コロンビアの首都ボゴタは北に行くほど環境が良くなります。その辺りには日本食材店等もあり、またそこにはコロンビアの身分証明書発行事務所もあるので、僕たちも何回も行きました。その事務所から200~300m離れた103番街には大通りを跨ぐ大きな陸橋が建てられていました。完成に近づいた2015年2月1日、そこで開通式の予行演習のようなことが行われました。なんとその日、この陸橋が崩れ落ちてしまったのです。この国では工事費を安く上げるため、セメントの厚さを削ったりすると聞いています。そうして浮かしたお金は普通、建設費の30%位に上り政治家の懐に入ると言われています。このような不正のため、前大統領が辞めた時、彼の周りの国務大臣の多くが逮捕されました。戦前から戦後にかけて日本でも似たようなことがあったようですが、ここ中南米ではまだ続いているようです。
別にこれと言って何もすることのないコロンビアで、読書は僕の生活で大きな意味を持っています。ほぼ毎日、朝起きると本を読みます。読むのは日本語の本です。全て日本で買った古本です。
2011年の夏に帰国した時には、大阪の古本屋で89冊の古本を買いました。本の種類は、世界の歴史書(28冊)、日本の歴史書(22冊)、禅等仏教関係の本(28冊)、スペイン語教科書(11冊)でした。2013年4月と2015年5月にはインターネットで日本の古本を探して大阪府に住む姉の家に送ってもらい、その後姉からコロンビアに送ってもらいました。2013年には歴史書と海外旅行の本308冊、そして2015年5月には歴史書362冊を手に入れました。さらに6月には10冊追加注文しました。2013年に買った本は、まだ半分くらいは読んでいませんが、インターネットで古本を見ていたら買いたくなったのです。これであと10年位は大丈夫だと思います。これらの本を収納するための書棚を3つ作りました。もう家には書棚を置く場所がなくなりました。そして3つの書棚もほぼ一杯なので、次はどうしようかと思っています。しかし、それまで生きていたらの話なので、あまり考えても意味がないのかも知れません。僕が死んだときには、ボゴタの日本大使館に寄付しようと思って電話しました。すると大使館に勤める崎原啓子さんが是非欲しいと言いました。ボゴタの日本人学校の図書室に寄付してくれると言うので、とりあえず、日本から間違って2冊ずつ買った「日本史探訪」22冊を大使館の彼女の所に持っていきました。彼女は来年定年退職なので本を読む時間ができると言っていました。
そう、今年の5月にインターネットのAmazonで本を注文したら、あまり大量の本を買うので不思議に思ったカード会社(NTT)が支払いを止めて購入できないようにしてしまいました。幸いすぐにNTTから電話があって、また支払いができるようにしてもらいましたが、最近はカードの不正利用事件が多いみたいです。
去年の暮に家の近所の裁縫屋でパンツ3枚を作ってもらうように注文しました。こちらでもパンツは街の店で売っていますが、パンツに小便のための穴が開いていなかったりして、最近は全て注文して作ってもらっています。少し前までは向かいの奥さんが縫物をしていたので頼んでいたのですが、ミシンがなくなりこの裁縫屋を見つけたのでした。この裁縫屋、ズボンの裾上げ等を頼んだらきちっと仕事をしてくれていました。それでパンツも作れるのかと聞きましたら、できると言いました。一枚600円でした。年の暮れ30日に仕上がると言っていたのですが、できませんでした。今年の一月になって店はずっと閉まっていました。いつも閉まっているので、ある日、玄関のドアを叩くと母親と言う人が出てきました。何も知らないと言います。こちらの店で、例えば靴屋でも物を頼む時、値段の半額位を先に払っておくことになっています。それで600円×3枚=1,800円の半額900円を支払いました。しかし店は閉まったままです。3月2日、この人とフサガスガの珈琲店で会いました。仕事を変えたと言っていました。しかし僕のパンツの代金はどうなっているのか、全く無視です。900円の損失でした。
日本では考えられませんが、こんなことは良くあるとマリアに言われています。先に書いた向かいの奥さんが、何年か前に2,500円貸してくれと言ってきました。返してもらえなかったら気分が悪いので、長袖のカッターシャツ2枚を縫ってもらうように頼みました。一枚は以前に作ったシャツの丈が短いので継ぎ接ぎをして、後の一枚は新しく作ってもらう約束でした。継ぎ接ぎは終わりましたが、新しいシャツは完全に無視されています。
2001年に出る時に、大阪のCitibankに預金したら、シンガポールのCitibankにも口座を開けると言われました。そして開いたのが本当に良かったのです。日本の銀行にお金を預けていても殆ど利子が着きません。それで僕は大阪のCitibankでは投資信託を買いました。2008年の金融不況で預金額の半分くらいを失いましたが、今年になって元の預金額まで上がってきて、さらに50万円ほど儲かっているので少し気が楽になりました。
このように投資信託は損をする可能性があるので危険ですが、シンガポールのCitibankには利子が年6%と言った債権を買うことができます。これは預金額の補償はありませんが、半年に一回利子を受け取ることができます。僕はこれで随分助かっています。それにシンガポールのCitibankには日本人のスタッフが沢山いて日本の銀行と変わりません。それどころか、サービスは日本の銀行より格段に良いのです。
僕も歳を取ってきて死ぬことを考えるようになってきました。ある時、シンガポールのCitibankの現地人スタッフとしゃべっていました。この銀行の人は全員、自国語の中国語の他に、日本語、英語をしゃべれ、また書けます。現地スタッフの人は、妻のマリアと共同口座が開けると言いました。以前はできないと聞いていたのですが、実に良い情報です。早速手続きにかかりました。去年の10月のことでした。書類の変更には郵便でシンガポールに送る必要があります。そしてその郵便ですが、郵送料がコロンビアでは封筒一通750円もするばかりでなく、郵送日数が3週間から一か月ほどかかります。それとシンガポールに口座を開くためには日本に住んでいる必要があるのですが、僕はその後日本を出たので日本に住所がありません。そんなことでマリアとの共同口座の登録は7か月もかかり、2015年5月にやっと終わりました。7月3日にその共同口座からコロンビアの銀行にインターネットで送金できるように依頼メールを送りました。7月3日は金曜日で、こちらの郵便局はインターネットが故障していて処理できず、月曜日になると言っていました。
そんなことでマリアとの共同口座の登録は10か月近くもかかった今でもまだ終わっていません。
シンガポールは63の島からなる東京23区とほぼ同じ面積の小さな国です。インターネットで調べると、その人口密度はモナコに次いで世界第2位だそうです。2008年の経済不況で日本、USA、欧州が苦しむ中、この国はずっと好調を保ってきました。その理由の一つにサービスの良さがあるのかも知れません。
インターネットで調べると、結婚して10年目は、アルミ婚式とか錫婚式と書かれています。余り聞いたことがないので結婚10年は大したことがないのかもしれません。しかし妻のマリアは去年の10月頃にコnosugusitani ロンビアのカリブ海に臨む大観光地であるCartagena行の飛行機を予約していました。出発は5月6日で彼女の誕生日だったのです。往復で一人約8,000円でした。飛行機を1時間半乗ってこの値段は確かに安いと思いました。通常の料金の半額位だろうかと思って出発の2日前にインターネットで3か月後の航空料金を調べると15%ほど高い値段で売られていました。この切符、半年も前に買ったから安かったのだろうと思っていましたが、15%ならこの国の物価上昇率を考えると殆ど安くはありません。
しかも出発の一か月ほど前に座席の予約を取ろうとしたら、出発の48時間前でないと予約が取れないと書かれていました。それではキャンセル待ちの航空券ではありませんか。僕はキャンセル待ちの飛行機には乗ったことがありません。今はいつでも暇なので問題はありませんが、働いていた頃は確実に出発して、また予定どおりに返ってくる必要がありました。でもやっぱりいやなのでマリアに航空会社に電話してもらって、2~3倍払っても良いから、航空券を変えてもらえないか聞いてもらいました。しかしダメでした。出発の2日前にならないと行けるかどうか分からないので、ホテルの予約も初日だけ行いました。Hotel Stilと言う名前の安い旅館で一泊4,000位だったからです。
Hiltonホテルのプール
コロンビアの大観光都市CartagenaのHiltonホテル
僕はコロンビアに住むようになってから殆ど海外に出たことはありません。日本に2度帰ったのと、ペルーのマチュピチュ等へ2回言ったくらいです。その理由の一つは、コロンビア人の妻のマリアには他の国への入国ビザの取得が難しかったからです。コロンビアでは50年前の日本と同様、海外旅行は規制されていました。南米の国にもなかなか行けなかったのです。ところが2年ほど前にマリアの姉が母親とアルゼンチンに行ってきました。聞くと、規制が緩和されたと言いました。中南米の多くの国に行けるようになったのです。アルゼンチンやチリには氷河や美しい山々があって、マリアにも見せたいと思っていました。アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの国境にあるイグアスの滝にも連れて行きたいと思っています。しかしその前にアメリカ合衆国の西部の観光地巡りの3週間の旅の方が先だと思っていました。
Cartagenaの旧市街(1)
マリアは日本に行くときに合衆国を通るのでビザを取っていたのです。去年の秋に3週間の旅をしようと計画を立てました。しかし一番見せたい所の一つであるイエローストーンは夏を過ぎると気温が下がって良くないと書かれていました。確かに、僕が行ったのは7月の中ごろでした。それで今年に延期した訳ですが、マリアが2月ごろから体の調子を崩して、長い旅行は暫く難しくなりました。来年になればまた元気になって行ける筈だと思っています。取り合えず、来年の一月頃にアルゼンチンとチリに行ければ良いなあと思っています。さて、中南米諸国で問題の空き巣泥棒対策ですが、マリアの母親と息子が留守番に来てくれることになりました。
Cartagenaの旧市街(2)
5月6日、Cartagenaには10時45分に着きました。最終日は豪華にHiltonホテルに泊まろうと思い、空港からまっすぐホテルの予約に向かおうと思いました。Hiltonホテルなら歓迎バスが空港に来ている筈だと思っていました。しかし空港の係員に聞いてもないと言われたのでタクシーに乗りました。相当の距離があるのに350円位でした。この時期は観光客が少ないので部屋は開いていました。予約金も取られませんでした。朝食付き一泊二人で2万円ちょっとしましたが、生まれて初めての高級ホテルなので奮発しました。当日予約しておいたHotel Stilは4,000円くらいでしたから5倍以上の値段です。11時45分に予約が終わり、Hotel Stilのチェックインの15時まで時間がありました。そこで、Hiltonホテルの少し離れたところに安いホテルがあるとインターネットで調べていたので見に行きました。最初に見たホテルは3,500円位でしたが、窓のない部屋でした。一泊だけなら良いかと思って予約しましたが、予約金は支払いませんでした。そのホテルの近所には安いホテルが幾つもありました。小さな窓も着いている一泊3,000円の部屋も2か所で見つけたので最初のホテルはキャンセルすることにしました。そうしていると観光客相手にホテルや観光船の紹介をしている女の人に会いました。
Cartagenaの旧市街(3)
6,000円くらいで、ホテルではないがホテルよりもずっと大きな部屋の宿泊施設があると言います。Gran Viaと言う20階建てくらいのビルで、50畳くらいの部屋だったでしょうか? 床から天井まで全て窓で、窓の向こうには高層ビルが建ち並び、Hiltonホテルも見えました。2泊すると言ったら5,500円になりました。これで5月9日、10日、11日のホテルは取れました。旧市街の入り口近くにも泊まりたいと思っていたので、また歩きました。この辺りはずっと高層ホテルが立ち並んでいます。30分ほど歩くと高層ビルがなくなり、旧市街に近づいた所で、交通量が多くなり歩道も狭くなったのと、歩き疲れて足が痛くなってきたのでタクシーに乗りました。調べておいた2軒のホテルは、一つは見つからず、もう一つはホテルではなくなっていましたが、泊めてもらえるような雰囲気でした。しかし値段を聞くと一泊3万円くらいと言われましたので、すぐに引き上げました。その辺りは、さすが旧市街だけあって1~2km四方が城壁のような高い壁で囲まれていて、趣のある建物が立ち並んでいました。その中にホテルを見つけたので値段を聞くと6,000円くらいだと言い、5,000円でも良いと言われましたが予約はしませんでした。
Cartagenaの旧市街(4)
旧市街で時間を潰していたら16時になったので、一端、家から予約しておいたHotel Stilに行きました。このホテルは旧市街の高い壁の外側にある道路の横に建っていて、10階建てのビルでした。予約していた部屋はその10階にあり、窓からは先程歩いてきた旧市街が見渡せました。反対側の景色も見たいと廊下に出たのですが、窓がありません。廊下の端に階段があり、まだ上に上がれるようでした。11階には、今は使われていないような食堂で、大きな窓からは部屋とは反対側の景色も見えました。こちらは今朝から予約に行った高層ビル街が見えました。僕はこちらの景色の方が好きでした。Hotel Stilを出て旧市街からさらに離れると、2~3階建てのホテルが立ち並んでいます。旅行前にはこの辺りの旅館にも泊まりたいと思っていました。何軒か見たのですが、値段はHotel Stilよりも高く、部屋も良くないので止めることにしました。そして2泊目もHotel Stilにすることにしました。
ホテルの様な宿泊施設Gran Viaから見たホテル街
Hotel Stil
Hotel Stilを出て、また旧市街に行きました。Cartagenaからは沖合の島に観光船が出ているので、予約しようと思ったのです。Cartagenaの海辺も海水浴場で囲まれていますが、もっと美しい海岸は一時間ほど高速ボートに乗って行かなければなりません。それと最後に残った3日目のホテルを予約したいと思っていました。昼間に見たホテルでも良いかなあと思っていました。この国は赤道に近くて一年中18時頃には日が暮れます。19時頃そのホテルに行きました。殆ど全ての店が閉まっていて人通りもありません。泊まろうと思っていたホテルにはバルコニーもあったのですが、付近は街灯も少なく薄暗くなっていて、とてもバルコニーで周りの景色を見る雰囲気ではありません。3泊目もHotel Stilに決めました。 5月9日と10日に予約していたGran Viaは、最初はなかなか良い所だと思っていたのですが、泊まってみるといろいろ問題が出てきました。まずこの辺りは殆どが高層ビルなので殺風景で、店も少なく良い食堂も殆どない状態でした。しかし日本料理店が何軒かあったので一軒に入りました。小さな巻き寿司8個とコカ・コーラと清涼飲料を飲んで1,600円くらいも払いました。Cartagenaでは二度と日本料理を食べないと思いました。また、Hotel Stilではどの部屋からでもインターネットに接続できたのにGran ViaやHiltonホテルからは1階のホテルの入り口のロビーだけからしか接続できませんでした。Hiltonは部屋からも接続できたのですが1日5ドルを取ると言うので、パソコンは使わず、バッグの中に入れたままにしておきました。
Gran Viaにはもっと問題がありました。ここはホテルではないので朝食は出ませんでした。そしてタオルは一部屋に1枚置いているだけでした。シャワー室に石鹸等の置き場がないのはいくらホテルではないと言っても考えられないことでした。そしてGran Viaの冷房は効き過ぎで、16度にしたまま寝てしまったら風邪を引いてしまいました。これに懲りて最後のHiltonホテルでは温度を24度まで上げようとしても、クーラーの温度計は20℃になったまま上がりませんでした。ホテルに内線で電話すると30分ほどして二人の作業員が部屋に来ましたが、21,5℃以上には上がりませんでした。その夜は涼しかったのでクーラーを切って寝ました。
高速ボートから見たCartagena
5月30日の土曜日にマリアがボゴタの姉の家に泊まりがけで行きました。その夜、真夜中の3時頃に泥棒が入りこもうとしたのです。マリアの姉の家は大きくて3階建てで、3世帯に空き室を貸しています。彼女は夫と娘の3人で2階に住んでいます。泥棒は多分2人で、肩車をして2階の窓から入ろうとしたと思われます。大きな窓ガラスが割られていました。しかしこちらの多くの家には窓ガラスの内側に泥棒除けの鉄格子をしています。それをどうしようとしたのか分かりませんが、その時にマリア達が目を覚ましたので被害がなかったそうです。この家に泥棒が入ろうとしたのは初めてだそうです。ちょうどその夜、不思議なことに、僕は我が家に泥棒が入った夢を見ました。
我が家は田舎にあるので、どの家も2階はおろか1階も鉄格子などしていません。住宅地の周りには防御壁が設置されていますが、毎年泥棒の被害に遭っています。2年前のある日の夕方、隣とその向こう隣りの家に3人の泥棒が入りこんだことは以前に書いたと思います。それで住宅地中の人が集まって集会を開き、防御壁の高さをさらに上げ、夜の見張り人も一人から二人に増やしました。街灯も増やし光度も上げました。それからは現在のところ、幸い泥棒の被害は起こっていません。
高速ボートに乗って美しい海辺へ
隣の家との境界壁のタイルの修繕
2013年8月の「コロンビア便り」に隣の家との境界壁のことについて書きましたが、その下の部分が隣の家からの地下水で白いペンキが剥げてきましたので、下部1メートルほどにタイルを張りました。全く予想していなかったのですが、その一枚が剥がれ落ちました。それで6月23日にフサガスガのタイル屋さんを探し回りましたが、おなじ模様のタイルは売っていませんでした。僕は日本では家に使っているタイルを見たことはなかったので日本の状況は全く知りませんが、こちらではタイルの大きさは小さいもので一辺43㎝から47㎝くらいまで大きさがいろいろ違っているのです。我が家で使っているタイルは一辺44.8㎝で、しかもブラジルからの輸入品なのでフサガスガのタイル屋さんには置いていませんでした。しかもある店では1か月前に製造中止になったと聞きました。マリアはインターネットで見ましたが、このタイルの情報は乗っていないと言いました。早くしないと2度と入手できないと思い2日後に首都のボゴタに行きました。マリアはボゴタ市内でタイルばかりを売っている3地域を選んでいました。当日、最初に行った地域には我が家と同じタイルは置いていませんでした。次はもっと小さな店が立ち並んでいる地域に行きました。ここでは3軒の店で1枚ずつ置いていました。彼等は今日全額払ってくれれば2日後に入手できると言ったので、2日後にまたボゴタまで来れば良いと思いマリアに支払おうかと聞きましたが、この地域ではお金を受け取ってそのままネコババすると言いました。最初に入った店の近くまで戻ってきたので、仕方がないから3枚だけでも買って帰ろうかと思っていました。そしてこれが最後と思った小さな店でダメと思いながら聞きました。6畳くらいの実に小さな店で30歳くらいの美しい奥さんが赤ん坊の面倒を見ていました。早速どこかに電話してくれました。それまで分かりませんでしたが、この地域の店はすべてここから入手しているとのことでした。結局タイル20枚を2,800円で入手しました。全額支払えば2日後に入手できると言っていた2軒の店は、本当に僕を騙してお金を巻き上げようとしていたのかも知れません。 よく現実味を帯びた夢を見るようになりました 2013年4月から夢を見た日を日記に付けています。余り夢を見ません。1か月に1~3回程度です。去年の6月に9日、7月に14日、9月と10月が6日、今年の6月には11日、7月には11日と、ここ2年は夏になると夢を見る回数が増えるようです。しかしこの国では日本と違って一年中気温はほぼ一定ですから、寒暖の差は関係なさそうです。いままでは見た夢が現実離れしたものばかりだったので目覚めるとすぐ夢だったと分かったのですが、今年の6月と7月に見た夢の多くは、非常に現実に近いもので、ひょっとして夢でなく起きてから考えていたものかどうか、分かりにくいものが増えてきました。最近は漢字を忘れてしまうことが増えました。分かりませんが、夢らしい夢を見なくなったのと、頭脳の劣化とは関係があるのでしょうか?