旅
ネパールとブータンに挟まれたインドのシッキッム(Sikkim)地方に世界第3座、8598mのKangchenjungaがある。オーストラリアの砂漠をバイクで1年以上も走り回った別嬪ライダーの話では、 Kangchenjunga中腹の山小屋の娘が小指大のたった2本の小枝でお茶を沸かせたという。彼女とバイク旅行に行って実験してみた。ティシューペーパー1枚とマッチだけで火を着ける技術までは習得したがしたが、小枝2本となると一生かかってもできないだろう。世界には魔法のようなことのできる人がいるものだ。 ライダーの彼女自身、オーストラリアを旅していてバイクのタイヤが数え切れないほどパンクしたらしい。それで必然的にパンク修理の道を極め、5分でパンクが直せるという。これはバイク屋も仰天の早業だ。 私も旅が好きで、毎年1~2回、合計30回位で、約30カ国に旅行した。海外への憧れから英語だけは真面目に勉強したが、学校の勉強は本当に嫌いだった。それが外国を旅行するようになって、英語以外の外国語も勉強するようになって、さらに渡航先の国の歴史、地理、気候、文化等についての本も読むようになった。自分がいざその国に行くとなると、こうしたことに非常に興味が湧くものだ。 外国で異文化に接すると、逆に自分の文化なり、言葉が気になりだす。イギリスに次いで2回目の旅でメキシコに行った時、なぜか無性に日本語のことが気になりだし、高校時代にあんなにイヤだった古典の勉強を始めたこともある。あの頃、受験勉強で辟易した日本の歴史にも興味が出てきた。 大学を出て数年後、生まれて初めて飛行機に乗った。東京からベルギー行きの、学生ばかりを乗せたアメリカの会社のチャーター便だった。極度の緊張が顔に表れていたのか、金髪のステュワーデスに "Are you all right?" と声をかけられた。その時の彼女の優しい笑顔がどんなに励みになったものか、今でも忘れられない。それほど私は気が小さくて弱い人間だったのだ。それまでは自分は強いと信じて疑わなかったのに…
その前日、中学校の修学旅行以外東京へは行ったことのない田舎者の私は、安いホテルを求め歩いている内にスラム街のような所宿を取ることになった。その安宿の受付の人が、若い頃ドイツに行ったことがあると言う。ドイツへは何年か留学したと言う。ノーベル賞の朝永振一郎とは研究仲間だったが、日本の軍部に反対したため研究所を辞めたと言う。人生の重さを感じたような気がした。
知らない外国を旅すると、持ち物の喪失、盗難や詐欺まがいのことから始まり、必ず何らかのトラブルが発生する。状況判断を誤ると大変な危険に身を置くことになる。誰も助けてくれないから、自分一人で切り抜けるしかない。的確な判断と迅速な意志決定が要求される。それを支えるのは客観的な論理性と、その国の文化や社会の事情についての知識だ。判断を誤れば、時には死が待っている。旅は危険なのだ。
それでも、なぜか旅をする。毎日、都会の人工的な限られた空間で過ごしていると、生まれ故郷である海や山が、また昔の友である動物や植物が、「それではいけないよ」と言って誘いのエネルギー波を送ってくるのかもしれない。まだ自然が多く残されていて、技術文明から離れている国に行くと、もし、文明の道具の全くない土地に放り出されたらどうしようと思うことがある。暗闇を照らし、暖を取り、料理を作る火は起こせるのか。
Kangchenjungaの娘は、技術文明のひ弱さを教えてくれているような気がする。