彼は二輪レースの前世界チャンピオンなのだ。彼のメカ要員はバイクの修理におおわらわであった。客はみんなクリスマス休暇までに自分のバイクの修理が終わるのを待っているのである。バイクにパック・フレームを取り付けてもらうのに、まる1日つぶれてしまった。3日目になって、とうとう前チャンプ本人自らパック・フレームを溶接してくれたのだ!彼は親切で優しい。日本に来たら一緒に酒を飲もうとまで言う。多分、奈良の山奥の温泉まで一緒にツーリングすることになりそうだ。 オークランドではニュージーランドの友人の両親宅でやっかいになった。友人の父であるエディー・レイディーは、羊の散髪屋のこれまた前世界チャンピオンである。前回に、彼が羊の毛を刈っているのを見たが、驚くべき速さと正確さ。それはまさに芸術だった。エディーはクリスマスに帰省した4人の子供に囲まれて御満悦だ。
YAMAHA XT-200
三人の美しい娘に囲まれて世界一幸せなエディー。床には娘達からのクリスマス・プレゼントが散乱している。
大きな居間のソファーで可愛い娘達に取り囲まれている彼は、世界一幸せな男だ。ニュージーランド出発の直前、エディー一家はこの大きな家に引っ越しした。敷地は16,000㎡で、建坪は370㎡。それで値段はたったの4,700万円だ。 クリスマスが終わって、いよいよバイク旅行の始まりだ。トーマスに会いにオークランドからロトルアまで南に下る。トーマスは、一年前の交通事故の後でこの上なく面倒を見てくれた。モーガン氏の息子だ。(多分、読者は1992年3月号の La Voco の「ニュージーランドからのクリスマス・プレゼント」に出ていたモーガン氏の写真を覚えておられることだろう。)トーマスはその後、去年の4月に奈良にやってきて、我が家に一ケ月滞在した。ロトルアは世界でも最も地熱活動の盛んな所である。町の中には温泉がいくつもあって、近郊には地熱発電所もある。 エグモント山の山麓を半周し、北島最南端のウェリントンへ向けてバイクを走らせる。ニュージーランドのこの首都に着くやいなや、この国を二島に分けるクック海峡を渡るフェリーを予約すべく、フェリー会社に電話する。一年中で一番混んでいる時なのに、この時は運よくバイクのための予約が取れた。二週間後、北島への帰途に着く時はフェリーの予約がいっぱいで、空席が出るまで3時間も待たされた。 ウェリントンは風の街。強風が山の斜面に貼り着く家々を吹き上げる。突然疾風がバイクを横殴りし、隣の斜線の四輪に当たりそうになる。俺様のバイクは、まるで気紛れな風の海に浮かんでは揺れる小舟だ。細心の注意を払って街をでるが、風はおさまらない。山に入って、逆に風は強まる。峠では風は俺を道路から吹き飛ばさんばかりに吹き荒れ、バイクはぐらっと傾く。一瞬、力いっぱい路面を蹴る。深い谷へ転落寸前だ。
カイコウラへの途中、二週間前にオークランドのバイクショップで会った日本人ライダーに再会する。一人は既に交通事故に会い、もう一人はパンクしたとこぼす。二人ともニュージーランドで乗るのはこわいと言う。またドイツ人ライダーも、既にバイクをぶつけていた。バイク・ツーリングは夢々安全ではない。路上では常に死と直面しているのだ。
幸か不幸か、他の車は120キロから140キロで走っているのに、我が愛車の最高速度はたった80キロか90キロだ。そのせいか、今回は無事故だ。とはいえ、いつなんどき弾丸のようにぶっとばして横を通り抜ける後方車には、気が抜けない。とにかくこちらはニュージーランドで一番遅い車なんだ。
カイコウラは小さな漁村だ。観光客は鯨の観察ツアーにこの村を訪れる。
スコットランド風の町デュネディン
南島最大の町クライストチャーチは、イングランドのオックスフォードを彷彿とさせ、クライストチャーチの南方300 km のデュネディンはスコットランドの小さな町の佇まいだ。町は両方とも古い教会がひしめく。 クライストチャーチはロックンロールとダンスとビールで新年を祝っていた。街のあちこちで鳴り響くロックの演奏に合わせて、若者達は走り、踊る。彼らは群れをなし、大声をあげ、通りを走り抜けていく。若者のエネルギーが街中に炸裂する。この町にこんなにも多くの若者がいたのか。おそらく町中の若者が外へ出て、家には一人も残っていないんだろう。 幼い頃の故郷の盆踊りを思い出しつつ、失った若さを惜しみながら、ホテルへ帰る。日本の若者を気の毒に思う。彼らは弱々しく、頼りない。お金と引き換えに元気を失ってしまったのか。日本人の、とりわけ若者の無気力の原因は何だ。日本経済の崩壊は近いと思う。いやいや、こんなことは忘れて明日のツーリングのことを考えよう。360kmの距離だ。 一方、デュネディンの夜は静かというものではない。 きれいな店舗、飲み屋、それにホテルが立ち並ぶ目抜き通りですら、歩行者はおろか犬さえいない。この町はゴーストタウンのように死んだ町だ。デュネディンは、かつてこの地方に金鉱が発見された頃、金の積み出し港として栄華を極めた。今では大学町として知られ、1869年に設立された大学はニュージーランド最古で7000人の学生を擁する。おそらく学生の大半はクリスマスで帰省しているのであろう。 インヴァーカーギルはニュージーランド最南端の町。この国は南アメリカのパタゴニアに次いで、南極に最も近い国である。ブラッフとよばれる所があって、ここは南島で最も南にある岬だ。南極は、ここからさらに南方4810kmにある。 南北に走る険しい山脈が、南島を西海岸と東海岸に二分する。
フランツ・ジョセフ氷河
このニュージーランドの屋根に積もった雪は固まって氷となり、形成された氷の川は海に向かって流れ、谷の岩を削る。ここの氷河は最後の氷河期以来、長い間内陸部へ一貫して後退し続けてきた。氷河の先端は、過去200年において数キロメートル後退したが、1965年突如、後退を止め、その後30年間は逆に1000メートル以上も前進を続けている。 今から20年以上も昔に、地球の気温について、寒冷化するのか、温暖化するのかと真剣な論議がなされたことがある。相反する二つの仮説があって、それは大気汚染物質が日傘のように太陽光線を覆い、地球が寒冷化するとするものと、化石燃料の燃焼に起因するCO2 の毛布にくるまれる温室効果によって、地球が温暖化するというものであった。フランツ・ジョセフ氷河の前進は、次の氷河期到来の一つの科学的根拠として「ICE!」という本を生み出した。想像するに、邦画「復活の日」はこの本が種本になっているのではないか。 中年ライダーは、金属性の瀕死の馬、「ヤマハ XT 200 」に拍車をかけながら、さらに北のブラック・ボールに向かう。でも...ニュージーランドの天気は、一体どうなっているんだ。前回のニュージーランドは寒い冬だったとはいえ、太陽はサンサンと輝いていた。今回、太陽は長期休暇を取って、他の銀河へ行ってしまったようだ。雲は天を覆い、毎日涙の雨を流す。雨はライダーにとって最悪の敵だ。我々のこの惑星は、人類同様病気なのか。
ブラック・ボールは俺様の南島の地図には載っていない。今では氷河の北に位置する小さな見捨てられたような町である。町というより、むしろ村というべきこのブラック・ボールは昔、石炭の産出地として栄えた。当然、住民の大部分は炭坑夫であった。彼らの生活はおそらく、そう、たとえば日本の三池炭坑と同じように厳しいものであったにちがいない。だから、自然と労働組合が結成された。それはニュージーランド初の労働組合であり、この町には、かつてニュージーランド共産党の本部も置かれたことがある。昔本部のあった所の向かいには "BLACKBALL HILTON" という名の安宿がある。その安宿の前には教育ツアーのバスが止められている。オークランドからの教師達だ。我が敬愛する日本の先生方にも、このような自己研修旅行をなされるよう願う次第だ。
ピクトンへ帰る片田舎の道で、牛の一団が道をさえぎっている。
ピクトンの近くの美しい海
カラオケはアジアの国々だけでなく、欧米諸国でも流行っているという噂だ。実際、台湾ではカラオケ・バーがたくさんあった。けれども、ここニュージーランドでは、まだ見たことがない。そのバーは俺の他には日本人観光客もいず、地方色いっぱいで、日本のカラオケ・スナックとは大違いだ。AVシステムを置いていることを除けば、それはニュージーランドのごく普通のパブだ。客は歌おうとはしない。だからパブにはプロ風の歌手がいる。何人かの客がプロ歌手に合わせて、ビールを飲みつつ歌う。この国ではカラオケは文字通り、空オーケストラだ。 カラオケは日本唯一の輸出文化と言われている。数学者、岡潔はその著書に、人間をダメにする三つのSがあって、それはSports、Sex、Screenだと書いた。日本の飲み屋での、昨今のカラオケ狂の馬鹿さ加減を見ていると、四番目のSとしてSongを付け加えたい。とは言っても、それはそれで結構だと思う。少なくとも音楽によって争い事が起こるわけではない。愚鈍は抗争よりずっとましだ。 フェリー3時間の旅で俺様のバイクは、クック海峡を越え、再び北島に戻ってきた。午後3時、バイクにまたがりエンジンON、東海岸沿いに北上する。ウェリントン北方320キロのネピアに着いたのは、夜の9時だった。 ネピアはアールデコーの建物の多い、美しい町である。1931年にリヒター震度7.9の地震が起こり、煉瓦造りの建物の大部分が崩れ落ちた。町は2年間の都市計画により復旧され、ネピアはアールデコーの町となった。ネピアはティシューペーパーで有名だ。ネピア港の埠頭には製紙用木材が山と積まれている。ニュージーランドは昔、羊を飼育するために木々を切り倒したが、今ももっと多くの木がその地から消えようとしている。ある日本の商社は、木を求めて90マイルビーチ周辺の広大な土地を購入している。そればかりではない。日本と韓国の漁船は90マイルビーチ海域の魚を捕り尽くしてしまった。この美しい国も、人間の貪欲さゆえに次第に病みつつある。
トコマル湾へ向け、さらに北上する。
北島東岸のビーチ
ここはニュージーランド最東端の地であり、国際日付変更線はこの海の沖合だ。久しぶりに天気が良い。雨の心配はない。この旅行で初めてテントで寝ることにきめる。 降り注ぐ星空に、なんという静寂だ。仮にこの世に音というものがあるとすれば、それは木々をくすぐるかすかな風の音と、暗い砂浜をそっと洗う波の音だけだ。天の川は暗黒の天空を二分する。我々は銀河系の片田舎の恒星を回る小さな惑星に生まれ落ちた。そして、そこで一瞬の生を閉じる。それなのに古来より人類に争いは絶えない。そんなことは彼らに任せておいて、今夜は星のシャンデリアの下で、ビールを片手に自然と語ろう。その方が平和だ。俺は美しく生きたい。 このキャンプ場は450円だ。ニュージーランドのキャンプ場は、設備が抜群にもかかわらず、安い。きれいなトイレ、熱いシャワー、テレビ室、洗濯機に乾燥機、電話に電気、何でも揃っている。日本では寝場所のためにお金を払うが、ここでは設備に対してお金を払う。ニュージーランドの人々は自然に抱かれて人生を送る。だから、彼らの顔は喜びに輝いている。彼らにとって、人生の目的は楽しむことだ。 ニュージーランドの旅もそろそろ終わりに近づいた。オークランドへの帰途、トーマスに再会して、3週間前に残しておいた荷物を引き揚げるべく、ロトルアへ戻った。トーマスは仕事で家を留守にしていた。彼に渡されていた鍵でドアを開け、その夜は彼の家に泊まった。翌日、再び東海岸へ引き返し、北の Hot Water Beach に向かった。その名のとおり、この砂浜では砂を掘ると温泉が出る。砂の浴槽に寝そべると、青い海と、温泉に浸かる若い娘達が楽しめる。
1月14日、ツーリング最終日にテームズに着き、長く赤いくちばしで砂浜を歩く多数の黒い鳥を見つける。都鳥である。都鳥の大群は白い砂浜を黒く染めている。昔、無数の鳥が、メキシコの或る町の夕空を覆い包んでいた光景を思い出す。都鳥は日本の海辺にも見られると書かれているが、今まで一度も見たことがない。子供の頃、大阪湾にさえ白い砂浜があって、美しい鳥が歩いていたことを覚えている。夏の夕方、砂浜でトンボ、ツバメそれにコオモリを網で捕った思い出もある。空をとぶ生き物は、みんなどこへ言ったのか。我々はいつも自然と遊んでいた。
自然とともに生きる
現代の子供達がコンピュータゲームに耽溺している事実は、生態系崩壊の副産物であるにちがいない。 色とりどりに咲き乱れる花に包まれた家の前にとめていたバイクへ戻った。美しい庭に見とれていると一人の老人が家から出てきて、バルコニーでお茶を飲みませんかと言ってくれた。ニュージーランド、日本、それに世界について数時間もしゃべった。なぜかこの国で会うのは老人ばかりだった。 オークランドのバイクショップでバイクを売り戻してから、ワンガレイまでモーガン氏に会いに行った。彼とは一年ぶりに会ったのだが、ひげをすっかり剃り落としていたので、最初は誰だかわからなかった。ひげのない彼は以前よりもずっと若く見えた。モーガン氏は今は退職していて、家の修理部屋でクラッシック・カーのレストアーをしては時を過ごしている。彼のような家に住むのが夢だ。バイクの修理部屋とまで言わなくても、せめてガレージでも欲しい。翌日、オークランドへ帰る途中、94才の老紳士に会った。彼は哲学書を読む、ほんとうに上品な人で、毎日大きな家で一人、本を書いている。退職後は、彼らのように暮らしたい。 ニュージーランドの人々は日本人よりも、精神的にも物質的にもずっと裕福である。彼らはよく笑うし、いい顔をしている。彼らの顔には美しい自然に生きる幸せな生活が映し出されている。鏡に映る自分の顔を、一度よく見てみる必要があると思う。