(1)2001年9月21日 フロリダ州Jacksonvilleからのメール
アパラチア山脈を南の端まで抜けて、2~3日まえにジョージア州に入り、今日さらにマイアミ州の北の入り口、フロリダ半島の付け根のところにあるJacksonvilleというかなり大きな街に来ました。大きなというのは地図で見ただけの話で、ここは街の入り口なのか、昨日のド田舎と全く変わりません。でもさっきしゃべった黒人の女(始めて黒人の女としゃべりました)は、この街はLittle New Yorkと呼ばれていると言ってましたから大きいんでしょう。多分明日は半島の先端を目指して走ることになるので、街の大きさはわかると思います。都会をなるべく避けて旅しているのですが、もし大都会ならバイクで走るのは気が進みません。
地理に不案内な方のために、ホームページの第一画面に地図を載せています。そう、今日はそこまで来ました。ついでに今日の日付も書き加えました。それと、実はこれが今日のニュースなんですが、ここ数日、朝の3~4時までかかって日本語版に写真を全て貼り付けました。このモーテルの回線速度が遅いので一画面が表示されるのに時間がかかりましたが、日本ではもう少し速いことを期待します。
さっきまで、更新したホームページを確認していたのですが、そのため僕がモーテルの電話回線を占有してしまい、さきほどの女が誰も電話が使えない状態になっていると教えに来てくれました。モーテルには電話代として2ドル余分に払ったんですが、これでは何にもなりません。インターネットの電話代を別に払ったのは初めてです。そんな訳でホームページは全部確認できていませんが、僕のコンピュータ上では全ての写真が表示されていたので大丈夫だと思います。
ジョージア州からはやっぱりアメリカ南部なんですね。アメリカに入ってからそれまではあまり黒人を見かけませんでしたが、ジョージア州の北の端のAugustaという街から急に増えました。このモーテルは黒人ばかりです。今、夜の9時過ぎです。これからホームページのエスペラント版の処理に入るのか、向かいのバーは黒人の客で溢れていたのでそこに行くべきか迷っています。
カナディアンロッキーを出てから二ヶ月、テントを張らずにずっとモーテルに泊まっています。モーテルでは電気があるので、パソコンが使えます。それで旅日記を書いたり、それを英語に翻訳したり、また最近はホームページを作るのに連日深夜までパソコンと付き合ってきました。寝不足のまままたバイクで移動するということを繰り返してきたので、とうとう胃の調子がおかしくなり、フロリダからここダラスにくるまで何回もバイクを止めては吐きました。
ダラスでは京都にいたライダーのアパートに居候させてもらっています。ここの団地にはプールとその横に露天風呂があります。部屋から15メーターほどの近くであるので、毎晩ビールをもって入りにいきます。こちらではお風呂の文化がないためか、誰も入っていませんから、僕のために造ってくれたようなものです。今、月は満月なのでビールを飲みながら月見をするのは、なかなかのものです。アメリカでこんなことができるとは思っていませんでした。
きのうの夜は熟女二人に囲まれて飲みました。お陰で、今朝は久しぶりの二日酔いです。
ここ数日の間に、トロントのエスペランティストの情報から芋づる式に中南米のエスペランティストからメールが届いて、ブラジル、コロンビア、ニカラグア、ホンデュラスで泊めてもらえることになりました。エスペランティストは少数とは言え、英語圏以上の地域的広がりとネットワークを持っているので心丈夫です。10年間勉強してきた成果がボチボチ出てきたようです。
アパラチア山岳道路はノースカロライナ州のAsheville付近で終わっている。僕はこの町から、今まで南西に取ってきた道を国道25号線で南に向け、フロリダ半島まで南下する。 Ashevilleから50キロほど南下するとサウスカロライナ州に入る。カナダのウィニペグの東からモントリオール、さらにアパラチア山脈と続いてきた森林地帯は、サウスカロライナ州も覆い包んでいる。ニューヨークのテロから一週間、まだ飛んでいないと思っていたのに飛行機がかなり低空を飛んでいる。久しぶりに見るから何か異様な光景だ。いや違う。久しぶりもあるけど、飛行機の形が変だ。軍用輸送機のようだ。近くに空軍基地でもあるのだろうか。
サウスカロナイナは半日で抜け、ジョージア州の北の端の街Augustaに入ると、今まであまり見なかった黒人の数が急に増える。泊っているたモーテルでも、近くのスーパーでも半数以上が黒人だ。やはりここからは南部アメリカだ。そして暑い。モーテルに着いてすぐ、例によって洗濯物を干すため、まずバイクを拭いていると向こうの部屋から黒人の女が、まるで知り合いのような感じで近づいてきてタバコをくれと言う。タバコを部屋に取りに戻ろうとすると一緒について部屋に入ってくる。細身の女で、足首なんかはちょっと叩いたら折れそうな感じだ。しばらく話をしていると、今朝10年来の女友達に2万円持ち逃げされたので、今日の部屋代の足しに20ドルくれと言う。なんやかんやと返事を避けていると、二回も「Please」と頼まれたので、「たまには人助けもせんといかんかなあ」と独り言を言いながら財布から20ドルを出して彼女に渡す。僕はいつまでたっても女には甘いんだ。でもお金を渡すとこのオジさんを抱擁してくれて、おまけにほっぺにキスしてくれたからいいとしよう。モーテルの向かいにはバーがある。夜になってビールを飲みに入るとバーテンも含め全員が黒人だ。カウンターの隣に座っている肉付きのよい女は、強烈なレゲーの音楽に合わせて踊ろうとバーテンやらカウンターの反対側で飲んでいるおじいさんを誘っている。断られると、仕方なく僕にも声をかけてきた。踊れませんと言うと一人で踊りだしたが、見ていて嬉しくなるほど上手だ。しばらくしてからもう一度踊ってみせてくれと頼んだが、こんな勝手な頼みを引き受ける女なんか世の中にいるはずがない。
ジョージア州を出て、フロリダ半島の東の付け根にあるJacksonvilleに入る。とうとう南の端、フロリダ州だ。道にはシュロの木が見え始める。もう南国だ。それにしても9月も20日を過ぎているというのに、この暑さは何だ。朝、冷房のきいた部屋で皮ジャンと皮パンを身に付け、さあバイクに跨ろうとすると汗が滝のように顔をつたう。とても無理と観念し、皮パンはそのままで皮ジャンを脱ぎプロテクター付きのベストに着替える。暑いはずだ。ここの緯度はもうメキシコなんだ。
フロリダ半島の東海岸を国道1号線で南に下る。150キロほど走るとDaytonaと書かれた交通標識が見える。街乗り風のライダーも多い。誰もヘルメットをかぶっていない。確かあの有名なデイトナはフロリダにあったような気がしてきた。沿道にSUZUKI、KAWASAKIの看板を掲げた大きなバイク屋もある。ガソリンスタンドでDUCATIに乗った同じ年のライダーと遭う。やはりあのデイトナだ。デイトナにはバイク屋が百数十軒あるらしい。3週間後にはバイクのレースがあり、3000の人がこの小さな町を訪れるという。3月には50万もの人が集まる。「ライダーならたいていこの町には2~3泊しますよ」と言われるが、別に買う物もないのでそのまま町を出る。
デイトナからしばらく南へ下っていくと、時々海が見え始める。日本を出てから初めて見る海で、ちょっとした懐かしさをおぼえる。遠くの海上に白い大きな建物が見える。対岸はヨーロッパのはずなのに、おかしい。あとで地図を見ると、それはケネディー宇宙基地だった。今回の旅にはガイドブックは持っていない。もっぱら地図だけを頼りにして移動している。したがって通り過ぎる土地や町に関して全く予備知識がない。仮にガイドブック持っていたとしても読む時間はない。カナディアンロッキーを出て以来二ヶ月半、旅日記やホームページに追われて日本から持ってきた本もずっと読めないままだ。
フロリダ半島東海岸の中間、Melbourne でモーテルを探していると24.95ドルの看板が目に入ってきた。我が目を疑うほど安い。隣は日本料理店だから、おそらくビールを置いているだろう。いい立地条件だ。日が暮れるのを待ちきれず夕食を食べに行く。中にはいるとウェートレスはみんな日本人の顔をしている。しかもベッピンぞろいだ。思わず「一人なんですけど」と日本語で言ってしまう。反応はない。こちらで生まれ育ったんだろう。日本人の顔をして、日本語がわからないというのは変な感じだ。「飲み物は何になさいますか」に、いつものごとく「一番強いビールを」と答えると、朝日ビールを持ってきた。しまった、日本のビールは1ドルほど高いんだ。しかもアルコール度が低い。水っぽい。カナダの8%のビールが懐かしい。料理は好物のすき焼きにした。揃わない材料を考えるとまずまずだったが、量が多いので半分以上残してしまった。箱にいれてもらってモーテルに持ち帰るべきだった。
フロリダ半島の先にあるマイアミに近づくにつれ大きな街が続きだし、数キロごとに置かれている信号でなかなか進まない。うろうろしているとまたスコールがくる。インターステート95号線に乗り換える。高層ビルが林立するマイアミの街に入ると、いよいよ高速道路は分岐し始める。準備不足でどちらへ行って良いのかわからない。「ええい、“Miami Beach”にするか」が悪かった。西に行くはずが、反対に道は海を跨いで東の方向へ向かっている。 Miami Beachはマイアミ市街の向かいにある島にあるんだ。また引き返すが、橋の上からは湾を取り囲む高層ビル群が一望できて、なんか得したような気分だ。Jacksonvilleから東海岸を途中まで下ってきた国道一号線は、高層ビルの立ち並ぶマイアミで一番のビジネス街を通り抜け、そのままフロリダ半島の南の海上を走って海に消える。フロリダ半島までやってきたのは、その海上の道を走るためだ。一号線に戻る。心配していた高層オフィスビル街は、逆にゴーストタウンのように閑散としている。日本の都心道路と同じ状態を思い描いていたのだが、走り易いことこの上ない。
やがてマイアミの郊外に出るに従ってクルマが増え、ついには信号で動かなくなってしまった。帰宅ラッシュにぶつかったみたいだ。こうなれば暑さの中をじっと辛抱するよりは他に手はない。見ると横にクルマが一台も走っていない二車線道路がある。どうせ工事かなんかで閉鎖されているんだろうと思っていると、向こうから悠然とバスが走ってくる。完全なバス専用道路なんだ。アメリカの公共交通機関は極めて脆弱だから何とかする必要があるだろうけど、思い切ったことをするもんだ。これが日本だとどうなるだろうと考えていると、交通渋滞が気にならなくなってしまった。
フロリダ半島の南の海上道路は、
何年か前にシュワルツネッガー主演の映画でも見ていつか走りたいと思っていた。この道路はフロリダ・キーと呼ばれ、フロリダ半島の南の海上に浮かぶ無数の珊瑚礁の島々を約40個の橋で結び、南西の海に向かって200kmにわたり伸びている。一番長い橋は約11kmもの長さがあり、これがテレビなんかでよく紹介されるものなんだろう。橋だけしかみていないものだから僕は長い間、橋だけの海上道路とは一体何の目的で造ったのか疑問だった。一つ疑問は解けた。 フロリダ半島の南の端には広大なEverglades国立公園があって、国道41号線はその公園内を東西に横断している。この辺りは葦で覆われた湿地帯で、ワニが生息しているので有名だ。またこの湿地帯を、船上に付けたプロペラで進むエアーボートは映画でおなじみだ。道路沿いには観光客相手のエアーボート乗り場もある。
Everglades国立公園のエアーボート
41号線は、二車線道路だが交通量が少なくて非常に走りやすい。僕が進む右側の車線に沿って5~6mの幅の運河が延々と続く。初めはこの運河を舟で進めばフロリダ半島を横断できるのではないかと思っていた。それほど長い運河だ。しかし走っている内に運河は道路で何カ所も寸断されている。なんのための運河なのか、一つ疑問が解けたら、また一つ疑問が生まれる。 西海岸も海岸沿いの国道を北上つもりだったが、また交通渋滞が始まったので高速道路に乗り換え、途中Tampaという港湾都市で一泊だけして一気にフロリダ州の北端まで引き返す。 フロリダ州から北西に抜けてアラバマ州の南を国道84号線で西に向かう。この道路も交通量が少なく、両側が木々で囲われ、軽いアップダウンを繰り返すツーリングには気持ちの良い道路だ。やがて西隣のミシシッピー州に入ると田園が広がり始める。カナダのプレーリーで見た風景だ。それがルイジアナ州まで続く。 モントリオールで大休止をして以来、ホームページ作りで連日深夜の3時、4時までパソコンに取り組んできた。その無理が出てきたのか、フロリダを出てから毎日バイクを止めては吐いている。無理は僕の身体で一番弱い胃に出てくるんだ。テキサス州のダラスに着くと友達がいる。そこまでは無理をしても毎日500kmを走り続け、着けば二度目の大休止だ。 ケネディーが撃たれた物騒な町ダラスでは、
アパートの露天風呂とプール
アパートのコインランドリー
旧友のティフのアパートで二週間ほど居候させてもらった。ティフの団地には露天風呂、コインランドリー、それに最近日本の都会でもよく見るアスレチック・ジムがある。僕も奈良の団地に住んでいた頃、狭い団地の部屋に各自が洗濯機なんかを置かずに、共通の洗濯場を設けるべきだとか、団地に銭湯があればいいと思っていたが、ここではそれが実現されている。しかもアパートの部屋から15メートルと離れていない。団地は緑がいっぱいの公園のような所に建てられていて、すぐ近くには大きな湖もある。家賃は月700ドルらしい。 ジョージア州からフロリダ半島を回りダラスに着くまで、汗がしたたり落ちる暑さだったのに、ダラスに入ってからは夜は寒いくらいまで気温が下がり、曇天の日も多く、雨まで降った。テキサスは冬でも暖かく、雨も降らないと勝手に思い込んでいたのだが、これでは日本とかわらない。
10月5日、金曜日も朝から曇天だった。ティフは近くの小学校で教えていて、
小学校でBMWを生徒に見せる
そこで最初のクラスの到着を待つ間に、校外へ出て一服吸う。生徒の前では吸えないので今日は大変だ。しかも90分授業で長い。やがて20人ほどが一列に並んで到着する。みんな元気そうな子供達だ。スペイン語をしゃべる生徒が多いと聞いていたので、まず「みなさん、おはよう。私の名前は松本トオルです。」とスペイン語で言うと、彼等には「トオル」が聞き取れない。そこでいつものように、「エル・トロ」のトロと紹介するとすぐに納得される。バイクの横に一人用の小さなテントを張り、エヤーマット、寝袋を見せる。教室に行って、世界地図で僕が今までに約30回で訪ねた約30ヶ国を追う。そして今回の旅のルート。ついでにSONYのRUVIで撮ってきた今回の旅のビデオを教室の大型テレビに映す。教室にはパソコンが6~7台置かれている。そうなると持ってきたSONYのVAIOを見せないわけにはいかない。僕のホームページの紹介も欠かせない。漢字や数の数え方など日本語の紹介もしておく必要がある。 こちらの児童は活発だ。少ししゃべるとすぐ半数以上の生徒が手を挙げて質問攻めにあうから、こちらのしゃべりたいことがシナリオどおりに進まない。もちろん制服は着ず私服で、机の配置も日本とは違って適当に置かれているので、教壇がどこだかわからない。自由な雰囲気だから自由な生徒が育つんだろう。 クラスとクラスの間に、不良おじさんはタバコを吸いに校外へ出る。でも教師は生徒をトイレに連れて行ったりして休憩時間がない。昼も大雨の中、近所のレストランで大急ぎの昼食をとる。小学校の教師は重労働だ。一日四つのクラスは三時に終わったが、今年の三月末に退職したので、出勤し仕事のまねごとをするのは半年振りだ。一日教師の僕は少々疲れました。生徒の前でしゃべるのは、あれが最初で最後だろう。その夜もビールを片手に団地の露天風呂に浸かった。やはりこの国には風呂の文化がないのか、他に入っている人を見たことがない。だから毎晩借り切りだ。僕は温泉狂だったから、日本を恋しく思うのは山奥の秘湯と言われる露天風呂だけだ。それでも借り切り状態のこんな露天風呂にはそうそう入れない。疲れは取れた。