(1)2001年7月9日 ワイオミングからのメール
7月4日にアメリカに着いて既に一ヶ月以上経ちました。サンフランシスコで買ったBMWは快調です。ただ、悲しいかな短足のせいでもう既に二回も立ちゴケし。ピカピカのバイクを少し傷つけてしまいましたが…
ユタ州の砂漠地帯を抜けてワイオミング州の南西の端の町、ロック・スプリングまでやってきました。ここはロッキー山脈のど真ん中で、この少し南には大きなダム湖があって、その辺りの山々は背の高い木々や白樺の木に覆われて、ちょっと信州を感じさせます。きのう二度目の突然のスコールに出会って、ちょうど小さな町のガソリンスタンドに飛び込んだら、そこでハンガリーから来たというアベックのライダーに遭いました。二人とも同じHONDAのTransam(?)650に乗って、これからまだ5ヶ月、ガテマラまで走るらしい。時間はこちらの方が長いけど、うらやましかった、カッコ良かった。
週に二日くらいインターネットのためにモーテルに泊まる以外は、ずっとキャンプ暮らしです。キャンパーのほとんどは年金生活の老夫婦か家族連れで、たいていは大きなキャンピングカーできています。それなのに同じ10~13ドル払わされるのは、もう一つしっくりしません。いつも隣のキャンパーが見えないほど大きなキャンプ地でノートに文を綴ったり、本を読んだりして孤独を楽しんでます。
これから国道191号線でロッキー山脈をまっすぐ北上してカナダへ向かいます。イエローストーン公園は、ここから2~3日の距離です。
またタバコの量が増えてきました。日本よりも安いタバコが売られていたのも一因です。ビールは毎日小缶ビール2~3本といったところで上出来ですが、ビール腹は期待していたようには一向に引っ込みません。
Flaming Gorgeのキャンプ場を出て朝日の輝く中、高原を快走する。やがて下りに差しかかると、キャンプ場の近くのダム湖よりも一段と大きなダム湖が見下ろせる。陽光に青く輝いている。例によりタバコを一本吸う。今日の宿泊は、ワイオミング州の南西の端にあるRock Spring。移動距離は80km位なので、このままだとモーテルには10時半頃着いてしまう。写真を撮る。西の空が暗い。黒雲は見る見るうちに、こちらに迫ってくる。この辺では天気は東から来るのではなかったのか。雲の流れは速い。あの雲の下はきっと大雨だ。道はその方向に向かっている。あわててエンジンをかけ、湖への道を駆け降りる。バイクは雨雲の方向に突進する。あの雲と衝突する前に、次の町のガソリンスタンドに飛び込みたい。頭上は真っ暗になってきた。まだ雨はこない。町までは15kmの距離、時間にして7~8分か。でもあの雲は一瞬でザッとくる。こんな時に限って前のクルマは遅い。「おまえは濡れないが、こちらは屋根がないんだ」。あと2kmの看板。雨がポツリとウィンドシールドに落ちてきた。T字の交差点の角にガソリンスタンドが見える。こちらのガソリンスタンドには、どうしてか必ず屋根が付いていて、その横にはたいていコンビニがある。あわてて飛び込む。給油中に雨脚が強まり、コンビニで買ったコーヒーを飲んでいる内に嵐になった。そこへカッパを着たライダー二人が、同じHONDAのTransalp-650に乗って飛び込んできた。27年間ほどほぼ毎年海外を旅行してきたが、ハンガリー人と出会うのは初めてだ。
スコールの雨宿りで遭ったハンガリーのライダー二人
ハンガリーも国外旅行が自由化されたのか。一人はなんと女ライダーだ。二人はハンガリーからカナダのトロントまでバイクを空輸し、その値段は2台で7万円しかかからなかったと言う。二人の旅はまだこの先5ヶ月続き、ガテマラまで走るそうだ。彼らはこれから僕の走ってきた南に向かう。北と南の地図を交換する。ひょっとしたらガテマラでまた遭うだろうか。数時間ほどしゃべっていたらカンカン照りになったのでEメールアドレスを交換して別れる。この一ヶ月間で、ライダーと話したのは二回目だ。この前も突然の雨で、道を跨ぐ道路の下で雨宿りをした時だった。雨はバイクの天敵だが、こんな幸運も運んでくれる。 10時半頃に着くと思っていたRock Springには3時半頃着いた。ここで2泊して、パソコンで日本に税金を送金する。一日の送金限度額が10万円なので6回、すなわち6日にわたり送金しなければならない。とりあえずここで二日泊まって20万円送っておこう。きょうはこの町にアクセスポイントがあるので、電話代は無料だ。 Rock Springから北の百数十kmは、ここがロッキー山中かと思うほど平らな高原で木は姿を消し、また半砂漠地帯が続く。単調な風景の中を一本の道がまっすぐ北に伸びている。 イエローストーン国立公園の南の入り口、Jacksonに近づくにつれ山が迫り、木が増え、道は曲がって山を縫うようになってくる。背後には高い山も聳えている。いかにも避暑地といったJacksonの町はホテルが高い。モーテルで100ドル近くもする。なぜかと聞くと、ここは隣接するGrand Tetonとその北のイエローストーンを控えた観光地で、冬にはスキー場にもなるらしい。結局この旅行最高の55ドル払う。 Jacksonを北に出るとすぐ高い山並みが見え、
その麓には西部劇に出てきそうな牧場が点在する。実際、映画「シェーン」はここで撮影され、映画に使われた家も残っているそうだ。本物との区別がつかず、どれなのか分からなかった。牧場の背後にはアルプスを思わせる峻険な山々、それを映す青い湖、まるで写真で見るカナディアン・ロッキーだ。ここの主峰は公園の名と同じGrand Tetonで4197mあるから、富士山より高い。頂上の方にまだ雪が残っている。麓のキャンプ場も、まだもっと北に離れたキャンプ場もいっぱいなので、北隣のイエローストーンに近いキャンプ場まで走る。このキャンプ場には黒熊に加え、あのグリズリーまで出るらしく、そのため鉄製の箱が各キャンプサイトに備え付けられていて、食料品はもちろん、食器、シャンプーに至るまで、日夜を問わず、その中に保存しておくことになっている。物騒な所だ。7年前、シェラネバダ山脈にあるホイットニー山のキャンプ場には、ほんとうに熊が出たので、特に夜になると気持ちが悪い。 このあたりは山火事が多い。
大部分は落雷によるらしい。特に去年、2000年の8月、お盆の15日に多発し、かなりの面積の木が焼失したらしい。なるほど、キャンプ場からイエローストーンの方まで、山の木は全て燃え落ち、幹だけがまるで無数の針を刺したように残っている。ところがイエローストーンに入ると道の両側は密集した高い木々に縁どられ、木の谷の中を走っているようだ。こういう道はほんとうに気持ちがいいと思っているのも束の間、また針の山が現れる。今度も長い。走っても走っても爪楊枝の林だ。もう30km以上も続いている。イエローストーンは、明治維新直後の1872年に設立された世界最初の国立公園で、100マイル(160km)×100マイルの広さがあるらしい。そんな広大な公園でも、またここもかというほど木が焼けている。間欠泉で有名なOld Faithfulも、建物のすぐ近くまで燃えていて、やっと消し止めたと言う感じだ。ここには数多くの間欠泉があるが、よく写真に出てくる一番有名な間欠泉は、70~80分毎に噴出すという。ガソリンスタンドで聞くとあと15分だと言う。
日本の温泉のように人が浸かって鼻歌を歌える温泉は見かけなかったが、透明の温水が湯の花でできた段段畑のような山の斜面を流れ落ちて作る滝は、温泉天国日本でもなかなか見れるものではない。変化に富んでいるのは景色だけではない。天気もよく変わる。今真っ青に晴れていたと思っても、あっという間に暗雲が巻き起こり嵐になる。気温も昼は高いが、夜には随分冷え込む。一日が真夏から晩秋に変化する。 日が落ち薄暗くなりかけた頃に、ハーレーに乗った若者がドコドコという音とともに隣にもう一つ残されているライダー用のキャンプサイトに現れた。ヘンリーという29才のライダーで、かつて長旅をしたことがあるらしい。半年もすると少しだけ里心がつくらしい。僕はまだ経験したことがない。自己最長期間の旅になったとは言え、まだ40日だ。50を越え純真さをなくしてしまった男に、いったいホームシックみたいなものは訪れるんだろうか。 イエローストーンは朝から快晴で、まだ10時前だというのに汗ばむ暑さだ。きょうも午後には嵐が来るんだろうか。きょうは久しぶりに一日中読書だ。
イェローストーンの温泉の滝。写真の位置から落ちていく。