2009年8月17日、その日は月曜日だが祭日なので前日から友達のHernanが娘のMatzudyとバイクで来ていました。また昼頃にMaria の親戚の母親と妹、息子、それにお手伝いさんがクルマで来ました。Hernan達が帰るというので、僕も1年近くもバイク屋に出していてやっと帰ってきたバイクのエンジンを掛けることにしました。4日前にバイク屋から引き取り2回目のエンジン始動でした。家の庭に屋根だけ付けたガレージでエンジンを掛けたらバイクが急に走り出し、横の壁に衝突してバイクが倒れました。僕は眼の上を壁に打ちつけ、血が出ました。実はバイクを修理に出して、故障して使用されていなかったデコンプ・ソレノイド・アッシの替わりに始動時にエンジンの圧力を抜くためのレバーを一本付けていたのです。それで、左のハンドルにはクラッチ・レバーに加え、もう一本レバーが付いていた訳です。僕はクラッチ・レバーが一速ギアーに入っているのを忘れて、この追加したレバーを引いてエンジンを掛けてしまったのです。それでバイクが走り出してしまった訳です。横の壁との距離は50cm位でしたが、頭を壁に打ち付けなのです。
その夜薬を飲んで少し楽になりましたが、左の首が痛んで動かせず、朝まで眠れませんでした。朝起きて11時半に病院に行きました。薬のせいで首の痛みは少し治まっていましたが、医者が診断するため首をいじったときは飛び上がるほど痛みました。医者は首のレントゲンを撮ると言いました。しかし機械は故障で夕方の6時半まで待ったがダメでした。 翌日、またレントゲンを撮るため、10時に病院に行きました。この日はレントゲンは直っていましたが、今度をコンピュータの回線が不良で3時半まで掛かりました。日本のようには行かないんです。しかしレントゲンの結果は良好で、全く問題ないと言われました。ひとまず安心でした。昨日から首を固定するため、日本語で何と言うのか忘れたが、プラスティック製の首巻のような物を付けていました。医者は一週間くらいと言っていたが、少し不便でした。
8月18日からちょっとしたことが起こりました。2年前の5月から動脈硬化になり、それからは一切夢を見なくなっていました。しかし18日にバイクで頭をぶつけてから、また夢を見るようになったのです。18日は虫歯を詰めていた歯が抜け落ちた夢を見たし、19日は、もう8年以上前のことですが、日本では奈良に住んでいたのですがなぜか京都の近くに引越しした夢を見たのです。そしてこの夢は以前に2~3回見ているのです。とにかく夢を全く見ないというのは少し可笑しいので、これは良いことだと思っています。その後夢は2回見ただけで合計4回、やはりちょっと心配です。
この国ではバイクで酷い目に遭っています。2001年6月からのアメリカ旅行に使っていたバイクは1150ccのBMWでした。そのバイクでコロンビアまで来て南米を一周したのですが、この国では古いバイクは輸入出来ないので、隣のエクアドールまで行って安く売り、コロンビアに帰ってきて、今度はアメリカ製のSuzuki Savage 650を買いました。コロンビアでは輸入関税は恐ろしく高くて、アメリカで売っている新車のSavage以上のお金を払っても、中古のバイクしか買えませんでした。しかも失敗だったのはアメリカから輸入されたバイクで、おまけにインターネットの「バイク売ります」で買ったことでした。バイクに関する保証はないのです。買ったのは2006年9月18日ですから3年ちょっと前です。故障続きで半分くらいはバイク屋に修理に出していて、走った距離はまだ 2,600kmです。修理に出すといってもこちらのバイク屋はいい加減で、修理されるよりも潰されるといった感じです。僕が住んでいるのは12~13万人の町でバイク屋も小さな店が2~3軒あるだけです。ちょっと調子が悪かったので、一年以上前に首都のボゴタにあるSuzukiの大きな店に修理に出しました。それが10ヶ月掛かった後、バラバラにした状態で直せないと言われました。無茶苦茶なことを言うので頭に来ましたが、そこは怒りを抑えて頼み込み、修理を終えてもらいました。そのバイク、受け取って3キロほど走ったところでエンストしました。バイク屋に電話して修理したメカに来てもらい無事に帰路につきました。ところがそこから5~6キロほど走ったらエンジンの音が異常に悪くなり、またまた止まってしまいました。幸い近くにバイク屋があったのでまた修理に出しました。一週間そのバイク屋で何とか走れるまで修理してもらって、いま住んでいるFusagasugaまで帰ってきたのが2009年5月20日でした。すぐにこちらのバイク屋に修理に出し、バイクの配線ケーブルを全て変えてもらったのですが、エンジンからオイルが漏れていました。Fusagasugaに帰ってきてからも殆んどバイク屋に修理に出していて、まだ145キロしか走ってないんです。この国では、ちょっとした修理でも1ヶ月くらい掛かるのも原因ではあるのですが・・・。このバイク、50万円弱の購入費、それに加え修理代と日本から補修部品の取り寄せ代を入れると、もう100万円以上お金を使いました。
2005年日本に帰国してから、早いもので今年で5年になります。そんなに重要なことではありませんが、日本のバイクの免許証が切れます。コロンビアでもバイクの免許証を取り、ついでにクルマの免許証も買いました(!)。バイクはFusagasugaにはパンアメリカン・ハイウェーのほぼ一本の道しかなく、しかもFusagasugaは2,500mのボゴタから海抜0mに近いMelgarへの下り道にあり、ボゴタは交通量が多く、またMelgarは暑いのでバイクに乗る気がしません。しかも先に書いたとおり、バイクは買ってから殆んど修理屋で寝てました。それで2009年の12月に、ボゴタの近くでGuatavitaに住んでいた頃のバイク屋に売る約束をしました。30万円位で売る約束をしたのですが、お金は2回に分けて貰い、今年の6月にバイクを引き渡す約束をしました。バイク屋が約束を守れば売るつもりです。40歳を超えてから乗り出したバイクですが、いよいよお別れです。
ボゴタに住んでいる年寄りの日本人が田舎のこの町か、または同じ位の高度の町に引っ越してくると言っています。我が家の高度は 1,650m位で一年中初夏の気候です。僕が家を建てる土地を買った高度2,700mのGuatavitaという町から、このFusagasugaに引越ししてきたのは、2年半前に動脈硬化で頭の血管が破れ、医者が2,000m以下の土地の方が安全だと言ったからです。もう2年以上薬を飲み続けていますが、まだ両足の血管も殆んど詰まっていて血液が流れにくくなっています。医者は歩くのが一番と言うので、暇があれば近所を歩くようにしています。近所を歩くといっても、道といえば家の前を走っている片道一斜線のパンアメリカン・ハイウェーとその500m向こうにある未舗装路だけなので、いつも同じ道で少し退屈です。ボゴタからは60~70km位で1時間半か2時間位かかります。東京なら通勤範囲かも知れませんが、この国ではそんなに時間を掛けて通勤する人はいません。
さて今までは健康のため、ただ歩いていただけなのですが、ボゴタの日本人が来るかもしれないので彼のため家を捜し始めました。この国では安全のため、高価な家は塀に囲まれています。僕の住んでいる所は30軒位が、また別のところは70軒位が塀で囲まれ、塀の入口には門があって必ず門番がいます。僕の妻の姉さんの家はボゴタにあるのですが、家の入口には鍵が5つか6つ付けてあります。そう日本では考えられませんが、家を留守にすると泥棒が入ると言われます。我が住宅地はまだ空き地があって、23軒の家が建っています。そのうち我が家を入れ8軒だけに人が住んでいて、残りは別荘です。僕が引っ越してきて一年8ヶ月ですが、もう3軒に泥棒が入ったと聞いています。僕の家はFusagasugaの街から少し離れていて、未だ少し空き地があります。近所には塀に囲まれた集合住宅が建ち始めました。日本人の友達のため部屋を見て値段を聞く必要があります。この辺りは気候も良く、ボゴタからも近いのでどんどん開発が進み、住宅の値段も結構します。この辺り、またはこの国全体かも知れませんが、貸家が本当に少ないのでお金のない人はどうしているのかと心配です。その少ない貸家を見つけ、1階に食堂と応接間、2階に小さな部屋三つの家が管理費込みで4万円程と聞きました。これにガス代、水道代、電気代等を入れるとかなりの金額になり、もし僕が家を買っていなければ10万円弱の年金ではとても暮らせないと思います。
そう、先にバイクの免許証が切れるので、日本に帰ろうかと思っている話をしてましたね。この国は難儀な国で、旅行もなかなか簡単にはできません。電気代、水道代等の支払いには日本のように自動振込制度は無く、毎月銀行に行って払い込まなければなりません。それよりも問題なのは、しばらく家を留守にすると必ず泥棒が入ると言われます。それで信用できる暇な人を捜しているんですが、なかなかそんな人はいません。この町に日本人が2人住んでいて、その一人が僕が日本に帰国している間、家に泊まってくれると言っています。もしそれが可能なら家の支払いも彼に頼んで、帰国しようと思っています。その時はまた日本で再会できることを楽しみにしています。