Guatavitaの借家に灯された照明
Guatavitaに引っ越ししてきて、はや5ヶ月以上経ちました。12月に入ると村中の建物にクリスマスの飾り照明が付けられます。昼にはもともと美しい村が、夜にまで美しくなります。近所に負けておれないので、鎖のように連結された豆電球や針金を買ってきて我が家の玄関と窓にも照明を施しました。窓には豆電球で「祭」という字を模りました。この村に漢字の読める人がいないのが残念です。旅をしていた頃は気が付きませんでしたが、いざ暮らしてみると、南米は位置的に日本の反対側にあるだけでなく、人の暮らし方も日本の正反対のように感じられます。最近見た衛星放送のNHKは、日本では管理職に昇進してから心の病気になるサラリーマンが増えていることを報道していました。日本人には仕事が一番大事で、生涯、仕事に追われて人生を終えるように思えます。しかしコロンビアの多くの人は、仕事は二の次で「愛」、特に異性間の恋愛がずっと大事だと考えているようです。ダンスとなると俄然エネルギーを爆発させます。これだけ書いただけなら、一見、コロンビアの方がずっとまともな社会のように聞こえますが、消費者の立場になった場合、特に効率的な日本の社会に慣れた僕にとっては非常にストレスがたまります。ボゴタで観たブータンの映画で、仏僧が「釈迦は、期待は失望の元だ、と言った」というようなことを言っていたことをいつも思い出しながら暮らしています。確かに、期待して裏切られると腹が立ちます。僕は、何かを注文したとき、「2日でできる」と言われると最低2ヶ月はかかるものと思うことによって、初めの頃のようなストレスが減ってきました。2005年の10月のことでした。一時帰国した日本からの帰途、ロス・アンゼルスの空港でコロンビア行きの切符が正しくないと言われ、二人分200ドルを余分に払わされました。コロンビアに帰ってすぐ、切符を買った旅行社に行きました。旅行社は、「そんなことはない。航空会社から払い戻してもらってやる」と言いました。そのまま連絡がないので、こちらから毎日のように電話しました。3ヶ月以上経った翌年の1月27日、やっと払い戻してもらえると言うので旅行社に行きました。半額の100ドルしかもらえませんでした。残りの100ドルは、すぐに払うと言われました。また毎日のように電話しました。すぐに払うがまた5ヶ月経った、5月19日、今度こそ払うと言うので旅行社へ行きました。行くと旅行社の事務所には警官がいました。切符代を払ったのに切符をもらえないという人が何人も来ていて、そのうちの一人が怒って灰皿を床に投げ付けたようでした。この事件の後は、「払う」ではなく「お金がない」という答えだけが返ってくるようになりました。6月2日、僕はとうとう100ドルは諦め、観光局へ行ってこの旅行社に何らかの制裁を加えてくれるよう申請書を出しました。観光局からは、調査するという返事をもらって以降、何の返答もありません。
Guatavitaに引っ越しする前、ボゴタでは日本のように床に座って食事をしていたので座椅子が欲しいと思いました。何軒かに電話したら、その一軒が作ってやると言うので、2006年5月30日、設計図を作って持って行きました。1ヶ月半経った7月14日、椅子屋から座椅子の骨組みができたと言うので行きました。リクライニング方式が、僕が考えていたものでなく、自動車の部品を使ったもので、良いものが案外早くできたと喜びました。しかしその後、リクライニングが壊れた、注文した椅子に張る生地が入手できない、生地を張る工場の仕事が遅れているといった言い訳ばかりで、はや5ヶ月以上が経ちました。最近は携帯電話に電話しても、メールを出しても返事がありません。
ビデオカメラのフィルム・カートリッジは、5年半前に日本から、予備を含め2本を持って出たのですが、1本のカートリッジには雑音が入るようになりました。このカメラは既に製造中止になっていてカートリッジは香港以外では入手不能と聞いていました。ボゴタにどんなカメラでも修理できる店があると聞いたので、2006年7月6日にそこに行きました。しばらくして、店から電話があり「カートリッジを開けると壊れる可能性がある」と言われたので、「それでは開けずに、そのまま返してくれ」と答えました。ところが7月31日に店に行くと、涼しい顔をして「カートリッジは潰れた」と言います。そして「ボゴタで同じカートリッジを捜す」と言うので、連絡を待つことにして店を出ました。その後何の連絡もないので4ヵ月半待って12月16日にまた店に行きました。今度は「預かったカートリッジは何処にあるか分からない」と言われました。僕は言葉を失いました。
ボゴタには、違法コピーのCDを売っている所が、僕の知っている限り2ヶ所あります。その一つはボゴタの南地域にある電気屋街の外れにあって、そこではMP3で150曲も収録されたCDが200円で売られています。ラテン・アメリカの音楽を中心に30枚ほど買いました。また封切り前の映画も同じくらいの値段で売られています。もう一つは北地域にある、パソコンやパソコン関係の製品ばかりを売っているショッピング・センターの前の路上です。ここでは音楽CDに加え、コンピュータ・ソフトが安く売られています。ウィルス対策ソフトNorton Antivirus 2006が1000円で売られていたので、2006年7月14日に買いました。インストールに必要な製品番号等は買ったCDの中に書かれているというので、家に持って帰ってインストールしました。製品番号は20個ほど書かれていましたが、どれを使ってもインストールできません。後日、ボゴタまで行って交換してもらいました。全く同じものでインストールできませんでした。PCを持って来たら、よく分かっている人がインストールしてくれると言うので持って行ったこともあります。その日は警察の手入れ強化されているのでできないと言われました。そこで、後日またボゴタへ行って今度は別のソフトMacAfeeに交換してもらいました。ところがCDにはヒビが入り壊れていました。こんなことで6~7回通いました。そうしている間に5ヶ月が過ぎました。12月16日にまた行ったら、僕に売った女の子は、少し前に警察に捕まり、もう辞めて別の店に勤めていると、別の違法売り子から知らされました。またしても僕は諦めました。
Guatavitaには2006年の7月22日に引っ越してきました。8月に入ると寒い日が続きました。この村では多くの人がRuanaと呼ばれるポンチョを着ています。羊毛製で、毛布のように厚い生地で作られています。これなら寒さは気になりません。人によっては、特に女の人は、Ruanaに加えカーボーイ・ハットのような帽子を被っていて、格好よく見えます。僕も寒さ対策と、観光客ではなく地元の人間だということを強調する意味で一着買うことにしました。Ruanaが仕上がる前に、待ちきれず皮製で黒のカーボーイ・ハットまで買いました。Ruanaは染められていない天然の羊毛で織られているので、普通は白か灰色か茶色です。珍しいですが黒もあります。黒以外はGuatavitaの土産物屋でも売られているのですが、僕は黒に灰色の線が入ったもので、特別に左の胸にタバコを入れるためのポケットと左右に内ポケットのあるもので、しかも左の外ポケットには僕のロゴである闘牛の絵の下に”El Toro”の字が織り込まれたものを手に入れたいと思い、織子を捜しました。織子は2週間でできると言いました。糸代として手付け金2000円を払いました。織子は4ヶ月ほど経ってから黒の糸が手に入らないからと言ってお金を返しに来ました。その時に織子が、40~50km離れた町で黒の糸が売られていると言いました。多分、織子はバス代を払ってまで買いに行きたくなかっただろうと思い、すぐに自分で買いに行きました。幸いRuanaを作ってくれる店があったので注文しました。11月8日でした。12月2日に出来上がると言いました。その日に確認の電話をしたら黒の糸が手に入らなかったと言います。一週間後に電話するように言われたので電話したら、今度は実は晴天が続いているのに、「雨のために糸が乾かない」と答えます。12月21日に電話したら、まだできていないと言うので返金してもらうことにして、その町へ行きました。「糸が乾かない」は嘘で、糸はありませんでした。別の店で注文し直して、嘘か本当か、1ヵ月後の1月の22日に受け取れることになっています。
日本から持ってきたウォッシュレットの便座カバーが欲しいと思いました。コロンビアではウォッシュレットは売っていません。カバーについては普通の便器用のものとして、便器の蓋のカバーと足元のマットがセットになって売られているのですが、なぜか便座カバーは付いていません。Guatavitaの借家のすぐ近所に洋裁屋がありました。ここで縫ってもらうことにしました。透明のショッピング・バッグにマジックで型を描いて渡しました。一つが100円という安さです。3~4日で出来上がると言ったのが、2ヶ月も経ちました。やっと受け取ったと思ったら、一見して型より小さく出来上がっています。「型は?」と聞いたら、「もう捨てたと」と言います。家に持って帰って、縫っている部分を解き、太めのゴムバンドを使って作り直しました。自分で作った方が早いと思いました。しかし、ボゴタまで生地を買いに行くのが大変なので、また、予備を注文しました。マジック・テープがない、生地が足りないといった言い訳をして、一週間、二週間と延び延びになり、このままでは数ヶ月かかりそうです。
新しい購入候補の土地
候補の土地から見降ろすGuatavitaの村
さて、肝心の家のための土地の購入です。引っ越しから2日後の2006年7月24日、村役場の都市計画係に行き、翌日、担当の建築技師と購入予定地を見に行く予約を取りました。25日、土地の所有者と技師、それにもう一人の村役場職員と一緒に土地を見に行きました。土地を見た後、技師は湖側の隣の土地は村役場の公園なので原則的に、建設予定の家については湖側に窓を作ってもいいが、将来、その土地を売却する可能性もある、と言いました。「それなら、その村役場の土地も僕に売ってくれ」と頼みました。技師はその方向で建築審議会にかける、と答えました。3ヶ月半以上経った11月15日、建築技師から隣の村役場の登記書類が出てこないので、その土地は売れないし、万が一別の所有者が出てきた場合のことを考えると、役場の土地側、すなわち湖側に窓を作ることは許可できないと言われました。それでまた断念しました。一から出直しです。今までにGuatavitaの空き地は殆ど全部見ました。一ヶ所、山手にあってGuatavitaの村とその先に続く湖を見下ろせる土地を見つけましたが、土地に辿り着くまで50mほどの傾斜のきつい坂があるので、まだ決めかねています。こんなことはまだまだあって書くときりがないほどですが、中には例外もあって心が休まることがあります。日本に一時帰国する前に皮のジャケット7着を仕立ててもらいました。1週間で約束とおり仕上げてくれました。例外的に早いこの仕事振りに感動して、後日、店には日本から持って帰ったささやかな土産をもらってもらいました。また、コロンビアにはNHKが受信できる衛星放送会社があります。受信料はNHK等を除く基礎受信料が月額4500円と高いのですが、高いだけあってこの会社の仕事は日本並の早さです。ボゴタでアンテナと受信装置を付けてもらった時、申し込んだ日の二日後と言っていたのに、翌日来てくれました。またGuatavitaに引っ越した時は、僕等よりも1時間前に着いて待っていてくれました。
先にも書きましたが、ウォッシュレットは日本から2台持ってきました。そのうち1台はボゴタで住んでいた友達の家に置いてきました。新築の家にはトイレを3つか4つ作るつもりなので、できたらあと2つか3つ買いたいと思っていました。ラテン・アメリカの国では使用後の紙は流さずゴミ箱に保管します。それでは臭うのでウォッシュレットは効果的です。しかし、どこを捜してもコロンビアでは売っていません。日本から送ってもらうとしても、ラテン・アメリカの国の多くには途中で消えて着かない、という噂です。2006年9月14日にボゴタで家庭製品の見本市がありました。ひょっとして日本からのウォッシュレットもあるんでは、と期待して行ってみました。ウォッシュレットはなかったのですが、お尻を洗うビデが売られていました。2000円でした。しかし、暖かい湯が出ないのと水の噴出ノズルが水平なのが欠点でした。製品をよく見ると簡単な構造なので、部品をその辺で買うと自分でも作れると思いました。暖かい湯は、この辺の国では1000円程度で売られているシャワー用の電気加熱器を使えば済むと思いました。あとはノズルの角度です。Guatavitaの借家の近所には鉄工所もあります。銅のパイプを使ってその部分の部品を作ってもらいました。まず一つを試作してもらって、3つを追加注文しました。他の仕事を止めて4つを1週間ほどで作ってくれました。制作費は全部で600円ほどでした。他の必要な部品も全てボゴタで購入し、1セットが2000円以下でできました。
見本市では、7万円の中国製衝立を見つけました。幅160cm、高さ180cmに中国の美しい絵が描かれています。中国人の主人は値引きしても6万円までと言っていましたが、そこは同じ東洋人、5万円で売ってくれました。見本市ではもう一つ、電気ヒーターのパンフレットを見つけました。Guatavitaは夜には冷えるので欲しいと思って以前にも特殊は循環液を使ったイタリア製のものを買ったことがあります。しかし部屋の温度は2度しか上昇せず、全く効果がなかったので返品しました。見本市のものはコロンビア製で電熱線だけのものでした。ダメだろうと思いましたが、Guatavitaは遠くて無理だが、ボゴタ市内なら出張サービスで実証するといいます。それで後日マリアの母親の団地に持ってきてもらうことにしました。当日、部屋でスイッチを入れましたが部屋の温度に変化はありません。温度計も1度しか上昇しませんでした。それで業者には断った後、雑談していました。その時、窓の外を見たマリアの母親が「クルマが!」と叫びました。団地の前の路上に駐車していた業者のクルマの前にレッカー車が止まりました。クルマを引いて行くのに10秒とかからない速さでした。レッカー車には警察や会社の名前は書かれていず、作業員も私服でした。僕はてっきり盗難だと思いました。業者はすぐにアパートを走り出て、タクシーを拾って追いかけました。マリアは、仮に盗難でなく、警察に委託された会社のレッカー車であっても、クルマを引き取るのに丸二日はかかり、罰金も1万円以上要ると言いました。その日、業者は電気ヒーターを置いたまま、また連絡もないままアパートには帰ってきませんでした。僕は、業者が愛想のいい人だっただけに気の毒になりました。それで、役には立たないと分かりつつ、1万円1000円で買いました。しかし、まだ一度も使っていません。
Guatavitaに引っ越しする直前、パソコンのヒューレット・パッカード製のプリンターを買いました。僕は、BMWのバイクですら思わぬ故障で難儀した経験があるので、日本製以外の製品は信じていません。テレビはSANNYO、ステレオはPANASONIC、冷蔵庫と電子レンジはSHARP製を買いました。洗濯機は日本製が見つからなかったので韓国製を買いましたが、今のところ問題なく動いています。しかし、USA製の電気炊飯器は、一度も使えず返品したし、コーヒー・メーカーからは生温いコーヒーしか出てきませんでした。それでプリンターも日本製にしようと思ったのですが、日本製はインクの注入ができないのでUSA製にしました。それが間違いでした。案の定、2ヶ月で壊れました。
一番高価で大きな買い物はバイクでした。インターネットの個人売買にSUZUKIのSAVAGE 650が42万円で出ていました。この国では輸入車に高い関税がかかるので、新車も中古車も日本の倍ほどの値段がします。このバイクは、昔USAで買って乗ったことがあり、日本に持って帰りたいとまで思ったほど気に入ったものでした。インターネットで売りに出ていたSavage 650の値段は、他の同規模の日本製バイクに比べて安いので2006年9月18日に買いました。部品の調達が気になったので持ち主に聞きました。ボゴタで可能なので問題なし、との答えでした。後部座席に背もたれが欲しいので、持ち主から紹介されたバイク屋に行きました。タイヤは、まだ2000kmほどは大丈夫そうだったけど交換してくれるよう頼みました。また前輪のサスペンションから少し液が漏れていたので修理を頼みました。エアー・フィルター、後ブレーキ・シュー等は、自分が交換して新品だと言いました。約1ヶ月後の10月13日に引き取りに行きました。タイヤは交換されていましたが、サスペンションの液漏れはそのままでした。走り出すとブレーキは殆ど利きませんでした。すぐにバイク屋に戻りましたが、修理工が何処かへ出かけていたのと、夕暮れが近づいていたのでそのままGuatavitaに帰りました。ボゴタを出てすぐ山の昇り道に入りました。山を上るにつれてバイクは息つきを始め、瀕死の状態になりました。
Sesquileのバイク屋
Sesquileのバイク屋。右からOscar、弟のCamilo、工員のAlberto
数日後、まずキャブレターを見てもらおうと思って、隣村のSesquileにあると聞いた2軒のバイク屋を捜しに行きました。1軒目は、バイクを見るとすぐ、このキャブレターを開けるのには特殊工具が要るといって断られました。そんなことはないと思ったので2軒目のバイク屋に行きました。店の主人、31才のOscarは、すぐに見てみると言いました。彼は1921年型のUSA製Villiersというバイクを持っているばかりか、6年前に買って修理した1953年型ロシア製の175cc、UMI(BOCXO-2)を毎日走らせています。日本直輸入のHONDA XR 250とKAWASAKI KL 250も持っています。早速、弟のCamilo、工員のAlbertoと三人でキャブレターを外しにかかりました。このバイクには稚拙な改造が加えられているので、三人の作業を見ているだけで疲れました。キャブレターもエアー・フィルターも詰まっていませんでした。Oscarはキャブレターのメイン・ジェットの穴に電線の細い銅線を何本か撚り合せて、それを刺し込みました。バイク屋の近所を試走してみたら、バイクの調子は改善されていました。しかし、ブレーキはもちろん利かないままです。点灯していた方向指示器も点灯しなくなっていました。OscarはSavageの部品はボゴタでは入手不能だが、注文したら作ってもらえると言いました。そこで、ブレーキ・パッド、ブレーキ・シュー、指示器、それに前サスペンションのオイル・シールとダスト・シールの注文を頼み、バイクを預けたままにしてバスで家に帰りました。11月6日Oscarから連絡があり、整備が終わって試乗したら今度は前ブレーキのホースが破れたと言われ、またバイク屋に見に行きました。これも注文・製造してもらうことにして、またバスで帰りました。11月19日、整備が終わったというのでバイクを引き取りに行きました。近所を走ってみて直ったと思っていたバイクですが、自宅までの約20kmを走ってみると、まだまともに走ってくれません。
まるで自分のバイクを修理するように頑張ってくれるOscar
エンジンを完全に分解したOscar
それで二日後、またバイク屋に持って行きました。バイクを預けてしばらくしてから戻ると、Oscarはエンジン・オイルが殆どなかったと言いました。往復40km走る前には正規の量だけあったことを確認していたのに、おかしい。でも、それならまた別にも重大な問題がある。エンジンを開けてもらいました。ピストンとシリンダーの修理が必要でした。おまけにカム・チェーンが伸びきっていました。Oscarはピストン・リングを作り、シリンダーを修理してくれる店は知っているが、カム・チェーンは無理だが、合うものがあるかどうか捜してみると言いました。数日後、カム・チェーンはやはりボゴタにはないという連絡が入りました。コロンビアのSUZUKIに電話しましたが、部品の取り寄せはしないと言います。これはもう日本から取り寄せるしか手がありません。それなら他の部品についても、ボゴタでその都度作ってもらっていたのでは時間がかかるし、Oscarの話しでは品質が悪くてすぐダメになるというので、必要なものは全部日本で注文してくれるよう、僕のバイクの師匠、大阪の倉矢氏に頼みました。ところが11月30日、Oscarから朗報が入りました。ボゴタのSUZUKIの店主が12月2日に仕事でUSAへ行くが、頼んだらあちらで買ってきてくれるということでした。チリ、アルゼンチン、ブラジルのバイク屋もそうでしたが、この二人も何と責任感が強くて優しいことでしょうか!クリスマスに、SUZUKIの店主の娘さんが、カム・チェーン、それに注文していなかったピストンとエアー・フィルターまで気を利かしてUSAから持って帰ってくれました。彼女はクルマでボゴタから片道6時間ほどかかるIbagueという町に住んでいます。Oscarは、知人に頼んで12月29日に受け取ってくれました。それから大晦日の早朝3時まで頑張って組み上げてくれました。コロンビア人にもこんな人がいるのです。まるで自分のバイク以上の愛情ではありませんか。ところが二度目の試運転でまた問題が見つかりました。今度はポンプに問題が出て、バルブを冷やすためのエンジン・オイルが回っていないと言います。1月1日だけ仕事をしなかったOscarは、1月2日には朝の3時に起きて、再びエンジンを分解し、オイル・ポンプを調べてくれました。昼間頃連絡が入ったので彼の店に行きました。止めているピンが折れただけで、これはボゴタで製作可能と言いました。さらに、エアー・フィルターとキャブレターを連結するゴム・ホースが破れているのも見つけてくれました。多分これがバイクがまともに走らない一番の原因なので、今度の修理が終わるとそこそこ走ってくれるのではないかと期待しています。
バイクを買った後、サドル・バッグとタンク・バッグが要ると思いました。ボゴタのバイク用品屋を何軒も探しましたが、売っていません。仕方がないので自分で図面を描き、作ってくれるバッグ屋さんを探し出しました。いろいろ注文をつけたので面倒くさい仕事になりましたが快く引き受けてくれ、わずか12日で仕上げてくれました。しかも値段は両方で9000円でした。コロンビアにも責任を持って仕事をしてくれる人達がいるのです。
12月の23日に、日本のエスペランティストで35才の金子洋一さんが、我が家を訪ねて数日泊まってくれました。彼はもう5年も世界中をエスペラント語を使って旅しています。ヨーロッパではアイスランドを除く全ての国を回ったそうです。「ヨーロッパのホテルは高いでしょう?」と聞くと、「殆どがエスペランティストの家に泊めてもらった」という答えが返ってきました。エスペラント語が生きていることを再確認しました。Guatavitaの村から15kmほど離れた山の上に”El Dorado”(黄金郷)」として世界に知られる湖があります。つい最近も観光のための遊歩道の整備工事をしている時に、金の装飾品が何点か出てきて、しばらく立ち入り禁止になっていました。そこに彼をバイクで連れて行ってやりたかったのですが、修理が間に合わず、そこで働くJorgeに頼んで彼のクルマで送ってもらいました。ところがJorgeに急用ができて、帰りは山道を歩いて戻ることになりました。幸い数キロ歩いた時にトラックが来たので乗せてもらうことができましたが・・・
今月の12日には2年前にBMWを売りに行ったエクアドールで会った、オーストラリア人の夫婦がバイクで我が家に来てくれることになっています。Guatavitaではアンデス山脈を一緒に走って温泉へ行こうとメールに書きました。修理が間に合えばいいのですが・・・バイクの部品は、将来の予備も考えて、日本で10万円分を買ってもらいました。途中の盗難が心配なので半分ほどだけ送ってもらうつもりです。ついでなので、古本と座椅子も弟から送ってもらうことにしました。インターネット・ショッピングは国境がなく本当に便利です。古本は、シリーズの歴史書、スペイン語文法書、禅関係の本を26kg分買いました。座椅子は1脚4000円程度の合成皮革でリクライニング式のものを4脚買いました。日本語の古本、脚のない椅子なら途中で盗まれる可能性が少ないと思っています。今、船でこちらへ向かっているはずです。
エスペラント語で世界を旅する金子洋一さん
"El Dorado"で知られるCacique湖