(1)サソリの温泉
シエラ・マードレ山脈の温泉に向かう
崖の上にあるHierva El Aguaの温泉
オアハカの東南70kmの山中に温泉がある。温泉へはカナダのロッキー山脈以来、長い間入っていない。昔、外国に長い間暮らしている若い日本人の何人かから、日本語の活字が恋しくなると聞いたことがある。旅に出て11ヶ月、日本語の本は一行も読んでいない。その唯一の本もユカタン半島でカバンと一緒に盗まれてない。それどころか、日本から持ってきた三冊の英語の本だって、ロッキー山脈のキャンプ場で読んで以来、読む暇がない。ただ、今はインターネットがあるので日本語のメールを読んでいるので、彼らとは状況は異なっている。日本食が恋しくなると言う人もいる。しかし、僕は元々食べ物にはあまり興味がなく、生命を維持するためのエネルギー源くらいにしか思っていないので、これも恋しくならない。日本で恋しいのは、出発前から予想していたとおり、やはり温泉だけだ。どうしても行く決意でオアハカを出た。最後の山道8kmはダートになった。ユカタン半島の近くのオルメカの遺跡では、途中でダートに出会い、2kmほど走ってから転倒が怖いので断念して引き返した。しかし温泉となると話は別だ。深い谷底への転落に怯えながら、長い長い8kmを走破した。 温泉地はダートの終点の崖の上にあって、そこにバンガローが8棟ほど建てられている。少々高くても泊まるつもりだったが、案外安く140ペソ(2100円)だから許容範囲の150ペソを少し下回っている。躊躇なく泊まることにした。標高1500mもあるオアハカでも暑かったのだが、さらに高度が上がって少し涼しくなったとは言え、まだビールが恋しくなる暑さだ。温泉は少し寒い目の方がありがたさが倍増するものだが、メキシコだから仕方がない。着いてすぐビールを飲んでから、50mほど下った所にある露天風呂に向かった。
自然が造り出した円形風呂
湯船の向こうは深い谷
天然の大きな露天風呂が崖の上に三つある。露天風呂から下を見ると深い崖が谷に落ちている。日本でも見たことがない絶好の立地だ。思わず嬉しくなる。ところが入ってみて失望した。水風呂のように冷たいのだ。いくら周囲が暑いとは言え、これでは温泉ではなくプールではないか。五分も入っていると身体が冷えてくるので、天然の石のベッドで身体を温める。これでは全く逆だ。温泉は暖かく、周りが少し寒いくらいであって欲しい。露天風呂には合計10分くらい入っただけで、ほとんどは温泉が作り出した大きな石のベッドで日光浴をしてバンガローに帰った。 バンガローの近くには売店みたいな粗末な食堂が10軒ほどあるだけで、他には何もない。その食堂も夕方に全て閉まってしまう。だから夜は、幸い電気があったのでいつもどおりパソコンでメールや旅日記を書いたりしていた。夜も更けたのでメキシコ焼酎の水割りもほどほどに、テーブルの上のパソコンを片付けた。するとパソコンの横においていた飲み水ペットボトルのところに、長さ10cm以上の黒い細長いものがある。よく見るとサソリの形をしている。はじめは誰かが置いていったプラスチックの模型だと思った。
部屋にサソリが侵入してきた
シエラ・マードレ山中のサソリの温泉から山を下り、太平洋岸にあるTheuantepecの町に着いた。この町は去年の12月に二泊して、インターネット・カフェで初めて接続を試みだが果たせなかった町だ。接続のために4時間も頑張ってくれたセニョリータに挨拶するため、そのインターネット・カフェに行った。まだ僕のことを覚えていてくれた。彼女は僕のホームページのアドレスを忘れていて見ていないというので、彼女についての記事と写真を見てもらった。
Theuantepecはメキシコで一番細くなっている部分に位置していて、ここからグアテマラ方面に向かう道路の70~80kmは、強風が吹いてバイクでは走りにくい所だ。BMWは重いのでまだましだが、軽いオフロードバイクなら吹き飛ばされてしまうだろう。またギヤーをローまで落として自転車並みのスピードで何とか乗りきる。
子供の横にいる三十路の女が、明るく挨拶してくれた。そこで、僕も隣のテーブルでビールを飲むことにした。しばらくすると別の若い女が一緒に飲もうといってくれる。すぐに彼らのテーブルに移動した。 女性五人のうちの一人は母親で日本にも行ったことがあると言う。僕より少し若い女性は、その母親の娘でMariaという名だ。水着の大きな胸が目立つ。横にいる唯一の男性は彼女の夫のGabrielだ。三十路の女ClaudiaはMariaとは15も年が離れているが、彼女の妹だ。テーブルに来いと誘ってくれた女性はMariaの娘でAdriana、20才くらいだと思っていたが29才だった。残る一人はAdrianaの友達だ。この一家の女性四人は眉毛が太くて濃く、とても素敵だ。とくに子供連れのClaudiaは僕の好みの美人だ。彼らは20kmほど離れたTonala*というすぐ近くの町に住んでいると言う。Claudiaが、美容院をしている姉のMariaの住所と電話番号を紙に書いてくれ、翌日バンガローを出たら寄ってくれと言ってくれた。
Adriana
Mariaの大きな家
翌日ちょっと挨拶に寄ってみた。大きな家だ。Claudiaは別の大きな家に住んでいる。ちょっと男っぽい感じに見えるが、非常に気が働くAdrianaが、早速Caludiaに電話してくれた。Claudiaの夫は別の町で薬局を三軒持っていて、別居生活を送っている。二人は大学で知り合ったらしい。美容院を始めて35年になるMariaの夫も別の町で働いていて週末になると帰ってくると言う。でも夫のGabrielからは、毎朝、毎晩二回電話があるらしい。二人ともメキシコでは珍しい結婚生活を送っている。バイクを家の外に停めたまま、大きな前庭にあるテーブルでClaudia、Maria、それに娘のAdrianaと入れ替わり立ち代りしゃべっていた。そのうちAdrianaが家に泊めてくれると言ってくれた。Mariaも了解済みらしい。荷物を部屋に運び込んだ。大きな部屋だ。 夕方になって、Claudiaの白いフォルクスワーゲンで、Adrianaと彼女のハイティーンの女友達、それにClaudiaの子供五人で、海亀が産卵する海岸と動物保護区への船が出る海岸へ行った。帰りは暗くなった。Claudiaは暗闇の中で、道路のトペスを素早く発見した。僕はバイクで、メキシコの夜の道は走れないことを確認した。
家に併設されたMariaの美容院。彼女は35年間美容師をしている。
Claudiaとはその夜、Mariaの家で12時過ぎまでしゃべった。やがて彼女は帰り、僕はMariaとAdrianaの女二人だけが住む家で眠りに着いた。僕の部屋には天井ファンしかないので、Mariaはエアコンのある自室のドアーを開け、冷風を僕の部屋に送ってくれた。夜中の三時に蚊で目が覚めた。蚊取り線香を探しているとAdrianaが起きてきて、蚊を吹き飛ばすための強力な扇風機を部屋に持ってきてくれた。メキシコの女は繊細で優しい。 翌5月8日に国境の町Tapachulaに着いた。ホテルは60ペソ(900円)という安さだ。ホテルの安さにグアテマラが近いことを実感する。メキシコの滞在許可は5月10日で切れる。グアテマラの国境の役人は、何やかやと言っては旅行者から小遣い銭を巻き上げるという噂がある。カナダの大学教授が、BMWでグアテマラの国境まで来ておきながら、手続きの困難さに腹を立て、そのままカナダまで引き返したと彼の本に書いていた。国境越えは中南米のバイクの旅で最大の難関だ。それに僕のBMWの一時輸入許可期限は三ヶ月前に切れてしまっている。アカプルコで三ヶ月の滞在延長許可を取った時、最近法律が変わってバイクについては不要になったと言われ、どうしても書類を更新できなかった。ずっと心配だった。一日前に国境を越えるのも、何か問題が出てきてはいけないからだ。 9日、国境に向けてバイクを走らせた。20kmほどの距離だ。空は曇っている。いよいよ雨季の近さを感じる。国境に着くと自転車に乗った男が付きまとってきた。戦闘開始だ。この人達は、きっと国境の役人と共存共栄の間柄なんだろう。現実は厳しい。抵抗はしない。彼らのビジネスに協力するつもりだ。しかし、その男はパスポートのことだけでバイクの一時輸入許可のことは知らない。邪魔になるだけだ。滞在許可延長の書類を渡してしまっては、期限の切れた一時輸入許可についての弁明資料がなくなってしまう。バイクのウィンドシールドに貼りつけてあった一時輸入許可シールを剥がし役人に見せると、事務所は昨日止まっていたTapachulaの町外れにあるので引き返せという。30km引き返した。Tapachulaの町を通過した道路の横に小さな事務所があった。狭い部屋にパソコンが一台置かれていて、一人だけの係官がいる。案の定、問題があると言って、バイク持ち出しの証明書を発行してくれない。これがないと二度とBMWでメキシコに戻って来れないから大変だ。事情を説明したが無駄だ。罰金はいくらかかるか知らないがTapachulaの警察に行くしかないと言う。いろいろしゃべった末に係官は、「私だけがリスクを犯すことになるのだが、便宜を図って欲しいか?」ときた。いよいよ来た。あと一日しかないのでTapachulaの警察に行くのはいやだ。Yesと言うと、パスポート、滞在許可証、それに一時輸入許可書のコピーを近くの店で取って来いと言う。ここは少々ボラれてもお金で済ます決意をして、近いがバイクでコピー屋に向かう。バイクを目の届かない所に置いておきたくないからだ。帰ってきてコピーを渡すとすぐに書類をパソコンで打ち出してくれた。隣にもう一人、人がいたからだろうか、不思議なことにお金は要求されなかった。おかしなことだが、何か得をしたような気持ちになった。また30kmの距離を国境まで戻らなければならない。空には真っ黒な雨雲だ立ち込めている。でもこれで一安心だ。今日中にグアテマラに入れそうだ。国境の手前で雨になった。メキシコ出国の手続きは二~三分であっけなく終わった。
国境の川を跨ぐ橋を越えるとグアテマラだ。グアテマラ側の国境には小さな小屋に係官が一人いる。パスポートを出すと、手数料200円くらいであっと言う間に三ヶ月の滞在許可スタンプを押してくれた。全く噂と違うではないか。問題はバイクだが、この分だと案外簡単に済むのではないかと思った。ここでもう一人の別の国境商売人が現われた。彼は、すぐ近くにあるバイクの手続き事務所に案内してくれた。若い女の担当者にパスポート、カリフォルニアのバイクの登録書、それに先ほどメキシコ側で貰ったバイク持ち出し証明書を見せると難しい顔をして、なかなかパスポートにバイク持ちこみの判を押してくれない。何か問題があるのかと聞くと、バイクの登録書が仮登録書で正式のものではないからだという。同僚を加えて長い時間熟考した後、案内の男に何か言った。男には別の所へ連れて行かれた。そこではバイク持ちこみ申告書一枚を作成してもらった。20~30分の仕事に5400円も取られた。いろいろコピーを取り、またバイクの事務所に戻った。それからまた一時間、やっとパスポートにバイクの持ち込み許可印を押してもらい、メキシコ同様許可シールを貰ってウィンドシールドに貼り付けた。し?し、許可は一ヶ月だけで毎月一回更新する必要があると言う。面倒なことだが仕方がない。さあ行こうとバイクに跨ると、向こうの方からこっちへバイクを持って来いと手で招く人がいる。何だろうと思いながらバイクを移動させると、今度はバイクの消毒だ。手続きを進めている間に、また別の国境商売人が勝手にピカピカに磨いてくれたBMWに消毒液が噴霧される。予想しないことが起こるので国境は面白いが、反面怖さがある。結局グアテマラの国境を通過するのに、二~三時間と必要経費7000円がかかった。
旅の最初の難関は何とか通過できた。スペイン語学校で半年か一年勉強するつもりだ。できればその間に、グアテマラのバイクの免許証を取って、もう切れかけている日本の国際免許の替わりに、グアテマラの国際免許を発行してもらうつもりだ。カルネもグアテマラを出る前に、カナダの自動車協会で取れることになっている。グアテマラは中米、南米への旅のための準備の国だ。