明けましておめでとうございます。皆様、お元気でしょうか、一年ぶりにお手紙を差し上げます。Guatavitaの田舎町へ移ってきて早や一年半が経ちます。昨年は、僕にとっては悪い年でした。エスペラント語、身体、家の新築を考えていましたが、なに一つできませんでした。
まずエスペラント語なんですが、コロンビアのエスペラント会から何の連絡もなくなりました。いままでは年一回、コロンビアのどこかの町でエスペラント大会が開かれていて、その連絡が届いていたのですが、去年は何の連絡もありませんでした。時々、インターネットでコロンビア・エスペラント会のホームページを見ていたのですが、そこにも記事がありませんでした。今は日本のエスペラント会の会報だけを読んでいます。読んでいると書きましたが、以前のようにはエスペランと語が読めなくなりました。
去年の5月19日(土)から3日間、妻のMariaそれにHernanと彼の娘の四人でアマゾンのPuerto LopezとVillavicencioに行きました。三日後の21日に家に帰ってきたのですが、夜、ベッドに入ってから頭が痛くなって眠れませんでした。次の日から4日間は「法華経」を読んでいたのですが、一週間ほど経ってからまた頭が痛くなり、日本語の本も読みづらくなりました。半年経った今、日本語の本は完全ではありませんが、何とか読めるようになりましたが、外国語の本は、エスペラント語も含め、すっと読めなくなりました。日本語は、読む方はまだましなのですが、書く方は随分と文字を忘れてしまいました。そのうえ30回、40回と書いても忘れてしまいます。日本人医師を含むこちらの医者の診断は、動脈硬化症だそうです。2001年に旅に出てから6年半が経ち、そろそろ日記を止めようかと思っていたのですが、日本語はテレビのNHKと日記だけなので、どうやら死ぬまで止められそうにありません。
動脈硬化にも耐えて弟と温泉へ
去年の5月までは残りの人生を、このGuatavitaで過ごそうと思っていて、そのため4月28日に家を建てる土地を買いました。7月4日には日本から弟がコロンビアに住みにくる。すべてが順調に行っていました。ところがこの動脈硬化です。悪いことに、弟も血圧が高くて(180から190mmHg)、3ヵ月後に言葉の分かる日本へ帰ってしまいました。動脈硬化には高度の低い方が良いと、日本大使館の日本人医師が言うので、別の土地に家を捜してきました。もう半年以上も経っていますが、家を捜しに行けたのは去年の11月からですから、まだ2ヶ月です。今の所、Bogotaの南にある、高度が1500m位のフサという町の近くに移ろうと考えています。家の候補が一つ見つかりました。700㎡(平方メートル)の土地に立つ、2階に小さな部屋が着いたほぼ一階建てで、完成間近の家です。価格は1000万円ちょっとと言われています。こちらの家は、家の中で靴を脱がない、トイレはシャワーだけと言った家がほとんどなので少し改良する必要がありそうです。ベッドは嵩張るんですが、慣れたことだし新しい家でもそのまま使うつもりです。新しい家が見つかり、そして元気があれば、またメールを書きます。2008年1月3日 松本 トオル