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日本にはない問題点

1. 夜は仕事をしない

ボゴタの空港にマリアの弟Miguelと彼の妻等を見送る。

この国の夜は暗いのです。街灯が少ないので夜の街は実際に日本ほど明るくないこともありますが、田舎町のフサガスガなら夜の8時になると、街の通りには殆ど通行人もいなくなります。首都のボゴタでも夜は静かで、日が暮れると外には出ないと言う昔ながらの生活を送っているように思われます。朝まで店が開いている東京や大阪とは大きな違いです。この国では暗いだけでなく強盗が多いので、暗くなり始める6時以降には絶対一人では家の外に出ないようにしています。 日本では道路工事は大抵夜中に行われるので、道路工事で道が封鎖されていることはないと思います。しかしこの国では夕方の4時か5時で仕事は終わります。従って、道路工事はなかなか進みません。しかも道路の塗装に使われるアスファルト等の厚さは2㎝位なので、塗装はすぐに剥がれ、また工事を始めると言うことになります。人件費が安いということもありますが、予算の半分くらいは誰かが盗み取ると言われる国ですから、それでアスファルトの厚さも薄くなっているのかもしれません。 ところで、6年前にフサガスガに引っ越してきた時には、車は少なく道路は空いていました。ところがここ数年コロンビアの経済は好調で、自動車も増え、交通停滞が増えてきました。この国の自動車は古いものが多く、時々、30~40年くらい走っている車を見ることもあります。日本は3~4年位したら自動車を買い替えることが多いようですが、この国ではこんな状態なので大気汚染が心配です。 2.日常茶飯事の停電

日本で停電が起こったのは僕が小学生のころだったと思います。それ以降は記憶にありません。停電といえばインドを思い出します。30年以上前のことですが、インドからの帰りの前日、飛行機の便の確認に行ったら停電で予約の確認が取れず、一日中旅行代理店に居たことを思い出します。この国では、停電はほぼ毎日ほど起こっていたのです。フサガスガではこれほどでもありませんが、週に一回は停電します。普通は一時間くらいで回復しますが、長いときは5~6時間かかることもあります。停電は、昼に起こればパソコンを止めて読書したりできるのでそんなに問題がありませんが、夜なら大変です。ですから、家には各所に10以上の懐中電灯を置いています。 3.物は返さない

NECのパソコンLaVieが故障して画面に何も映らず真っ黒になりました。コロンビアで唯一の友達Hernanの友達でパソコンの修理をしている人がいるので、彼がボゴタから来た時に修理を頼みましだ。パソコンを渡した後で、銀行カードの全ての情報を書き込んでいたことを思い出しました。不正に出金しようとしても暗証番号を3回以内に当てないとカードが使えなくなるのでまず大丈夫だと思っていましたが、ボゴタに行った時にパソコンを返してもらいました。その時に電源ケーブルがなかったので返してくれるように頼みました。ところが一向に返してくれません。その後、このパソコンは内部のメモリーを取り外して処分してしまったのでどうと言うことはありませんでしたが、国が違うと人の考え方も違うので大変です。でも…、こんなことは今では日本でも起こっているかもしれませんね?

2014年4月26日(土)、日本大使館主催の日本工芸品の展示がフサガスガで初めて行われた。僕の隣は同じ街に住む和合さん。

4.身分証で家を取られる

テレビを見ていたら、マリアが僕に説明してくれました。僕は未だにテレビを見てもスペイン語が分からないのです。7年前に脳の血管が破れてから言語の記憶能力の一部が破壊されて、医者は治るようなことを言っていたのですが、そのままになっているようです。 マリアの説明では、テレビの画面に映っている女の人が身分証明書をなくしたのですが、その身分証明書を入手した人が彼女の家を乗っ取ったと言うのです。そんなことが日本でも可能なのかどうか知りませんが、とにかくここは外国、今まで身分証明書は財布にいつも入れて何処へ行くにも持っていましたが、この報道を見た翌日、早速身分証明書のコピーを取り、それを財布に入れ身分証明書は家に置いておくことにしました。しかし、泥棒が入って盗まれれば同じですが…。泥棒の多いこの国では、却ってこの方が危険かもしれません。 5.サービスの悪いレストラン

フサガスガに限らず首都のボゴタでも良いレストランは余り多くはありません。フサガスガの少しましなレストランで食事とともにビールを注文しました。グラスに入れられたビールが漏れていました。グラスが割れていたのです。それで交換してもらったら、ビールは随分減っていました。日本なら新しいビールに交換してくれるはずだと思います。ビールが減ったのは僕の性ではないのですから。こちらのビールは小瓶で60円くらいで安いのですが、何か随分損をしたような気になりました。

6.高い郵便料金

2014年1月31日にアメリカ合衆国のCitibankに書状1枚を送るために、フサガスガの郵便局のような所に行きました。いつも思うのですが郵便料金が高いのです。日本ならいくらするか忘れましたが、100円か150円位なものでしょう。ところがこちらでは650円位するのです。料金受け取りの書状を書いてくれますが、料金の高さにはびっくりします。ただこちらから郵便で外国に送ると50%位は途中で盗まれると言われていますから、それを考えるとますます高いと思います。650円も出して盗まれるんですからたまったものではありませんが、僕の場合、今のところは全部、無事外国にも配達されているようです。

7.Nisshinのカップヌードル

コロンビアでは首都のボゴタに日本料理店が少しありますが、僕の住んでいるフサガスガにはありません。でも妻のマリアが毎晩日本料理を作ってくれるので大丈夫なのです。具合の良いことに、フサガスガのスーパーでは南米製の即席ラーメンが40~50円位で売られているので時々食べています。今年になって、ボゴタのスーパーに行った時にNisshinのカップヌードルが売られていたので初めて買いました。家に帰って食べてみようと蓋を開け、お湯を流し込もうとしたら、麺が5㎝位の間隔で切られているではありませんか!びっくりしました。まさか…、日本でも今は切られているんですか?

8.無料音楽会

同じ展示会で日本人形を背に立つマリア。

3月13日の木曜日にフサガスガのスーパーに行くと、そこに付設されている商店街で音楽会をやってました。無料なので並べられている椅子に座って、まず珈琲を飲み、続いてビールを飲みました。聴衆は30~40人位だったでしょうか。2時間くらい楽器の音と歌声に楽しいひと時を過ごせました。2週間に1回開くと言うので木曜日を楽しみにしています。18時半か19時前から21時前までの演奏会です。5月9日はサックスホーンと2人のギター奏者で一時間した後、サックスホーンの人が一人残りクラリネットも使って、ちょっとジャズっぽい音楽を聞かせてくれました。木曜の夜が楽しみです。

別の週の無料音楽会

2014年5月から無料音楽会とカラオケ大会が毎週交代で開かれるようになった。

翌週の土曜日、5月17日には、今度はスーパーで音楽会をしてました。こちらは場所も広いし、時間も15時ころからと早かったのでもっと多くの観客が集まっていました。今度は、僕の好きなジャズだったので大いに楽しみました。しかし、この演奏会は1回だけなので残念です。毎週やってくれると良いと思ってました。 そうしたら、翌週の今度は金曜日の18時半から先に書いたスーパー付設の商店街でKaraoke大会があると聞きました。妻のマリアに行こうと言ったら、あまり乗り気ではなかったので止めました。これも2週間に一回開かれるということでした。一週間ほどして、このKaraoke大会で音楽演奏もあると聞きました。それでマリアと行くことにしました。外に出るのはいつもマリアと一緒なのです。18時半に行きました。でもまだ始まっていませんでしたが5人の演奏者の姿が見えました。一人は20歳くらいの若い別嬪さんで、クラリネットを持っていました。そして19時5分に、残念ながら、その別嬪さんを除いて4人が、なんとジャズの演奏を始めたのです。トランペット、ドラム、ギターとアコースティック・ギターでした。僕はその4人は、この街か、またはボゴタから来ているんだろうと思っていましたが、何とコロンビアの北や南の街から来ていると紹介されたのでびっくりしました。ジャズ演奏は35分で終わりました。

歌手二人と記念撮影

ここではいつでもビールの小瓶を4本ほど飲んでいます。演奏会は無料で、ビール一本が100円なのでいつも主催者に申し訳ない気がしています。このKaraoke大会は会場の前にある珈琲店が主催していると聞きました。その珈琲店ではビールも売っていますので、いつもここで注文します。その店の主人もカラオケを歌っていました。彼はカラオケが好きなので演奏者達の出演料を払っているのだと思いました。そしてこの日、彼はマリアと僕にビール一本ずつをサービスしてくれました。Karaoke大会の参加者も音楽演奏会と同じく40~50名位でした。でも一週間前の音楽演奏会と違って、全体の8割位は女性でした。そして歌ったのは殆どが若い女性でした。この国ではカラオケの歴史が浅いので若い人が多いのかもしれません。40分程して、ぼちぼち帰ろうかなと思っていたら、もう無いと思っていたジャズ演奏がまた始まったので、またビールを注文しました。今度は演奏をしなかったクラリネットの別嬪さんも加わりました。隔週木曜の音楽演奏会はいつも21時前に終わるのですが、この日のKaraoke大会は22時まで続きました。スーパーが21時に閉まるのを初めて見ました。結局、この日はマリアと二人でビール8本を飲みました。そのうち6本位は僕が飲んだので少し酔っぱらいました。 9.バイクが売れた

6月20日に知らない人から電話がありました。マリアに電話を渡しました。Savage650のバイクを買いたいと言う電話でした。実はSavage650を売るためにインターネットに宣伝を出していたのです。2012年10月24日にボゴタへ行き、何か月も修理に出していたバイクが直らないので引き取り、友達のHernanにあげたものでした。バイクには毎年、税金、自賠責保険、安全性検査代を支払う必要があります。友達に譲ってから僕は何も支払っていません。税金は支払う必要があるそうですが、自賠責保険、安全性検査代は廃車届をしていないのでどうなるか分かりません。

僕は、この中古のバイクを40万円位で買って、修理代と日本からの部品購入代に80万円位使いました。それなのに乗った距離は4,000km位です。特にフサガスガに引っ越ししてからは、この近くには道が少ししかないのでほとんど乗っていません。買ったときは気が付かなかったのですが、イグナイターの一部が多分故障していたのを配線を変更して使っていたようなのです。このボゴタのバイク屋に持ち込む前にはフサガスガのバイク屋に修理に出していたのですが、そこで同じ電装系の部品がなくなり、1万円ほど出して日本から取り寄せたばかりでした。それでもう嫌になり修理を止めHernanに譲ったわけでした。

買った人には、この辺の事情をよく説明し、バイクのことをよく知らない人には売れないと言いました。彼はよく知っていると言い、アメリカ合衆国にもよく行くと言いました。このバイクは1989年頃には日本で発売中止になっているのですが、アメリカ合衆国ではまだ生産されています。日本では中古のバイクには殆ど値段が付きませんが、この国では高価で売れます。15万円位で売れました。一度Hernanにあげたバイクなので売値は彼が決めました。半分は自分が取って、あとの半分は弟にあげると言っていました。この国では売った後のゴタゴタが心配ですが、買った人は良さそうな人だったし、それに売却契約書も交わしたので心配ないと思っています。

10.ワールド・サッカー

女性ミュージシャンも登場。別嬪さんだった。

6月12日からサッカーの世界選手権大会が始まりました。僕は2002年の日本と韓国で開かれた大会をエクアドールで初めて見たのを思い出します。安いホテルの入り口にテレビが置いてあって、そこでホテルの人達と一緒に見たのを覚えています。それまではサッカーの試合など見たことがなかったのですが、海外にいたこともあって大変面白かったことを覚えています。しかしその後の2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会にはコロンビアにいたので毎日テレビ放送があったはずですが、ほとんど見た記憶がありませんでした。 ところが今年はコロンビアが南アメリカ代表に選ばれたこともあって毎日見ています。日本はコロンビアと同じグループだったので、団地のガードマンなんかはコロンビアと日本のどちらが勝つか賭けようと、僕が団地に出入りする毎に言ってました。こちらの人のサッカー熱は異常なほどです。特に今年はコロンビアが16年ぶりに世界大会に出たこともあって、国内は大興奮状態です。6月14日にコロンビアの第1戦の対ギリシャ戦があったのですが、首都のボゴタで人々が興奮して結局8人が殺されたと言うニュースが流れていました。こんな状態なのでサッカーのある日にはスーパーでの酒類の販売は中止になっています。ところで今回の世界大会ですが、日本は第1戦で敗退しましたが、コロンビアは一位で通過し、第2戦、第3戦にはコロンビアの大統領もブラジルに観戦に行きました。しかし、しかし7月4日の第3戦ではブラジルに敗れたので成績は5位以上8位以内と言うことになりました。 二日後の日曜日、サッカーの選手がコロンビアに戻りました。空港から市内のシモン・ボリバール公園まで市民の長~い長い歓迎の行列が出来ているのをテレビが実況中継していました。御堂筋の倍くらいの広さの道路が、コロンビアのサッカーチームのユニフォームを着、国旗を持った人達で埋め尽くされていました。その中を屋根を繰り抜いた大型バス一台だけがサッカー選手を載せて進みます。何キロも続いた行列はやがて公園につきます。公園には入り口にサッカー場の5倍も有ろうかという大きな広場があって、ここもユニホームを着た人々で埋め尽くされています。広場の前には選手を迎える大きなステージが作られていました。僕はこんな大勢の人を日本では見たことがありません。コロンビアは世界大会で優勝したわけではありません。もし優勝していたらどうなっていたのだろうと考えます。こんな異常な興奮状態ですから、1969年にエル・サルバドルとホンジュラスとの間にサッカーが原因で戦争が起こったのも無理はないと思います。きょうは朝9時過ぎにテレビを付けてから夜7時になっても世界戦祝賀放送が行われていました。

7月13日の日曜日にドイツ対アルゼンチンの決勝戦が行われました。延長戦になりドイツが1対0で優勝しました。1930年に始まり4年ごとに行われるこの世界選手権大会は、第1回は南米のウルグアイが優勝しました。しかしその後はブラジルが5回、イタリアが4回、そして今年優勝したドイツが4回優勝しています。今年の優勝戦、僕は3回目の世界制覇を目指すアルゼンチンを応援していたのですが、残念ながら破れました。約1か月続いた世界大会をずっと見ていたので、近所の散歩をさぼっていました。明日は久しぶりに歩こうと思っています。