラスベガスが砂漠の幻想なら、カンクンは海上の幻想といったところです。ラスベガスは安いホテルもたくさんあるんですが、ここでは皆無です。短期旅行で、どっとお金を使ってもらうようにメキシコ政府が計画したところなんでしょう。ここではメキシコで初めて消費税を取られました。ハイアットでは、冷蔵庫のビールは当然スーパーで買ってきたビールと差し替えましたが、部屋に置いていたミネラルウォーターを2本飲んでしまい、ホテルを出る時に1600円ほども取られて言葉を失いました。メキシコでは安ホテルでも水はサービスでタダなんです。缶ビールも一本500円くらい取っていましたから、スーパーのビールの6本分です。シェラトンでは市内通話料として一回に付き240円も取られました。また日本にコレクトコールしたら、その接続サービス料として700円も取られたのには唖然としました。高級ホテルとは、そしてカンクンとは、おそろしい所です。そのためではないでしょうが、メキシコに入ってから完調であったはずの胃まで悪くなり、カンクンではゲロゲロが何回も戻ってきました。カンクンでの出費は、この旅で一番大きいものになってしまいましたが、そのビーチは目の細かい白砂で、?まで行った世界のいろいろなビーチの中でも最高の部類に入ると思います。コスメル島の海の透明度は50メートルを越えると書かれていましたので、ダイバーの舟に便乗し、シュノーケルをつけて覗いてみました。30メートルくらいは見えましたが、少し期待はずれに終わりました。僕が今まで見た中で最高の透明度を持った海は、まだ観光客の少なかった頃に行ったミクロネシアのヤップ島で、潜っても全然海底が近づかないほど深い海底が見えていました。
ユカタン半島に入ってからは気温が下がって、夜はジャケットが要るくらいの涼しさです。それに加え、カンクンでは、というよりユカタン半島の東海岸では天気の悪い日が多かったので、日中でもそんなに気温が上がらず、なかなか海に入る気がしませんでした。ウェットスーツなしでは水は冷たすぎました。ここメリダはカンクンよりも気温が高いみたいですが、それでも夜は涼しくなりビールを飲む気にはならないくらいです。Chichen Itzaのマヤ遺跡を見た後、メリダに来て今日で6日目ですが、ずっと晴れています。
二階建ての古い石のビルが碁盤目状に並ぶ静かないい街です。それにカンクンとは違って全てがメキシコ料金に戻りました。ホットシャワー付き一泊1400円のホテルに泊まり、250円の鳥の丸焼き半切れを100円の缶ビールで食べています。それに生のオレンジジュースが600ccも入って50円くらいで売られていて、これが最高に美味しいのでビールを止めて毎日飲んでいます。またメリダでは今、毎晩街の広場でフェスティバルが行われているので、夜になるとホテルを出て、タダのコンサートや民族舞踊を楽しんでいます。 持ってきたSONYのビデオカメラからパソコンに写真が取りこめなくなったので、故障と睨んでいるインターフェース・カードを捜し求めて、カンクンとメリダの街中を走り回りました。
メリダ
お陰で街の様子がつかめました。メキシコの街はほとんどが一方通行になっていて、初めはイヤでしたが慣れて来ると、かえってこの方が走り易いようです。カンクンでもメリダでも、コンピュータ屋さんを探しながらトロトロ走っていると白バイがきて、「どこか探してるんか? そうか、俺について来い」と言って先導してくれました。メキシコではおまわりさんまで親切なんです。カードはこの辺では見つかりそうにないので、諦めてメキシコシティーまで待つことにしました。しかし、カンクンでは12000円のパチもんのZIPPOライターサイズの超小型デジカメを買ったので、画像は良くないけど、これからも写真は送れると思います。 このメールは、もう一度インターネット・カフェから送るよう試みてみます。多分送れないと思うんですが、その場合はホテルの受付の電話回線を使わせてもらえるよう、ホテルの女経営者に頼んであるので、それで送ります。通話料は一分間70円です。それでも電話付きの高いホテルに泊まることを考えるとずっと安くつきます。 明日、南のウシュマルの遺跡の方に移動します。あちらのホテルはまた1000円を切るようです。
きょうはいいニュースがあります。今、ホテルの近くのインターネット・カフェへ行ってきました。
Tehuantepecのカフェでの接続は見事に失敗したので、カフェの利用は諦めていました。しかし、ここメリダに着いても電話付きのホテルは高いし、ただ電話だけのことなのに何とかならないものかと考えていました。この安宿の受付でそんなことをしゃべっていたら、そういうことならホテルの電話を使わせてやるが、メキシコのNTTに当たるTelmexに行けばどうだと言われました。グッドアイデアと早速行ってみましたが、そんなサービスはしていないので外の公衆電話を使えと言います。公衆電話に接続のジャックが付いていれば何もこんな事務所まで来ないと言いたかったけど、言っても仕方がないので肩を落としてホテルに帰ろうと歩いていました。なぜかインターネット・カフェの看板が気になって立ち止まりました。ここで電話回線だけ利用できないものか。カフェに入って聞くと「いい」といいます。モデムとコンピュータを持ってカフェに戻りました。ハブを見せて、ここに接続せよ、と言います。「だめだ、 Tehuantepecの二の舞だ」と思いましたが、「この店ではどう言う風にLANの設定変更をするのか、まあ見てみるか」と、ホテルに戻りLANカードとケーブルを取ってきました。それが、ハブにケーブルを接続した途端にインターネットへの接続が完了したんです。このカフェのLANは100%開かれていたんです。我が目を疑いましたが、長い間心に漂っていた暗雲が一気に晴れました。 日本から持ってきたLANカードとケーブルも無用の長物と思っていましたが、ほんとに途中で捨てなくてよかった。
やっぱり回線速度が速いんでしょうか、ホームページの更新はあっと言う間に終わりました。あとはメールです。AOLジャパンに接続すると、期待通り「Eメール」のメニューがあります。新着メールが3通届きました。しかし、いつも使っているAOL専用ソフトの保存ファイルに保全できない。昨日から書き終えたメールもコピー・貼付しなければ送れない。新着メールの一通だけ読み、適当なファイルにコピーして接続を切りました。
とにかく、こういうカフェが存在するということは大収穫です。メールの保存を除いては、インターネット・カフェは完全に利用できます。そうなれば、今後AOLのアクセスポイントのある大きな街まで行って高いホテルに泊まることもないし、ここのホテルのように経営者に事務所の電話の使用を頼み込むこともなくなります。そしてここのホテルの電話料金は一分間で70円ですが、インターネット・カフェでは一時間で140円から200円で済みます。この値段なら日本で市内電話するより、むしろ安いではないですか。
長期滞在する予定のグアテマラにも、今日のようなインターネット・カフェがあることを祈ってます。
今日はすっきりしたので、これからビールで鳥の丸焼きを食べに出かけます。ああ、そうそう、このホテル日本人の宿泊客が多いんです。受け付けのJulioとしゃべっていて、多分「地球の歩き方」に載っているんだと彼に言っていましたが、今日も「地球の歩き方」を下げた日本の若い男が一人、泊まりに来ました。
このメールは今晩、またメリダ市政460年祭のコンサートが終わってから、23時頃にホテルから送ります。
マヤの代表的遺跡 Uxmalではホテルがないので、数十km離れたTiculという小さい町で四泊して、
メキシコ湾岸のカンペチェへ来ました。この町はメリダ以上に古い町だそうで、通りは石畳が敷かれ静かできれいな所です。ホテルについてすぐ、一ヶ月ほど前にパレンケで遭った公務員に電話をしました。ホテルにフォルクスワーゲンで迎えに来てくれて、カンペチェを紹介したCDをくれ、おまけに夕食までご馳走してくれました。カンクンを出てからはホテルはずっと1000円前後になりました。もう当面はスケジュールがないので、安宿でゆっくりしています。いま泊まっているホテルは1200円位ですが、大きな中庭があるのでバイクはそこに止めています。駐車場よりこれが一番安全です。壁のペンキは剥がれてかなりガタのきているホテルですが、それだけに古い建物で、町の中心でもあるのできっと由緒のあるところだと思います。部屋は天井が無茶苦茶高くて、しかもベッド三つが端の方に置けれている感じのする大きな部屋で、あまり大きすぎて落ち着きません。この部屋に比べるとカンクンのシェラトンは半分もなさそうです。
カンクンで当面のスケジュールがなくなったので、旅の仕方が変わりました。それまでは時間に追われていたので、AOLの接続ポイントのある街では、とにかく電話のあるホテルを探してインターネットにアクセスし、早く用事を済ませることだけしか考えていませんでした。しかしカンクンの後は、まず安宿に投宿してから書くものは書いて、その後一泊だけ電話のあるホテルに移ればよいという余裕ができてきました。時間があるので街も歩ける、そうするとインターネット・カフェでの接続が可能かどうかも聞けるようになる。メリダがそうでした。ここカンペチェでは、メキシコのNTT、Telmexではなく公衆電話屋さんに入って交渉しました。コンピュータで料金の徴収を管理している所はダメですが、人間が管理している所は使えそうです。市内電話が一分28円(カードは14円)、国内長距離電話が56円、カナダ・アメリカへの国際電話が70円です。ひやかしに日本への国際電話料金を聞いたら、一分280円と言ってました。
マヤ遺跡、Uxmal
Campecheの街角
ホテルの中庭は一番安全な駐車場
マサトランのホテルで頼み倒してかけた日本への電話代の半分以下です。また市内電話もメリダではホテルで一分70円も取られましたが、それならこうした公衆電話屋さんで長距離電話した方が安上がりです。こうした公衆電話屋さんはグアテマラにもありそうなので、早速明日メリダに長距離電話して試してみます。このメールが着けば、今後インターネットがやり易くなります。とにかく今後は電話付きの高いホテルには泊まらないようにするつもりです。カンクンを出てからはあまり走らず、ずっと安宿でエスペラントや英語の書き残していた部分を書いているので、一日の支出は2000円程度です。とにかく、人間急ぎすぎたり忙しすぎたりすると、何でもないことでも思いついたり、あるいは行動に移すことができないようです。インターネット・カフェ、公衆電話屋の利用は日本を出る前から考えていたんですが、二ヶ月もできないままでした。ガテマラではAOLの接続ポイントがない町に長期滞在する予定なので、どちらかの方法でアクセスできればよいと思っています。
メキシコ湾岸の長閑なビーチ
カンペチェを出てずっとメキシコ湾を右手に見ながら南下し、またVillahermosaの近くまで戻ってきました。ユカタン半島をほぼ一周したことになります。この町は、ユカタン半島の西の付け根にあるFronteraと呼ばれる小さな町で、今その町の中心広場の角にある一泊700円のホテルに泊まっています。今回の旅の最低料金記録を更新しました。しかし、少し後悔してます。ここもカンペチェのホテル同様天井が高く、部屋も広いんですが、トイレにはお尻を拭いた後の紙が散らばっていて少し臭ってました。机がないので隣の部屋から持ってきました。ベッドは二つ置かれていますが、どちらにも枕とベッドカバーはなく、何かイヤな虫でも潜んでいそうです。シャワーの水も少ししかでません。パレンケの770円の安宿とは大きな違いです。 近所の公衆電話屋さんで、またパソコン接続のことを交渉してきました。一軒目はダメだと断られたんですが二件目でOKを取ったので、明日このメールを送れると思います。長距離電話料金は最初の一分は56円で同じですが、その後の一分はカンペチェの半額で28円です。いよいよ電話付きの高いホテルから開放されそうな感じになってきました。明日アクセスできればVillahermosaを通過して次の小さな町まで走ります。 カンペチェからここへ来るまでの途中で、不運に見舞われました。次の「(6) やはり泥棒の国、メキシコ- 2002年1月21日の不幸 -」をお読みください。
ユカタン半島の古くて静かな町、カンペチェの東南にマヤの遺跡Edznaがある。ここで初めてメキシコのライダーに遭った。Fernandoという名で、髪にかなりの白髪が混ざっているが、立派な口ひげをたくわえ、なかなかいい顔をしている。できることなら僕のこの情けない顔と取り替えて欲しいと思わせるくらいだ。熱帯の暑さの中を皮パンにハーレーの皮ジャンを着て、デュカティの980ccで遺跡にやってきた。後部座席に載っている奥さんらしき女性も同じ装束だ。滝のような汗をかき、蚊にさされながら一緒に遺跡を見た。デュカティの他に、まだハーレーとオフロードバイクを持っているらしい。僕は日本を出るときバイクを五台もっていたが、彼もかなり病気が進行しているみたいだ。ピラミッドのてっぺんで、メキシコシティーの西の方に住んでいるが、そちらの方に戻って行くんだったら寄ってくれ、と自宅の電話番号を教えてくれた。
Ducatiに乗るフェルナンドと奥さん(?)
帰りがけに、ガソリンが残り少ないというので、僕のガソリンを少し抜きましょうかと言ったが、いや近くの村で分けてもらうと言い、そこで別れた。コーラを飲んでから、少し遅れて遺跡を出て最初の村でそのデュカティが止められているのを見た。道路際で奥さんらしきパートナーが僕に手を振っている。ガソリンが手に入らないと言う。それなら是非どうぞとデュカティの横にバイクを止め、工具袋からガソリン抜き用のテフロンパイプを取り出していると、Fernandoが向こうでトラックからガソリンを抜いている。メキシコ人は、メキシコ人に対しても親切だ。再度再会を約して別れた。 今朝Campecheを出ようとしたら、ホテルの入り口にクルマが止められていてバイクが出せない。誰のクルマかは分からないと言う。昨日邪魔になって移動してもらったトラックがその後ろに止められている。少し後ろに動かせてもらえれば何とか出れそうだ。ホテルの受付の男の人が持ち主の向かいの家に交渉に言ってくれるが、運転手は午後の三時まで帰ってこないと言われる。そこで彼は、警察かどこかへ電話してくれる。ダメらしい。僕が、ひょっとしたら今日一日中ホテルを出れないんではと言うと、彼は少し考えた後、中庭の奥にある部屋のドア-を開けて消えてしまった。ここはメキシコだ、これは難儀なことになったと思っていると、彼が戻ってきて、裏からも通りへ出れますがバイクが通っていけるでしょうか、と言って通路を塞いでいるものを全て取り除いてくれた。バイクは、一番問題の扉をぎりぎりで通過できた。ほんとうにメキシコ人は思いやりがある。
こんなにいい人ばかりのいる国では、そんなに警戒し過ぎなくても大丈夫かもしれないと思いながら、メキシコ湾を南に進んでいた。Canpecheから60~70km走ったところで初めて町らしい町が見えてきた。川が流れていて、すぐそこにメキシコ湾が広がっている。川沿いの道路が海に当たって曲がるところで道路が広がり駐車場が設けられている。タバコ休憩にはちょうどいい。バイクを止めると、道路の向こう側に屋台のような魚料理のレストランが数軒並んでいる。昼の12時だが腹は減っていない。観光地でないので安いはずだ。価格調査でもするつもりでバイクを置いたまま、道路を渡った。すぐ戻るつもりだった。大きな魚のフライが370円だという。安さに目がくらみ、じゃあ、ちょっと食べてみるか、がいけなかった。道の向こうのバイクに目をやりながら食べていた。バイクを眺めにくる人達が時々いる。いつものことだ。
盗難の町、Champoton
隣にずらっと止められているクルマの回りにも人がたくさんいる。ミニバスも止まっている。自転車にリヤカーを付けて、その人達に何やら食べ物を売っている人もいる。そのうち、バスが横付けされてバイクがバスの陰に隠れてしまった。邪魔なバスだ。バスの乗客がたくさん降りてきてその辺をウロウロしている。でもバイクが見えないのは気になる。バスが前へ移動した。確かにそこにバイクはある。数分したらバスが後退しまたバイクが見えなくなった。いやな感じだ。早々と食べ終えバイクに近づいていくと、足元に後部座席のバッグを止めていたはずのバンジ-コードが半分に切られて落ちている。「ええ~、何これ?」。バイクを見ると、メインバッグの横に付けていたサブバッグがない! 五ヶ所でバックル止めしていた布帯が全て切られている。話には聞いていたが、とうとうやられた。
問題の駐車場
近くにいた人に聞く。誰かが持って逃げたという。バスの乗客にも運転手にも聞く。ちょうどそこへ警察のトラックが二台くる。一緒にトラックの助手席に乗って、バッグ探しに町中をパトロールしようという。こんな泥棒の町でバイクを置いたまま、その場を離れるのはいやだ。いつの間にか、4人の警官が乗っていたトラックが消え、別の警官二人が乗ったトラックが横付けされていて、その二人がバイクを見張っているから大丈夫だという。こうなれば警察だって信用できないが、でも合計八人の警官が関わっているんだから大丈夫だろうとトラックに乗る。見つかるはずがない。そして、見つからなかった。 今まで何回も外国を旅行したが、まだ物を取られた経験がない。そしてこの旅はすでに7ヶ月を超えたが、無くした物はペン型懐中電灯だけだ。しかし不幸は一度にやってきた。南米で逃げるカッパライを捕まえたら、「わかった、返してやるからお金を出せ」と言ったらしい。僕は犯人に喜んでお金を渡し、「ありがとう」とまで言いたい心境だ。被害報告をしておこう。一番嵩も大きいし被害も大きいのは、皮のライディング・ジャケットとパンツだ。幸い、別に薄手の皮ジャンと皮パンを持ってきているが、その安全性と保温性は相当疑わしい。ポリエステルのライダージャケットは、こちらで適当なジャケットを買えば済むだろう。いや、カッパがあるから要らないかもしれない。メッシュの魚釣りベストは入手困難かもしれない。灼熱の土地でのライディング用にプロテクターを付けれるように細工していたが、もし同じ物が手に入ればまたすぐに細工できる。もう一枚の方のベストをずっと着てきたのでライディングには支障がないが、ポケットがたくさんついていたので、ちょっと物を入れて外にでるのに重宝していた。小型で持ち運びに便利なディスク・ロックは、メキシコ・シティーでBMWへ行くのでそこで買えばいい。ソローの訳本、「森の生活」は、ずっと忙しくて一行も読んでいなかった。これでただ一冊の日本語の本もなくなった。アメリカで見つけたスペア-のバンジ-コードやハンガリーのライダーにもらった荷造り用ベルトは少し難しいかもしれないが、チェーン、鍵、ロープ、バイク洗車用のスポンジ、雑巾はどこでも売っているだろう。蚊取り線香とトレーは、今まで一度も使っていないのでなくてもいい。バッグのポケットに入れていたゴミ袋は、ゴミみたいなものだからどうでもいいい。プレゼント用に二部コピーしていたMP3の音楽CDは、こちらのソフトでも動くようにタイトルを漢字からアルファベットに変えるのに相当時間がかかったが、必要な時にもう一度やればいい。バッグそのものはメインバッグの左右に付けるつもりで細工した左の方が残っているので、それを引っくり返して使えばよい。昨日の夜買ったばかりのタバコ9箱は約1400円の損害だ。500mlのコーラは半分飲んでいた。スプーン、ナイフ、フォークのセットは気に入っていたんだが今後は、メキシコも少しそうだがインド方式を取り入れ、指で食べるようにしよう。ボトルの底に少しだけ残っていたメキシコ焼酎と奈良の女性ライダーにもらった金属製マグは、今日早速買い直して、今飲んでいる。
ヤケ酒ではない。自分でもびっくりするほど、腹も立たないしショックもない。まるで他人事みたいな感じがしているのは不思議だ。むしろ、重い荷物が軽くなってよかったくらいに思っている。ひょっとして、ちょっとずつ楽天的なラテンアメリカ人に近づいてきているのかもしれない。もしそうだとすれば、うれしいことだ。メキシコの寅さんが言っていた、「どこの国でも99%はいい人なんだけど、1%の悪い人間がいる」と。今日の泥棒はその1%だ。盗難にあった後、安宿をでシャワーを浴びた後、まず酒屋でビールを飲み、金属製マグを求めて町を歩いていると、見知らぬ男が二人、「機嫌はどうや?」と聞く。「良くないね。今日は悪い日や」と答えると二人は盗難のことを持ち出した。二人のうちの一人は、ハンバーグを売っていて現場を目撃していたと言う。犯人は知らない者らしいが、自分が何もできなかったことを後悔し、また僕のことを心配してくれていたらしい。バーでビールをおごってやったら、明日おいしい海鮮料理を作って安宿に持ってきてくれると優しいことを言う。やっぱり、99%はいい人達なんだ。
Fronteraの公衆電話屋さんでインターネットの接続ができたので、 Villahermosaには寄らず海沿いに迂回し、メキシコ湾が一番南に落ち込んだ所からさらに少し南にあるAcayucanという小さな町まで来ました。この町の東南35kmの所に、マヤ文明よりもずっと古いオルメカの最大遺跡があります。San Lorenzoと呼ばれる所で、27年前にも来たことがあるような気がするので、もう一度見てみようとバイクを走らせました。ところが途中から道の舗装は切れ、片道20kmのダートになっていました。だいぶん思案したんですが、R1100Rが行きたがらないので、僕も「君子、危うきに近寄らず」で引き返してきました。昔この遺跡近くの、何か赤土の集落で泊まったような気がします。でもここへ来る前に、La Ventaと呼ばれる第二の遺跡を見てきたので、「まあ、いいか」という気もしています。
La Venta の遺跡で遭った同じBMWに乗るBlane
Acayucanの舗道。ブラジャーとパンティーが山積み
La Ventaの遺跡では、同じR1100Rの2001年型に乗ったカナダのライダーに遭い、久しぶりにその日はビールを飲み倒し、バーでは5000円か6000円を払いました。病気はなかなか治らないようです。 今朝の三時前に、この町で大きな地震がありました。「12の独り言」の最後のエッセーを英訳していたんですが、どういう訳か、コンピュータがフリーズし、そのうち停電し、Vaioはバッテリーで真っ白な画面を表示したまま制御不能になりました。僕は身を守るための対策を忘れ、懐中電気を取りだしひたすらVaioの終了処理だけに取り組んでいました。おそらくこういう人種が地震なんかで一番先に死んでいくんだろうとおもいます。このホテルは一泊1300円程ですが、生意気に5階建てで、この部屋は4階にあります。日本でも経験したことがない程よく揺れました。夢の南米に着く前にメキシコでとうとう死んでしまうのか、と本気で思いました。昼に近くのレストランで「お米と野菜スープ」食べ、ついでにウェートレスに尋ねたら、これから行くメキシコシティーとか大きな街に被害がなかったようなので安心しました。 盗難にあったり、地震に揺られたり、この街に来る前にこの旅で初めて雨で出発できなかったり、このところ運が落ちてきています。
ただ、この一ヶ月の全経費が12~13万円まで落ちてきているので、その点は満足しています。しばらくするとメキシコシティーとその近くで、二回目のエスペランティストとの接触を取る予定です。