(1) 2001年11月13日 Mexicaliからのメール
今回の旅日記「 5ヶ月ぶりのカリフォルニア 」をホームページに追加するため、50回以上もこの街のAOL接続ポイントに電話をつなぎましたが、旅日記の文字は簡単に追加されたものの、画像はトップページの地図と旅日記の写真一枚を除いて、とうとう追加できませんでした。電話回線の速度の問題なのか、あるいは品質の問題なのか、FTPがうまく動かず、どうしても途中でプロバイダーとの接続が切断されてしまうのです。誰か、と言ってもまたNEC関係の人達でしょうが、何かわかるようでしたら教えてください。メキシコ以南でのインターネット、予想どおり着いた途端にやっぱり問題が出てきました。今回の旅日記の残りの写真の追加は、ひょっとしたらメキシコシティまでできないかもしれません。それよりも、明日モーテルを出るとき、モーテルのニイちゃんに怒られそうなのと、いくら電話代を要求されるのかが心配で、今夜はゆっくり眠れそうにありません。今日またスーパーで安い酒を買ったので、その助けをかりますが… 実はもう飲んでいるんです。すいません。
おととい、7年ぶりにまたメキシコにやってきました。この前はサンディエゴでHONDAの450 ccのバイクで若い女性ライダーと一緒でしたが、今回はバイクは2倍半ほど大きいけど一人旅です。前回はカリフォルニア半島を下ったので、今回は対岸を南に走りメキシコ・シティーまで行くつもりです。
国境の街ティファナは人口100万人以上で、北緯32度31分だから熊本くらいの位置にあります。思ったほど南ではないんですが暖かいんです。皮ジャンの下のジャケットを脱ぎ、薄い長袖のシャツだけになりました。街を歩くだけならTシャツと半パンで十分です。夜も久しぶりにパンツ一枚で寝ました。これからメキシコ・シティーに向かう南の海岸線では、きっと泳げるくらいの暑さになると思います。
アメリカ、カナダではガイドブックがなくて少しだけ不自由したので、カリフォルニアでメキシコ、中米、それに南米のガイドブックを買いました。Lonely Planetという本で三冊積み上げると15cmほどの厚さになり、かなりの重さなんですが、都市の詳しい地図がついていてホテルを探したり、また安ホテルの相場を知るのに便利なので、ずっとこの本を愛用しています。今までは、バイクで走りながら街の入り口くらいで適当なモーテルを見つけてきましたが、ティファナでは入国するとすぐにダウンタウンなのでモーテルが見つかりませんでした。安モーテルは場所を取るので街の真中にはないんです。それで、この本が早速役に立ちました。
メキシコを旅行するのにはビザが要らず、国境でツーリストカードを書いて20ドル渡せばそれで終わりなのですが、ここで少し失敗しました。滞在期間を聞かれて2ヶ月と答え、すぐ3ヶ月と訂正しましたが、6ヶ月と言うべきだったんです。そのためバイク一時輸入許可の期間も3ヶ月しかもらえませんでした。念のためこういうものは長いに越したことはないんです。7年前もそうでしたが、このバイク一時輸入許可の事務所がどこにあるのかわからないんで苦労しました。最後はおまわりさんに聞きました。やっと事務所を捜し当てたら、隣の銀行に行けと言います。銀行に行くと、今度はツーリストカード、バイク登録書、それにパスポートのコピーを持って来いと言います。近くでコピーを取ると、そこの人がクレディットカードを持っているかどうかを聞きます。あとで分かったんですが、クレディットカードは、もしバイクが不正に売られたときの人質みたいなものなんです。手数料の20ドルもこのカードから引かれました。書類を揃えて銀行に戻ると20人ほどの列。それがなかなか進まない。隣のロスアンゼルス在住のメキシコ人と一時間半ほどしゃべっている内にやっと順番が回ってきました。中へ入ると退?な一時間半は報われました。カウンターのほんとに可愛いセノリータの溢れるばかりの笑顔。書類に漢字のサインをすると、「綺麗なサインですね」と言うから、「いや、あなたの方がずっと綺麗」と言ってやりました。メキシコ人としゃべっていると、ついつい心が柔らかくなるんです。
ティファナのダウンタウンは、クルマも多くて大阪並みの混雑です。それにカナダ、アメリカの交通マナーの良さとは正反対で、大阪並みのマナーの悪さです。交通保険に入らなかったので、ティファナの街を出るまでは神経を使いました。道路もやはりメキシコです。一度かなり大きな穴ぼこに突っ込んでしまいました。でも、ぼくはこんなメキシコの方が好きなんです。
ティファナのモーテルはもっと安いものと期待していたんですが、33ドルもしました。アメリカのい国境に近いとは言え、アメリカ並みの値段です。でも、メキシコではこの料金に税金が加算されないので、アメリカよりは少しは安いかもしれません。しかしガイドブックを見ると、国境から離れた南の地方では8ドル、10ドルのホテルがでてきます。
ティファナのモーテルの部屋には電話がありましたが、インターネットにはどうしても接続できませんでした。メキシコの安宿ではひょっとしてインターネット接続はできないんでは、と心配しながら昨日、ここMexicaliまで移動してきました。ここは27ドルです。しかも簡単に接続できました。これから先1000キロほどはアクセスポイントがないので、一、二周間ほど連絡は取れません。ティファナにインターネット・カフェがあったので、メキシコ以南ではこうした店をうまく使う方法を考える必要がありそうです。
メキシコに入ってもう二週間半経ちました。ティファナからアメリカ国境沿いに砂漠を三つ超え、カリフォルニア湾の東岸沿いに、カリファルニア半島の先端の向かい側にあるマサトランという町まで南下してきました。ちょうどメキシコシティーまでの中間点くらいです。20年ほど前は同じ道をバスで旅行して、ここまでは24時間できたはずです。きょう北回帰線を通過してきたので、この辺りはアジアでいうと台湾の南部に当たります。メキシコへ入ってからも大事な身の安全のため、ずっと皮ジャン、皮パンですが、お陰でパンツに長袖の薄シャツは毎日汗でビッショリです。また足踏み洗濯オジさんに戻ってしまいました。もうこちらは真夏です。ホテルの前のとてつもなく長いビーチでは、みんな裸で泳いでいます。
やはりメキシコは性が合います。物価が安いのもその一つです。アメリカ国境沿いのホテルは3000円から4000円位しましたが、アメリカから南に離れるに従い安くなって、この前は1200円のホテルに泊まりました。ええ?、メキシコではモーテルを止めてホテルなのかって? そうなんです。街中ではバーがなんぼでもあって、ビール小瓶一本を100円から140円で飲ませてくれるんです。
このホテルの前の階段からバイクを乗り上げるのには往生した。
ごめん、肝心の話はバーですよね。アメリカやカナダのバーはみんな冷ややかですが、メキシコでは必ず誰かが話しかけてきます。100%です。時には少々うるさくなることもあるくらいです。男ばかりではないんです。バーには売春婦とおぼしき天使がいることが多く、100円そこそこのビールをおごってやると、スペイン語をしゃべって相手をしてくれます。向こうは腹に商談を秘めているんでしょうが、こちらにとってはスペイン語の実習、あるいは復習です。売春婦ばかりではないんでしょうが、中にはベッピンもいます。そんな訳で、毎晩バーを渡り歩いては国際親善をなし、その結果飲み過ぎて、とうとうお尻からは小便のような液体が排泄されるようになってしまいました。もう一週間も続いていますが、これが不思議と全く痛みを伴わないんです。生牡蠣、生海老、生カニ、生貝の食べ過ぎかとも思っているんですが、この点については主治医の大宮先生(工学部で卒業実験を二人でした仲なんです)に、きょうメールを出してご診断をお願いしています。お尻のピッピが心配で、もう5日もアルコールを絶っているんです。せっかくスペイン語の調子がちょっとだけですが、戻ってきたと言うのにバーに行けない?です。 メキシコに来てからは胃の調子は抜群で、吐き気、ゲロゲロは嘘のようになくなりました。ビッコを引いていた左足も、2,5センチの上げ底とつま先コーティングへの大投資効果が出てきて、普通に歩けるようになりました。もうボチボチ走れると思います。 メキシコへ入ってからは、ホームページ英語版のアメリカ旅日記5編の英訳を毎日してきて、やっと今朝2時頃に写真の貼り付けまで終わりました。13日からはずっとアクセスポイントがなかったので、なんとしてもこのマサトランで電話の使えるホテルを探す必要があり、汗ビッショリであちこちの安宿を当たりましたが、どこもクーラー、テレビはあっても電話がないんです。いままでは安宿でもだいたい電話があったのに信じられますか? そこで今日は4200円もするホテルに泊まってしまいました。
これからメキシコシティーまで走るつもりなんですが、少し予定ルートを変え、もっと南のアカプルコまで行ってからメキシコシティーに入ろうと思っています。また10日か2週間ほどかかりそうです。次ぎは10日後くらいにアカプルコからメールできると思います。
熊本の位置にある国境の街ティファナから、砂漠、サボテンの山、手付かずのビーチの横に広がるバナナ畑、そして椰子林走りぬけて、今日、フィリピンのマニラの北くらいにあるアカプルコに着きました。 真夏の暑さなんです。それなのにまだ皮ジャン、皮パン姿なのでホテルを探すためにバイクを降りると、汗が流れ落ちてきます。いよいよ明日こそは皮を脱ごうと思っています。やはりアカプルコでもホテルに電話がないんです。一泊840円で駐車場付きのなかなかいいホテルがありましたが、部屋に電話がありませんでした。4200円のホテルには電話がありましたが、受けるだけでこちらから発信できないと妙なことをいいます。それで新聞広告にあった中流のかなりいいホテルで新聞記事を見せ、7600円を5600円まで値切りましたが、今度は電話にはコンピュータを接続するジャックがないと言います。やっと5600円のこのホテルを探しました。ビーチはすぐそこなのと、今日は土曜日なのでこの値段ですが、平日ならもう少し安いのかも知れません。とにかくメキシコに入って一番高いホテルです。しかも、市内通話が一分で80円と言っていますから、メキシコではインターネットは高くつきます。 この10日間、ずっと太平洋に望むビーチを見てきました。
手付かずのビーチ
ほとんどが小さな村があるだけの、全く未開発のビーチが続いています。二日前はそんな村の何もないバンガローで寝ました。便所も遠いし、二つだけしかないバンガローの隣が出ていったので、夜はバンガローの前で立小便を二回してやりました。ビールと1リットル220円で35度の得体の知れない酒を少し飲み過ぎたんです。メキシコの夜はバーへ行くか、その安い酒をコーラで割り、一箱160円のMarlboroを吹かしています。夜の浜辺は暗くて、久しぶりに美しい星空を見ました。オリオン座の北に、?マークみたいな星の塊があって、「あの星座は何やろか」と言いながら、ガダラハラから来た男の人の双眼鏡を覗いていました。後で例の星座ソフトで確認したら、やっぱり昴でした。海辺で高度が低いのに、なんであんなに星が多いんですか? 昨日ホテルでチェックインすると、受付をしていたなかなかベッピンのホテルの娘さんが、なんやかんやと話しかけてきました。知り合いのメキシコ女性が日本の男と結婚して日本に一年住んだけれども、日本の社会に溶け込めず子供を連れてメキシコに帰ってきたと言います。夜はホテルの隣の魚料理バーへ行くと、給仕の女の人がまるで前からの知り合いみたいに、にこにこ微笑んで僕のテーブルに座りに来ます。彼女も三年間日本の男と付き合っていたと言います。小さな町なのにここにも日本の男が住んでいて、メキシコ女性といい仲になっていく。彼女は、日本の男の目の細いのがいいし、日本の男は愛情が深いと言います。彼女も、彼女と一緒に働いている女性たちも、男を話題にして底抜けに明るく笑います。「私はそんなに男が多くなかったから、ほら見て!」と言って、エプロンを脱ぎ、胸とお尻を突き出し、ついでに身体の線を手でなどります。そのうち踊りだしては、また笑います。メキシコの人達はお金がなくても、いつも微笑んでいて幸せそうに見えます。こちらまで幸せで楽しくなります。どうしたらそうなれるのか、僕はラテンアメリカの人達から学びたいんです。
いつもハッピーなメキシコ人のお陰で、僕の胃もハッピーになって、今や完璧な状態です。胃薬は全く減りません。左足も良くなりました。下痢も止まりました。やはりラテンアメリカが性に合っているのかもしれません。食べ物も安くて美味しいんです。今日、久しぶりに昼ご飯を食べました。あまり暑いんで何か冷たいものを飲もうと道端のレストランにバイクを止めたら、鶏の炭火焼が目の前にあったんです。ほんとに美味しかった。コーラ500ccとで220円でした。
きのう変な夢を見ました。どこかの街の通りに面して座りながら、仕事を止めて世界一周旅行をしたいなあ、と考えているんです。「発想を転換しさえすればよい。お金もなんとかもつはずや。いや、ちょっと待てよ。そう考えて旅に出たような気がする」。そこで目が覚めました。一瞬冷や汗が出て、ホテルの部屋を見まわしました。「よかった。今、現実に旅してるんや」。
クリスマス・イブに、日本人の友達がユカタン半島のカンクンまで来ます。メキシコに入って、もう一ヶ月も経ちました。この前にメキシコを走ったときは、メキシコ・シティーまで行って、そろそろアメリカのサンジェゴまで帰っていた頃です。今回は同じ時間でまだ半分くらいしか走っていません。カンクンまではいままでの距離のまだ半分くらいあります。メキシコ・シティーに回っている時間がないので、このまま太平洋岸を南下し、グアテマラ沿いに北上してカンクンに行きます。マサトランから南のこの海岸は美しいのに大急ぎで走りぬけています。ユカタン半島のどこかで三ヶ月のメキシコ滞在延長手続きをしてメキシコ・シティーに行き、もう一度北の海岸まで戻ってから次ぎはゆっくりと太平洋岸沿いにグアテマラに入ろうと思っています。
アカプルコからユカタン半島に向けて東へ700キロ走って、きのうTehuantepecという小さな町に来ました。この町はメキシコが一番細くなる所にあって、パナマ運河を造る時に、ここも候補地として考えられたところらしいんです。ガイドブックには、たいして何もない町だと書かれていますが、道は石畳の静かな田舎町でなかなか気に入りました。ホテルも安く、アカプルコでは5600円も払ったのに、ここは駐車場も付いていて1400円です。
四・五軒ほど離れた所にインターネット・カフェがあったので、僕のパソコンを接続させてもらえませんか、と聞くともちろん大丈夫と言います。いままで数軒で聞いたら全部断られたので、我が耳を疑いました。ウィルス汚染はどうするんですか、と聞くとソフトのCDを出してきました。ついこの前コンピュータがウィルスに汚染された可能性があるので一石二鳥、早速Vaioをそこへ持ち込みました。まず、そのカフェのコンピュータ・システムをウィルスで汚染してはいけないので、カフェの使っているNortonのウィルスソフトをインストールしました。一年前のデータなので当然ウィルスは検出されませんでしたが、もしこのメールが着くようでしたら、最新のデータでチェックされているので、僕のコンピュータは安全ということになります。今日はLANカードのドライバーが壊れていて接続できませんでしたが、ホテルで修復し、明日再度試みてみます。また、直接コンピュータが接続できない時のために、インターネット・カフェのPCでメールを受け取りましたが、日本語のメールはやっぱり送信されてきません。アルファベットのメールは見れましたが、カフェのCD装置はRead-onlyなので書き出せませんでした。結論的には、お互いローマ字で通信する以外にはインターネット・カフェのPCは使えないということです。
多分、5ヶ月くらい後の話しですが、ガテマラに入ると、AOLの接続ポイントは首都のガテマラ・シティーにしかありません。スペイン語の勉強は別の町でするので、もしインターネット・カフェが使えるということになれば、大きな成果です。技術的、理論的にはこれは当然できることなんでしょうが、一度このコンピュータを使ってどこの町からでも通信できることを確認しておきたいんです。それができれば、あとは如何に交渉するかだけの話です。
それを確認するため、この町の滞在を一日延ばしました。メキシコではインターネット・カフェの人達まで親切です。客まで僕のところに来て英語の通訳をしては二時間以上も助けてくれました。また、嬉しいことにカフェのPCの前でタバコが吸えるんです。初めは店の外で吸っていたんですが、隣の客がタバコを吸い出したので「ええ?、タバコ吸えるんですか?」と聞くと、早速灰皿を持ってきてくれました。今まで見たインターネット・カフェの看板では一時間140円が普通でしたが、ここのカフェは210円です。でも、アカプルコのホテルでは、10分間の市内電話代に630円取られましたから、それを考えると安いものです。ちなみに、このカフェは電話回線ではなく、衛星通信回線を使っているそうです。
以上は、12月13日に送ろうとしたメールです。13日にまたインターネット・カフェに行ってカフェのLANに入れてもらおうとしました。カフェーのねえちゃんは僕のコンピュータの日本語が全然読めないのに4時間も頑張って、まずカフェのユーザー名とパスワードを入力し、その後、(1)Windowsファイルを多国籍言語に変更 (2)「地域」をスペイン語に変更 (3)ネットワークの設定で、IPアドレス,wins、DNS等を設定して繋ごうとしてくれましたが、果たせませんでした。NECのプロの方々、どないかなりませんか? 大事なことをし忘れてませんか? 何かわかれば、またどこかで頼み込んで試みます。帰る時に講師料1400円を渡したら、エライ喜んでました。どこかの安宿の掃除婦のおばちゃんは、日給600円と言うてましたから大金です。それはそうと、大事なウィルス・ソフトですが、結局インターネットにアクセスできなかったので、カフェのねえちゃんの見ている前で最新のデータを取ることができませんでした。そこで、昨日のホテルは980円だったのに、今日はAOLのアクセスポイントがあるこのVillahermosaという町のホテルに5250円も投資して最新のデータをダウンロードしようとしましたが、当然ながら私には使用権がないのでダメだと断られました。メッセージがスペイン語なので読み違えしているかもしれませんが、それを読むのに時間がかかって9分も電話を使ってしまいました。また400円ほど取られそうです。
だから、僕のコンピュータにウィルスが存在するかどうかの確認は、まだできていません。ウィルスの感染疑惑に関し、今日、大阪市立環境科学研究所の板野さん、大阪市役所の笠松さん、ライダーのダイスケからメールを受け取りました。板野さんのウィルスに関する長い長いメールを読んでると、最近のいろんなウィルスはInternetExplorerとOutlookExpressに関係していると書かれているので、AOLの専用ソフトを使っている僕には関係がないのかなあと思ってましたが、その後、笠松さんのメールを読んでショックを受けました。笠松さんも最近BADTRANSというウィルスの被害にあって、それはメールアドレスの前にアンダーバーを付けて送ってくると言うんです。早速見てみました。付いてました。そして感染していればWindowsファイルの中にKernel32というファイルがあれば、それがウィルスと言うんです。ありました。言われるとおり削除しましたが、このファイル、なんかの時に名前を見たことがある大事なファイルのような気がするんですが、削除したままでシステムはちゃんと動くんでしょうか? 問題のメールに添付されてきたファイルはCARD.DDC.pif という名前です。僕のPCは今のところ別に障害がなく動いていますが、ある一定の時間が経ってから時限爆弾のように破壊してくれるウィルスなんでしょうか? またどんな障害が出るんでしょうか? 知っている人があれば教えてください。最終的にはダイスケの言うようにウィルス対策ソフトを何処かで買わんとアカンのかなあ、と思っていますが、スペイン語を読むのはつらいです。
今日はシエラ・マードレ山脈を越えてきました。山は相当高くて、下界は真夏ですが、山の上では久しぶりにグリップ・ヒータを「強」まで入れました。山脈の一番高い道路のカーブでコーラを積んだ大きなトラックが横倒しに転倒していました。何人かがコーラを何処かへ運んでましたが、まさかゲリラではなかったでしょうね。山に登るまでの道は物凄い強風でトラックも倒れたことがあるらしいですが、山頂は無風。なんであんな所で倒れるんか、不思議です。でも、深い崖から落ちなかってので、不幸中の幸いかもしれません。Villahermosaはまた下界なので、汗びっしょりです。今日も足踏み洗濯しました。このところほとんど毎日です。
このホテル、先に言ったように高いんです。それで、一泊だけして明日、アステカの遺跡パレンケに移動します。もう夜も更けてきました。時間がないので、前回のウィルス事件に次いで、今回もメールの返事は書けません。お許しください。これから九日かけてカンクンへ行きます。
サンジェゴではホテルで、電話もない狭い部屋なのに8200円も取られたので一泊だけしてメキシコのティファナに入った。この街は四度目だが、何時来ても強烈に国境を感じる街だ。国境を越えると全てが変わる。それなのにアメリカ側にもメキシコ側にも出入国の事務所は見当たらず、係員も誰もいない。四度目で慣れているが最初は戸惑ったものだ。そうは言っても最後にメキシコに来たのは、もう7年も前のことだ。国境線を越えてすぐ入国カードの事務所はどこだったかと迷いながら、バイクを止めるともう人が話しかけてくる。アメリカやカナダでは絶対にこうはならない。メキシコ人は暇なのか、アメリカ人やカナダ人は見知らぬ人を警戒しているのか知らないが、入国と同時にメキシコでは人間臭さを感じる。バイクの一時輸入登録をするため、その辺の人に聞き訪ねてやっと事務所を捜し当てたら、すぐ近くの銀行へ行けと言う。行けば銀行の外は手続きを待つ人の長蛇の列だ。時間がゆっくりと流れる国に来たと観念して、一時間以上待った。暑さの中、やっぱり疲れた。しかしやっと順番が来て銀行の中に入ると、その疲れは吹っ飛んだ。窓口のセニョリータ、小柄で黒髪の可愛いこと。しかも、心の底から?き出てくるばかりの笑顔で迎えてくれる。つい、こちらもつられて笑顔がこぼれる。「ああ、やっぱりメキシコはいい」と思う。
ティファナの中心街は人とクルマで溢れ、大阪並みの混雑だ。中心街には駐車場付きのホテルがないので、少し離れたところにモーテルを見つける。アメリカ並みの料金だが、うまい具合にモーテルの横にはコインランドリーがある。洗濯物がたまっているのだ。しかし、メキシコのコインランドリーのシステムがわからない。粉石けんを買い、洗濯機と乾燥機の二種類のコインのようなものを渡される。どうしたものか思案していると、さっそく女の店員が来て、粉石けんを洗濯機に入れ、洗濯機用のコインを選んで入れてくれる。僕は見ているだけだ。人が困っていると、すぐに近寄ってきて助けてくれるのがメキシコ人の暖かいところだ。また、つくづくとメキシコはいいなあと思う。
夜になるとバーが恋しくなる。アメリカでもカナダでも、バーを見つけるとそこへ行った。しかし大抵の場合、みんなよそよそしかった。メキシコは違う。バーに入ると、まずバーテンがなんやかんやと話しかけてくる。回りの呑み助も必ず横に来て、何か言い出す。こちらは昔から上手でなかったスペイン語も、もうとっくに忘れているんだ。しかも相手が酔っていては皆目わからない。「わからない」だけは覚えているので、「わかりません」を連発するが、一時間でも二時間でも根気良く付き合ってくれる。男ばかりではなく、メキシコのバーではよく商売女と思える女性がたむろしている。最近不調とは言え、金万国の日本から来たお得意さんだ。決して放っておいてはくれない。貧乏旅行を決めているとは言え、こちらもその日本人の一人だ、夜の天使に一本わずか100円くらいのビールを飲ませてやるくらいは何ともない。その安いビール一本でも彼女らは笑みを絶やさず、どこまでも優しい。悩み事のある男はメキシコのバーに行けばいい。精神分析医より安くて効果がある。そればかりではない。彼女らはスペイン語初級講座の女性教師にもなってくれる。笑みとともに夜は更け、孤独を忘れてホテルに帰る。初等?ペイン語で脳細胞が占有されてその余裕がないためなのか、不思議と酔いは回っていない。足がしっかりと直線を描いているように思えるのは、僕の錯覚なのか。ベッドで明日の町のバーとそこにいるはずの天使を思い描いている内に、快い眠りが全身を包む。
安ホテルで受付をしている女性たちも、アメリカやカナダのようにチェックインの仕事を事務的に進めるだけではない。ホテルの玄関に入った瞬間に大きな笑みとおしゃべりが待っている。中でもカリフォルニア半島の先端よりまだ南にあって、石畳の道を残す太平洋岸の観光の町、Puerto Vallartaの安ホテルで受付をしていたNorraという女性は、特にそうだった。ホテルに入って目が合った瞬間に、昔からの古い友達に再会したような暖かさが待っていた。歳は30くらいだと思うが、すでに10才になる娘がいて、メキシコ女性の中では決してベッピンではなく、身体にもかなり贅肉が回っている。肉体的魅力は大きなお乳だけだ。しかし、彼女の笑みは絶品だった。笑みの中に顔があるといった感じだ。その笑みを見たくて僕は、暇があれば受付カウンターの向かいに置かれている長椅子に座ったままだった。彼女は僕の名前を正しく発音できず、「まあ、どうでもいいけど」と言ったら、邪魔くさなったのか、僕を“Toro”でもなく“Tori”と呼ぶようになった。しかも必ず“ Tori, Tori, Tori”と三回続けて呼んでは、話し相手になってくれた。僕も“ はいヨー、Norra, Norra, Norra ”と三回続けてやった。だから、そのホテルに泊まっていた二晩は、バーは一軒だけにしてまた長椅子に座ってはビールを飲んだ。昼に客が途絶えたので二人で並んで階段に腰掛け、ジュースを飲んでいたら、カナダから20年間毎年越冬に来ている男がホテルへ帰ってきて「おお、二人はできてるな」と指でジェスチャーするので、「そう、恋人のバイクの他に恋人が一人増えた」と言ってやった。安宿にはこんな気安さがあって、僕は好きだ。
Puerto Vallarta
リチャード・バートンがエリザベス・テーラーに買った家
リチャード・バートンが彼女に買った家が、その丘の上に建って残っている。もちろん大きな家だ。二人の映画はあまり見たことがないのに、家を見たというだけで、ここで撮影されたと言うその映画を見たくなった。つくづく自分を単純な人間だと思う。それでもいい、日本へ帰ったらレンタル・ビデオで見てやろう。とは言っても、古い映画なのでレンタル・ビデオ屋さんに置いているだろうか。この町からガテマラまで続く海岸線には、まだ観光開発されていない自然のままの美しいビーチがたくさん残っている。クリスマスに日本から友達がユカタン半島のカンクンまで会いに来るので、今はそんなビーチでゆっくりする暇もなく、毎日大急ぎで移動している。だから、メキシコの滞在期間を半年まで延長して、もう一度この海岸まで戻ってくるつもりだ。 Puerto Vallartaならロケ地なので「イグアナの夜」はビデオ屋さんでも置いているかもしれない。次ぎは安宿でなく、テレビとビデオ装置のある高級ホテルにでも泊まることにするか。貧乏旅行しているが、僕だって一日くらい高級ホテルに泊まるくらいのお金は持っているんだ。大枚をはたいてBMWを買ったのを思い出してください。それとも、やっぱり高級ホテルのビデオは諦めて、高橋真梨子の歌で辛抱するか? Puerto Vallartaの南にあるアカプルコから、ユカタン半島に向けてさらに太平洋岸を180キロほど走ったところに、Playa Venturaというビーチがある。ホテルかどうかわからないようなホテルが数件あるだけの小さな村だ。長い長い砂浜には誰もいない。ホテルには3時半頃着いた。暑さに負けてとうとう今朝、皮パンと皮ジャンを脱いで真夏の装束に替えたのにまだ暑い。バイクから荷物を下ろし部屋に入れると、ホテルの庭に建てられていて、ビーチのすぐ横にあるレストランでビールを飲んだ。
おばさん達が踊り狂った浜辺のレストラン
レストランと言っても、六角形に柱が立てられていて、その上に椰子の葉で屋根を置いただけのものだ。したがって、すぐ目の前に白い砂浜とそれに続く太平洋が見える。向かいの長いテーブルに男三人と女七人の団体が座ってビールを飲み始めた。今日この村で、僕を除いた唯一のお客さんかもしれない。ビールを小瓶一本だけ飲んだ後、部屋に戻り、ガイドブックで明日の宿泊ホテルを調べた。その後、まだ日が落ちていないので、次ぎにこの村に帰って来た時のために他のホテルを調査しに村を歩いてみた。部屋に戻った時はもう夕暮れになっていたが、まだ部屋の中は暑い。またビールを飲みにレストランに戻ると、4時前の団体がワイワイ言いながらまだ飲んでいる。暗くなった海の方を見ながら一人でポツンと飲んでいた。椰子の天井を見るとスピーカーがニ本、柱に掛けられていて、そこから調子のいいメキシコの音楽が流れている。きっと年期の入ったスピーカーなんだろう、音は割れている。しかしボリュームだけはでかい。そのうち曲に乗せられて七人のおばさんの二人が突然目の前で踊りだした。七人とも40才位だろうか、最早全員、身体の線が崩れている。しかし踊りだした二人の踊りはリズムに乗っていて見事なものだ。僕もついつい調子に乗せられて、手で脚を叩いて拍子を取り始めた。脚が蚊に噛まれて痒いので一石二鳥だ。すると向こうのテーブルで手拍子を取っていたもう二人のおばさんもダンスに加わって、四人が輪になって踊りだした。そして僕にも踊りに入れと言う。「踊れません」と断ったが、メキシコの女たちは調子が良くて、すぐその気にさせる特殊技能を持っている。すぐ席を立って彼女らに加わった。もう左足は踊れるまでに回復しているのだ。最後に踊ったのは何時だろうか。もう10年以上経っているだろう。しばらく一緒に踊っていると、彼女らが作る輪の真中に入って踊れと言いだす。またおばさ?が一人増え、五人の輪に囲まれた。一人ずつ順番に輪の中心に入って来て、それぞれが得意とする踊りを僕に迫り、せがむ。身体を座るほどの位置まで沈み込ませたり、回転させたり、53才のおっさんには重労働だ。汗が吹き出てきて、息が上がり、脚が笑ってきたので、ビールを飲むと言って踊りの輪から抜け出た。しばらくすると彼女たちも席に戻った。すると僕の踊りをニコニコしながら見ていた男たちの一人が、手で彼らの席に加われと招く。その男の横に座ると10人全員の名前を紹介してくれた。クルマで20~30分離れた小さな町からちょっと飲みに来ただけらしい。それにしてはテーブルの上にはビールが何十本も並び、もう4時間も飲んでいるではないか。10人もいっぺんに覚えられるものではないが、わかったような顔をしてフンフンとうなずく。ビールをご馳走してくれると言い始める。楽しみにしていたのに、どういう訳か、注文した僕のビールが来る前に宴会は突如としてお開きになり、10人は三台のトラックに乗って引き上げた。またレストランは僕一人になった。旅人は孤独なものだ。冬のメキシコは連日晴天だ。今宵もまた星空と語るとするか。
メキシコはユカタン半島とグアテマラの西側で大きくくびれている。ここは昔、パナマ運河の代わりに運河を掘る計画があったところらしい。その太平洋岸にTehuantepecという小さな町がある。町の中心街でも静かな町だ。ホテルも駐車場が付いていて1400円と安い。近所にインターネット・カフェがある。
10日程前にウィルス付きのメールを受け取ったので、ウィルスチェックがしたい。また、グアテマラでは首都のグアテマラ・シティーにしかAOLのアクセスポイントがないので、いつかインターネット・カフェのLANに僕のコンピュータを接続したいと考えていた。何軒かで聞いたが断られた。しかし、このカフェではいいと言う。早速パソコンを持ち込んだ。そのインターネット・カフェで働くセニョリータは20才で若いが、愛想が良くまたパソコンのことも良くわかっているようだ。ウィルス対策ソフトをインストールしてくれ、LANに僕のコンピュータを接続するために、わからない日本語の僕のパソコンを相手に4時間も頑張ってくれた。結局LANへの接続は残念ながら失敗に終わってウィルスチェックもできなかったが、彼女の商売を忘れてまでの真剣な協力には本当に感激した。 親切で優しくて明るいのは別に女だけではない。道が分岐してどちらの道なのか、とバイクを止めると、その辺の男が近づいてきて教えてくれる。信号待ちをしていても、走っていても、隣のクルマから顔を出して、「オラ、アミーゴ、どこに行くんや。おお、そうか、それならまっすぐや」と言う。道は一本しかないのでまっすぐに決まっているが、それでも何か嬉しくなる。 Tehuantepecから東の海岸部分は風が強い。荷物を満載した重いR1100Rでも強風にあおられ左右に蛇行する。ここの強風でトラックがよく横転するらしい。ギヤーをローまで落として震えながらトロトロと走る。道が北に反れシエラ・マードレ山脈に近づくにつれて風は弱まる。そこにTuxtla Gutierrezという町がある。ホテル代が、980円とまだ安くなった。ホテルの駐車場にR1100Rを止めて荷物を下ろそうとしているとTOYOTAのバンが横に止められた。運転手はCarlosと言う名前の47才の男だ。バイクが好きで、自分もHONDAのサイドカー付きのバイクを持っていると言う。Carlosは35年間、ゴムバンドで走るネズミのおもちゃを自分で作っては公園や路上で売り生計を立ててきた。
Tehuantepecのインターネット・カフェ。このセニョリータが4時間も頑張ってくれた。
彼が部屋に来いというので行ってドアーを開けた瞬間、黒いネズミが足下を駆け抜けたのでびっくりして飛び上がった。彼の作品だ。はずみ車は粘土で作ってゴムバンドで回す単純なおもちゃだが、実によくできている。これが知恵というものだ。制作費は一匹40円くらいと言っていた。Carlosがまだ若い頃、このネズミを売っている時に、カナダの金持ちの女と知り合った。彼女は結婚していたが、しばらくして夫が交通事故で死んだらしい。そして数年間、彼女が毎年メキシコに彼を訪ねてきているうちに、カナダのバンクーバーにある彼女の家に移り住んで、そこで20年間暮らしたらしい。カナダではそのネズミを売ったり、家の掃除をしていたと言う。数年前にメキシコに帰り、またあちこち旅をしてはそのネズミを売っている。メキシコ版のフーテンのトラさんだ。部屋は暑い。ビールを買いに出て部屋に戻ると夕食が準備されていた。このトラさん、なかなか気が利くではないか。部屋であれこれ数時間しゃべっている内に、Carlosは30~40匹のネズミを作り終え、町の広場でマリンバのコンサートをやっているので行こうと、制作したネズミを紙袋に入れて部屋を出た。広場へ着くと夜の11時前でコンサートはすでに終わっていた。そこで、Carlosは目抜き通りの舗道に糸でネズミを這わせながら歩く。舗道を歩く大人と子供、店で買い物をしている人たちも、「これは何だ」と集まってくる。
メキシコの寅さん、カルロス
ゴムバンドで走るネズミ
みんなキャーキャー言って、喜んでいる。他人に冗談と笑いを運ぶいい商売だ。僕は彼の後を歩きながら、若い女に近づくのにこのおもちゃは絶対に使えると、またまた不純なことを考えていた。わずか一時間ほどの間に20匹ほど売れた。Carlosは、「トオル、これで今日のホテル代はできた」と言って、ホテルに帰ると本当にホテル代を払っていた。彼の部屋にまた戻り、僕にも一匹売ってくれと言うとお金を取らずに二匹くれた。夜も遅いので自分の部屋に帰ろうとすると、二回もサヨナラの抱擁だ。もう二度と彼と会うことはないだろう。彼の目には、うっすらと涙がにじんでいた。僕はメキシコのトラさんも好きだ。 アメリカやカナダでは何回もゲロゲロしたが、それは日本よりも重症ではないとは言え、両国とも「悲観病」を患っていて、それが僕の「悲観病」を増幅させたためかもしれない。メキシコのトラさんだけは家を四軒も持っていて金持ちだが、バーの呑み助もホステスも、安宿の受付もそこに来る客も、みんな決して裕福ではない。それなのに彼らは、貧しさをケラケラと笑い飛ばす。この国では、胃潰瘍なんてすぐに治りそうだ。一つには、そしてできれば、僕はラテン・アメリカの持つそうした明るさ、楽天性を身に付けるために旅に出たのだ。