2011年の10月の末から「南北アメリカ一周、バイクの旅」を出版しようと思い、日本の出版社と連絡を取りました。実は、この前のメールで書いたように、近くに住んでいる和合さんと言う人がスペイン語で書いた彼の本を出版しようと考えているのを聞いて、僕ももう一度出版を考えてみようと思った訳です。
新年の来客 - Mariaの高校時代の友人Adrianaと両親
僕は2001年6月からバイクによる世界一周の旅を目指して日本を出ました。北米を回り、中米を出てすぐに南米のコロンビアに入った訳ですが、そこで20年前に日本で会ったHernanに再会し、すぐにエクアドールに出るつもりだったのが、滞在可能期間の6か月ギリギリまで住んでしまいました。コロンビアはゲリラが居て危険なので、中米のパナマから直接エクアドールに飛行機で飛ぼうとも思っていたのですが、コロンビアの首都ボゴタに住むエスペランティストからの招待があったので、彼に会ってすぐに出国するつもりでした。ところが、Hernanの勤務するボゴタ市役所で美しいコロンビアの女性に会ったので、滞在が長くなってしまったのでした。2003年の10月20日にコロンビアを出て南米大陸を一周し、2004年9月12日に再入国するまで、彼女にメールを書いて送っていましたが、帰ってきたら彼女の気が変わっていたので別れました。ボゴタに帰って来てから、またHernanの家に住んでいましたが、そこでHernanが連れてきた現在の妻と会った訳です。2005年の正月には、南北アメリカを一周したバイクBMWをコロンビアでは持っておれないことが分かったので、彼女を載せてバイクを売りにコロンビアを出ました。1月2日にボゴタを出て、彼女は1月15日にコロンビアに帰ったのですが、僕は場合によってはチリまで行って売るつもりでいました。結局エクアドールで2月3日にバイクを売り2月5日にボゴタに帰りました。それまでBMWで走った南北アメリカ旅行の記事をインターネットで発表してきていたのですが、ボゴタに帰って来てからこれを本にしようと考えました。まず、日本語の本を出そうと考えましたが、どうしたら良いのか分からないので、それまでずっとメールを交換していた加曾利隆さんにメールを送りました。2005年3月1日のことでした。加曾利さんは若い頃アフリカ大陸をバイクで走った本を出していた人です。それからずっとバイク旅行の本を書いていて、今では40冊位の本を出しています。このメールには返事がなかったのですが、その代わりパラグアイで会った中島由紀子さんから出版したい人がいると言うメールが入りました。結局、これは有料出版なので断りました。日本語の出版と並行して、英語とエスペラント語でも出版しようと考えていたので、アメリカの友人Michaelに紹介してもらった、バイクの本を沢山出している出版社と連絡を取りましたが、社長から無理だとの返事がありました。またエスペラント語では、日本のエスペラント会ではエスペラント語の学習書以外は出版していないとの返事があったので諦めました。それで日本語の本は、自分用にボゴタで印刷しました。その内2冊は日本大使館とJICA(日本国際協力機構?)に寄贈しました。また英語の方は友達の板野泰之さんが本として印刷してくれましたので、出版の事は忘れていました。
新年の来客 - Mariaの高校時代の友人Claudiaと夫
ところが和合さんが本を出版すると言う話を聞いて、一度は諦めていた日本語の本の出版をもう一度思い起こしました。あれから6年も経っていて、その間の記事も増えたので「南北アメリカをバイクで一周し、コロンビアで暮らす - 10年間の旅の記録」と言う風な題名で出版しようと考えました。出版社の大部分は東京に集まっていました。最初は加曾利さんともう一人のバイク乗り戸井 十月さんの本を出版している会社等3社に出版依頼メールを送りました。2011年10月の末のことでした。この3社が最近もバイクの本を出しているかどうか良く調べていませんでした。そして3社から出版できないと言うメールが届きました。今度は日本の出版社1000社位をインターネットで調べて、過去4年間海外旅行の本を出版しているかどうかを調べました。その結果6社を選びましたが、いずれの会社も海外旅行の本は少なく、一社を除いて4年間で2~3冊と言ったところでした。その中でもバイクで旅行した記事の著者は、1000社のさらに昔の記事を含めても10人位しかありませんでした。11月8日に、6社に対して出版依頼文を送りました。大手の2社からはすぐに出版できないとの返事が来ました。一番バイクの本を多く出している小さな会社からも出版できないと丁寧なメールを頂きました。残りの3社の内、2社からは返事がないままでしたが、従業員66名のイカロス出版からは、11月21日のメールで出版は非常に難しいが、出版企画会議に掛けてみると言う返事をもらいました。返事は2~3週間で送ると書いていたので待っていましたが、返事が来ないので12月19日にメールを出しました。1週間以内に結論が出ると言う回答が帰って来たので、ひょっとして出版してくれるのでは、と微かな期待を持っていたのですが、12月23日に出版できないとの丁寧なメールが届きました。これで出版はできないものと思いましたが、2社については返事を受け取っていないので、3度目の出版依頼メールを出しました。その内の小さな出版社からは12月の26日に出版できないと返事がきましたが、最後の大きな1社からは返事がなく、年が明けました。1月11日に4回目のメールを送りましたが返事がないので、仕方なく電話しました。思ったとおり出版できないとそっけない返事でした。これで残念ながら南北アメリカのバイク旅行の本の出版は諦めました。
新年の来客 - Mariaの大学時代の友人の妹Rocioと母
2005年に最初に本の出版を考えた時も、日本は出版不況と言われていました。その年の夏に日本に帰ったのですが、昔、活字の本で埋まっていた本屋は、殆どのスペースを漫画の本に置き換えていました。そして2008年にはアメリカ発の世界不況が起こり、それが未だに続いています。そして出版業界は日本人の、特に若い世代の関心がインターネットの、特に静止画や動画に移ってきたことから、ますます経営が難しくなってきています。今回、もしインターネットに発表している記事が本になれば、本を買わずにインターネットで記事を読もうとする人が出てくる可能性があるので、ホームページを閉じる必要があるのではと心配していたのですが、その必要もなくなりました。若い人達は本を読まなくなっているようですが、僕は古い人間なのでやはり本が欠かせません。去年日本に帰った時に、また本を沢山買ってきました。今はまだその前に日本から送ってもらった本の内、仏教関係の本はすべて読みましたが、残りの本の内、「世界の歴史」16冊の内、14冊まで読み終え今15冊目に入っています。同時に買った「日本の歴史」の本26冊がまだそのまま開かれずに残っています。しばらくは日本語の書物に不自由しないようです。