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赤道直下のエクアドール

月曜日の朝の8時半に着いたコロンビアとエクアドールの国境は閑散としていた。出国手続きは、いつもどおり簡単に終わった。そこでコロンビアのペソをエクアドールのスクレに両替しようとしたら、ドルの札束を持っている。二年前からエクアドールも通貨がドルになったと言う。エクアドールの入国管理もいつもどおり5分くらいで終わった。さて、問題はバイクの一時輸入許可だ。出入国する人が少ないので、税関の職員も親切だ。それらしい事務所に連れていってくれた。しかし、バイクの許可はそこではなく、4km離れたTulcanの町へ行けと言う。エクアドールへ向かう途中に会ったライダーが、エクアドールはカルネがないとバイクの手続きが難しいと言っていた。難儀なことになりそうだ。しかし、関税の職員がTulcanの町まで着いて行ってくれるという。心強い。しかし彼にはクルマがない。そこで彼にコンピュータの入ったナップサックを背負ってもらい、一人しか座るスペースのないバイクの座席に、大人二人が座った。極めて窮屈だった。こんなの初めてだ。

実は、関税事務所は国境でなくTulcanの町にあった。国境から一緒に着いて来てくれた若い男の職員は、目当ての部屋に入ると軍隊式の敬礼をして、それから担当者に事情を説明してくれた。担当者は知的で優しそうな女性だった。僕の旅行についていろいろと聞いてから、すぐに許可をくれると言ってくれた。僕は国境で三ヶ月の入国許可をもらったので、バイクもできれば三ヶ月欲しいと言った。女性担当官は別の部屋に行った。帰ってきた彼女は15日しか出せないと言う。いくらなんでも15日は困る、せめて一ヶ月欲しいと頼んだ。彼女はすぐ僕を上司の部屋に連れていってくれ、難色を示した上司に間髪を入れず、「あなたなら、できるはずだ」と説得してくれた。それで一ヶ月の許可が出た。彼女は今までの国境で会った公務員の中で、最高に印象に残る人だった。入国すると同時に、僕はエクアドールが好きになった。

再び国境へ戻らなければいけないと思っていたバイクの許可は、ここで完了した。なんとまだ、朝の9時45分だった。そこで僕は、この日泊まる予定の、パンアメリカン・ハイウェイを南に130km離れたIbarraという町まですがすがしい気持ちでバイクを走らせた。コロンビア側の国境の町でもホテルは安くて350円だったが、Ibarraでも安く、広い駐車場があって、これまた広い綺麗な部屋で5ドルだった。ホテルを経営する老夫婦から近くにChachimbiroという温泉があると聞いた。翌日、早速バスで行った。温泉は山に囲まれた谷にあった。そこはレストラン、宿泊設備もある温泉リゾートだった。入場料は1.5ドルだ。25mプールほどの浴槽と少し小さい浴槽を持った場所が二つ隣接して建設されている。その他にも別料金だが、湯治用浴槽がいくつかある。客は僕を入れてわずか四人だった。この温泉リゾートには何人もの従業員が働いている。四人で6ドル。帰りのバスは一日一本しかない。だから今日の収益はそれだけだ。ついつい経営を心配してしまう。

Chachimbiroの温泉

Ibarraはほとんど赤道直下にある。だが赤道は、まだ100kmほど南にある。首都キトの北方20kmほどの所だ。Ibarraの町で、南の方にCayambe火山という雪を被った山が見えて驚きだった。僕は南にバイクを走らせる。Cayambe火山が近づいてくる。この山は5,790mでまさに赤道直下だ。アフリカのキリマンジャロを思い出す。キリマンジャロは標高5,895mで、南緯3度だ。両山とも赤道地帯にあって、ほぼ同じ高さだがキリマンジャロは有名で知っていたが、この山の名前は聞いたことがなかった。しかし、エクアドールには、雪を被った高い山がまだいくつもある。パンアメリカン・ハイウェーを南緯2度まで下る間に、Cotopaxi (5,897m)、エクアドール最高峰のChimborazo (6,310m), Sangay (5,336m)を見た。キリマンジャロも火山だが、これら全ても火山だ。それに二つの山はキリマンジャロよりもまだ高い。赤道直下で雪の山を見るのは不思議な感じがする。

エクアドール最高峰 Chimborazo火山(6,310m)

Ibarraの町から見たCayambe火山(5,790m)

La Mitad del Mundoの町に立つ赤道記念塔

コリオリの力を実証する実験設備。左が北半球、右が南半球。

初めて陸路で赤道を越えた。赤道直下のよく知られている大都市はケニアのナイロビ、シンガポール、それにキトしかない。キトの北、La Mitad del Mundoという小さな町に赤道博物館がいくつかある。その一つの小さな博物館では、コリオリの力を実証する実験を見せてくれた。赤道から2m北に離れた北半球では、水槽の水は半時計回りに回りながら、一方同じ2m離れた南半球では時計回りに流れ落ちた。これで赤道を実感した。しかし、何かおかしい。北太平洋の海流は、コリオリの力により時計回りに流れている。南半球では半時計回りに海流は流れているはずだ。だから太平洋の赤道付近では海流は東から西に流れる。ところが不思議なことに、そこには逆に西から東に流れる赤道反流と言われるものがあって、その流れに乗って舟で南米へ渡った人が、エジプトのピラミッドをペルーに伝えた可能性があると読んだ。ジェット気流も日本からアメリカへ流れている。僕はその小さな博物館の赤道を挟む4mで地球が見えるものと期待して行った。もちろん海の水は温かい赤道から両極に流れるので、水槽の水とは同じようにはいかないが、それにしても逆ではないか! 僕は何か釈然としない思いで博物館を出た。この博物館にはこれといって他に見るものはほとんどない。それにしては、水槽一つと水の回転を示すための葉っぱ一枚で2ドルも取るとは、いい商売を考え着い?ものだ。

赤道から南へ20km行くとキトだ。キトは植民地時代の街並みを残しているので、1978年に世界遺産に指定された。キトは標高2850mにある。コロンビアの首都ボゴタは2600mだから、ボゴタよりも高地にある。ボゴタは寒かった。それでもっと寒いと恐れていた。しかしボゴタよりもずっと暖かく、時には汗ばむほどの快適な気温だった。そしてキトは、その中心街は人やクルマで溢れていたが、美しい町だった。

首都キトのセントロ

エクアドールに入ってすぐ、物価がコロンビアよりも高いことに気が付いた。土地の人達はドルに変えてから物価が上がったと言う。ホテルはコロンビア同様安いが、日常必需品が高い。エクアドールは石油を産出するので、ガソリン代はハイオクでリッター当り60.6円で63.5円のコロンビアより安いが、食料、衣服等、輸入に頼っているので全て高い。特にレストランは高くて、キトの中華料理レストランでシュウマイ四個とビール小瓶で5.5ドル取られた時はびっくりした。これは日本の価格だ。ちなみに、このレストランでは最初、小瓶は中国の「チンタオ」と日本のビールしかないと言われ、それが全て5ドルと言われ仰天した。コロンビアには大瓶は殆どなく小瓶だったが、エクアドールは逆に小瓶がないのだ。エクアドールに入ってコーヒーはインスタント・コーヒーに変わった。それが60~110円もする。コロンビアでは本物の美味しいコーヒーが、15円~20円で飲めたのにショックだ。タバコも、コロンビアでは一箱35円~45円で買えたのに80円から100円している。エクアドールのガソリン代はコロンビアとあまり変わらず、またエクアドール北半分では、道路に30~40キロ毎の料金所があるのも似ている。だからコロンビアほどではないが、道路の状態はよい。しかし大きな違いがある。コロンビアではバイクはお金を払わず料金所の横を素通りできたが、エクアドールでは徴収するのだ。それは20セントなのでなんと言うことはないのだが、いちいちバイクを止め、手袋をはずしてお金を払うのは面倒だ。道路を走っていて、もう一つの違いに気が付いた。道路の側から目に入ってくる人たちにインディオが多くなった。コロンビアのインディオ人口は1%ほどにしか過ぎないが、エクアドールでは40%にも達している。彼等の着ている鮮やかな民族衣装を見ると、どこかグアテマラを思い出す。最後はトペスだ。グアテマラを過ぎエル・サルバドールに入るとトペスはなくなり、コロンビアまでは、コスタ・リカの道の悪さは別にして快走できた。しかし、エクアドールに入って、この道路に横たわる邪魔者が、また出現した。グアテマラもエクアドールもインディオが多い国だ。ひょっとして、この無政府的考案物はインディオによるものではないか?

キトからさらに南に130kmのBa&#241osは、黒い噴煙を巻き上げるTungurahua火山の麓にある。高さが5,016メートルあるこの山は、西から来た僕を巨大に聳える三角形で威圧した。Ba&#241os はお風呂という意味だ。そしてBa&#241osには、火山の麓に涌き出た温泉が二つある。一つは町の中心から4街区ほどの近さにあり、湯槽のすぐ横に高い滝が落ちている。もう一つの温泉は2kmほど離れた町外れにある。ここには湯温の異なる浴槽がいくつかあり、その一つは日本人が喜ぶほど湯温が高かった。今までカナダ、メキシコ、中米、コロンビアと温泉を巡ってきたが、しばらく浸かっていて汗が吹き出るほど高温の温泉は数えるほどだ。Ba&#241osの町の横を川が流れている。地図を見るとこの川の源流は、40kmほど西にある6,310mのChimborazo火山だ。Rio Pastazaと呼ばれるこの川伝いに東に向かうと、やがて川は深い谷底に落ちていく。その川に向かっていくつもの滝が落ちている。川はBa&#241osからアンデス山中を40kmほど東に流れ、アマゾンの大ジャングルに流れ落ちる。Rio Pastazaはここから南に流れてアマゾン河に合流し、赤道直下を南アメリカ大陸の西の果てから大西洋まで横断する。僕は遥か南のチリまで迂回してからRio Pastazaの流れ出る先の方に向かう。

温泉の町、Banos

屋根に観光客を満載して走るAlausiの鉄道

Ba&#241osから220kmのAlausiは、高い山に囲まれた谷にある小さな町だ。この間のツーリングは、晴天に恵まれた上に、美しい山の中を蛇行する最高のものだった。エクアドールはコロンビア同様、日本にはない山の美しさを持つ国だ。ロッキー山脈でもそうだったが、つくづくバイク旅行がいいと思った。おまけにあの頃と違って、僕にはコロンビアで待っていてくれる女性がいる。退職して旅に出たのが正解だと思った。僕は日本には帰らないと再確認した。着いたAlausiからは深い渓谷を縫う鉄道が走っている。線路は首都のキトからAlausiを通り、太平洋岸にあるエクアドール最大の都市Guayaquilまで伸びているが、屋根に観光客を満載した列車はAlausiから真っ直ぐ深い谷底に降りるとそこで引き返す。2時間の旅だ。往復切符は7.8ドルだ。この国では相当高い切符で僕にもちょっとこたえた。値段の割には、黒部のトロッコ列車に乗ったこともあってか、そんなに感動を覚えなかった。僕には、温泉に浸かっている方が性に合っているようだ。エクアドールの道はいいと思っていたが、エクアドールの真中にあるAlausiから南へ向かう道路は悪くなった。町を出たときから良くはなかったのだが、走るにしたがって、穴ぼこの数が増えてきた。そのうちダートになった。ダートのまま高い山を一つ越えた。グアテマラから大体パンアメリカン・ハイウェーを走ってきたが、ダートは初めてだ。また舗装路が現れたが、やはり穴ぼこが多く、舗装が完全になくなっているところが何ヶ所もあった。これなら面倒くさいと言わずに20セントを払いたいくらいだ。

Cuencaの大聖堂

しかし、この悪路もエクアドール第三の都市、Cuencaの手前で良くなった。やがて片道三車線の道路になった。100kmで快走していたら、道路が封鎖されていて、一車線分だけが破られている。おかしいと思いながらしばらく走ると、崖崩れがあって6車線が完全に埋まっていた。それため、迂回道路で一山超えるはめになった。今日はついていない。コロンビアを出る時には連日雨に祟られたが、エクアドールに入ってからはずっと快晴だった。きょうも朝出る時には快晴だった。それがCuencaに近づくにしたがって黒い雲が空を覆いだし、ポツポツと小雨まで落ちてきた。実は、Cuencaではきょう大きな祭りがあって、ホテルは満室、料金は値上げで来たくはなかったのだ。途中の町で泊まるつもりだった。二つ比較的大きな町があったので寄ってみたが、駐車場がない、あったホテルは高過ぎるで、仕方なく祭りのCuencaまでやって来た。エクアドールではキトを除いて、全て5ドルのホテルだったが、11ドルもした。Cuencaも古い町なのでセントロのホテルには駐車場がない。歩いて駐車場付きで5ドルのホテルを探し。そこへ移った。ホテルの前の交通量の多い道にバイクを止め、荷物を二階の部屋に運び入れ、いざバイクを駐車場に入れようとしたら駐車場はホテルの物ではなく公共駐車場で一日6.6ドルも要ることがわかった。頭に来て大きな声で文句を言ってしまった。旅に出てちょうど2年5ヵ月になるが初めてだ。また思い荷物をバイクに載せ、街のあちこちのホテルを回り、やっと大きな駐車場を持つホテルを探し当てた。ホテルは9ドルしたが、ドミトリーほどある大きな部屋でベッドが三つも置いてあり、しかも大きな窓から光が射し込む快適な部屋だった。しかし、前夜のホテルもそうだったが、このホテルでも熱いシャワーが出ると言ったのに出なかった。ボゴタほど寒くはないので何とか辛抱できたが、彼等はなぜいつも、すぐにばれる嘘をつくのだろう。Cuencaは古くて美しい町だが、ホテルに関してはいつになく腹を立てていた。ラテンアメリカに入ってから2年にもなるのに、まだラテンアメリカのリズムに慣れていない。だからスペイン語もまだちゃんとしゃべれないのだ。これでは望むラテン気質を身につけることができないと、反省する。さらに希求するのは仏陀の心境ではなかったのか。

Cuencaからペルーの国境に近いLojaまで20台ほどのバイクでツーリングした。

CuencaではBMWに乗る人と知り合った。週末に20人ほどのグループでLojaまでツーリングするので一緒に行かないか、と誘われた。Lajaは次の目的地なので、Cuencaの滞在予定を一日延ばしてツーリングに参加することにした。海外でツーリングに加わるのは初めてだ。集合は朝の7時だったので5時半に起きた。ラテンアメリカの人が20人も集まるのなら、出発はきっと一時間は遅れるだろうと思っていたら、そのとおりになった。全員オフロードの大きなバイクに乗っている。そして飛ばす。クルマをグングン抜いていく。あっという間にどん尻になった。エクアドールの道は、先にも書いたように、国の南半分で悪くなった。穴ぼこだらけの悪路を彼等は疾走する。僕もいつになくスピードを上げていたので、穴ぼこが本当に恐かった。さらに悪いことに、途中から長いダートになった。パンアメリカン・ハイウェーはエクアドールで、全くにハイウェーではなくなった。なるほど全員オフロード・バイクに乗るはずだ。Lojaから南の国境までの200kmは、良い道だった。しばらくなかった料金所が現れた。しかしどうした訳かお金を取らずに通してくれた。この国で二回目だ。中米でもそうだったが、国境付近はどの国の道路も不思議と良い。戦争に備えてのものなのだろうか。道路から見える山々は、ペルーに近づくにつれて鮮やかな木々の緑を失ってきた。エクアドールは想像していた以上に物価が高かった。コロンビア、ブラジル、ペルーといった隣の国々と比べて三倍ほど高いと言われている。この国の平均月収はいくらなのかは知らないが、それほど高くないはずだ。だから一般の人々の生活は苦しいに違いない。多分そうなのだろう。働く人たちは、特にレストランでは、コロンビアほどサービスも愛想も良くない。疲れているのか、また怒っているのかと思うことさえある。ただこの国には豊かで美しい自然があるので救われる。暑いばかりで大した自然もないのに、エクアドールよりもまだ物価が高いコスタ・リカよりもましだ。