(1) 2001年6月6日 カリフォルニアからのメール
1年の準備を終えて、6月4日(月)にやっとサンフランシスコの北、約80kmにあるRohnert Parkに着き、友人のマイケルの家で世話になっています。
サンフランシスコ到着の朝、マイケルは空港へ迎えに来てくれる前にインターネットで掘り出し物のBMW-R1100Rを見つけてくれていました。それで急遽バイク屋さんに手配してもらっていた同じモデルのバイクをキャンセルして、翌朝早速8900ドルで手に入れました。
BMW R110R
Citibankに行ってお金を出そうとしたら、一度の支払最高額が600ドルなので他に何か方法がないかと銀行に尋ねましたがダメと言うので、仕方なく15回操作すれば良いと思い直して仕事にかかったら6回で1日の引き出し限度額になりました。そこで住友銀行でさらに6回、マイケルの銀行カードを使おうとしたら最高額が300ドル、手数料は同じ1.5ドルなので一回だけにして、クレディットカードを銀行員に渡し、残りの1400ドルを受け取りました。犯罪が多く、キャッシュレス社会のアメリカで、こんなに多額の現金を持ち歩くのは無謀なのかもしれません。 三日経った水曜日は、前日に買ったバイクの登録に日本の陸運局のような所に行きました。 そこでマイケルが仕入れてくれた情報では、カリフォルニア州では外国の旅行者でもSocial Security Number(厚生年金番号)を取れば運転免許証がもらえるらしいのです。それにはカリフォルニアに一定期間在住する必要があるのでダメだと思ったら、厚生年金番号の取得を拒否されたドイツ人の観光客が、拒否の書類を持って陸運局に行って免許証をもらったことがあるとのこと。日本の陸運局は、本免許の更新は日本に帰って来い、一年毎に更新する必要のある国際免許の更新には本免許を日本に送って家族に申請してもらえ、と言うのでどこかの国で免許証を取ろうと思ってました。アメリカはダメと聞いていたのですが、秋にカナダからまた帰ってきた時にカリフォルニアで取ろうかなと思っています. 6月7日のきのうは交通事故の保険に、電話とFAXで入ったので出発の準備はほぼ整いました。 マイケル一家は土、日、月、火と家を空けるので留守番をします。火曜日には最後のバイクの部品が届くので、来週の水曜日にはここを出て東に向かいます。 日本はそろそろ梅雨でしょうか。こちらは毎日が快晴で日中は真夏の暑さです。あまりの暑さで革パン、革ジャンは着れず今のところは大きな荷物になっています。
マイケル家は健康的で、基本的に菜食、夕食のアルコールはワインをグラス一杯程度、タバコも裏庭で吸うので一日一箱程度に減りました。夜は10時就寝、朝は6時起床。そんな訳で出発前、酒宴、酒宴で死にかけていた胃の調子も直りました。
こんなに自由な旅を、これからずっと続けられるとは夢以上の幸せです。
この3月末に早期退職して二ヶ月余、大量の荷物とともにサンフランシスコに降り立った。荷物の中には、バイク用のヘルメット、革ジャン、革パン、それにテント、寝袋も入っている。入国審査で3ヶ月滞在したいと答えたら、なぜそんな長期間なのかと聞き返された。アメリカにビザなしで入国するためには片道航空券ではだめで、帰りの切符が必要だ。帰国は10日後の予約になっている。日本の役所で環境のコンピュータ関係の仕事をしていたこと、アメリカ人で医師の友達に会いに行くこと、バイクで旅行すること、等々いろいろな質問に答えたら、最後に「労働はダメですよ」と念を押され、やっと3ヶ月の滞在許可をもらった。
大阪から8時間半の飛行中ずっと禁煙だったので、税関のX線だけの簡単な荷物検査を済ますと、すぐに空港を出てタバコを2本吸ったところで、25年来の付き合いがあるマイケルがクルマで迎えに来てくれた。一人ではとても運べない量の荷物なので大助かりだ。
10年前にバイクの免許証をとって以来、ほぼ毎年一ヶ月の休暇を取っては海外をツーリングしてきたが、いつの日か時間に縛られずにバイクで世界一周を果たしたいと思ってきた。年齢も50才を少し超えた。衰えてくる体力を考える時、これ以上延ばしていると長年の夢は果たせない。人生は短く、そして一度きりしかないのだ。それで29年間のサラリーマン生活を止め、バイクで世界を流れさまようことにした。
バイクは僕の旅行にとっては一番大事な道具だ。いや、道具以上の、生死をともにするパートナーで、独身の僕にとっては嫁さんのようなものだ。そこでどんなバイクにするか、条件はこうだ。まず耐久性と信頼性のあるバイクであること、パンク修理が簡単なチューブレス・タイヤを履いていること、消耗による交換が必要なチェーン駆動でなくシャフト駆動であること、長距離ライディング用に大容量のガソリンタンクを装備していること、多くの荷物を安全に積載できるよう車体にハードケースが装着されていること、それに僕は極端に短足だからバイクのシートができるかぎり低いこと。短足の長距離ライダーに必要なこの6点を満たすバイクはBMW-R1100Rだけだという結論に達した。
インターネットは実に便利だ。日本を出る前に、マイケルの住むカリフォルニア州 Rohnert Park に一番近いBMW販売店を検索し、EメールでR1100Rを手配してくれるよう頼んだ。今年の春に販売が開始された新型のR1150Rは座席が80cmと高すぎるので、座席が176cmと4cm低い旧型のR1100Rを中古で探さなければならなかった。バイク屋はカリフォルニア到着の数日前にバイクを確保してくれていた。ところが、サンフランシスコの空港ではもっといいニュースが僕を待っていた。この日マイケルは空港に向けてクルマを出す前に、
付近で売りに出されているR1100R2台をインターネットで見つけておいてくれたのだ。その内の一台は、2000年型の新しいもので走行距離も25,000kmとバイク屋のものより少ない。保証もまだ2年残っていて、それに欲しいと思っていたグリップヒーター、ウィンドシールド、バイクの両側に鍵のかかる荷物ケースも付いている。早速翌朝、マイケルと一緒にサンフランシスコまでクルマで行き、このバイクを、日本でソニーに勤めたことがあるという女性から手に入れた。旦那がいなければ友達になりたいと思うほどの、なかなかの美人ライダーだ。マイケルはその後バイクの登録、交通保険の加入等、いろいろ助けてくれた。持つべきものは友である。 マイケルの住むRohnert Parkはサンフランシスコの北約80kmのところにあって、閑静な住宅街が広がっている。到着以来毎日がずっと快晴で、少し町を離れると長閑な田園風景が続く。人もクルマも騒音も少なく、本当にゆったりできて幸せを感じる。マイケルの家のすぐ裏には緑の芝生で敷き詰められた広い公園があって、
マイケル家の裏庭
マイケル家の裏の公園
大きなガレージと庭があって、マイケルはその庭で野菜と果物を作っている。そしてこの庭にはハチドリや名も知らない小鳥が、ひっきりなしに遊びに来る。陽光をいっぱいに浴びた全面ガラス張りの明るい部屋で、こうした庭と庭の向こうに続く木々を眺めながら一日中座っていると、ゆっくりと流れる時間とその中で移ろい行く自然が感じられて、とても豊かな気持ちになる。やはりアメリカは日本よりずっと豊かだ。マイケルの奥さんは日本人なので、家には畳を敷いた部屋もある。彼女は、最近インターネットでお茶の道具の販売を始めた。一日中パソコンと向かい合っている。彼女もなかなかの美女だ。 マイケルは、映画「いちご白書」で有名なカリフォルニア大学バークレー校を、卒業まであと一ヶ月というところで中退し、ヒッピーの旅にでた。ヨーロッパからアジアを廻り、25年ほど前ポケットに2000円だけ残し日本に辿り着いた。その後アメリカに帰って医学を学んだ後、サンディニスタとコントラの間で厳しい戦闘が起こっていたニカラグアで、数年間貧しい人達の中でボランティア活動を続けた。知的で、温厚だが極めて意志の強い男だ。僕が長い旅に出た理由の一つには、彼のようなヒッピーの精神、ひとを愛し、人がひとを助け合う精神を体験したかったこともある。マイケル家は健康的だ。テレビは見ない。夜は10時に寝て、朝は6時に起きる。16才のひとり息子、ジョシュアは毎朝家の外にゴミを出し、新聞を取り入れてから犬に餌をやり、家族のために朝食を準備する。ピアノも上手だ。母親のお茶道具のホームページも全てジョシュアが作った。トップページのデザインのでき映えはプロ並みだ。彼を見て、日本の甘やかされた16才を思い起こすとと僕の心は暗鬱になる。今まで他の国でもしっかりした若者を多く見た。こうした若者達と渡り合わなければならない日本の若者達への教育、そして彼等が築く将来の日本の経済、政治はほんとうに大丈夫なのか。そんなむずかしいことは置いておいて、いったい年金は約束どおりもらえるのか。日本を離れ果てのない旅に出ても気がかりだ。
早寝早起き、そして基本的に菜食のマイケル家で僕も少し健康になった。夜はワインをグラス一杯程度、室内禁煙だからタバコの量も減った。出発前の連日連夜の酒宴で死にかけていた胃の調子も随分良くなった。きのうの夕暮れには、裏の公園で体操までした。こんな風にカラダを動かすなんて何年ぶりだろうか。
きのうの土曜日にジョシュアが夏休みを過ごす大学を探しに出たマイケル一家は、来週の火曜日に帰ってくる。僕のバイクの最後の部品も火曜日にバイク屋に届く。来週の水曜日は、いよいよ当ての無い放浪の旅の始まりだ。