大学内に貼られた僕のポスター
月日の経つのは速いものである。ボゴタ市の環境技術者を対象にボゴタ市と大阪市の大気汚染についてHernanと一緒にしゃべったのは、2003年7月28日だった。大阪市の大気汚染観測と防止計画策定システムを紹介した後、ボゴタ市の汚染状況と比較した。説明資料はマイクロソフトのPowerPointで作成し、写真や図を多く用いた。僕がPowerPointを使ったのはその時が初めてで勉強になった。説明は大部分僕が英語で行い、Hernanがスペイン語に通訳した。聴衆は全員出張で来ているので、途中で抜け出す人は誰もいなかった。今年になってHernanは、月一回の金曜日、土曜日と日曜日の三日間Bosque大学で勉強することになった。この国では仕事が終わってから勉強する人が多いが、彼の弟のElioも同じクラスで勉強すると聞いて驚いた。Bosque大学は私学で、医学部が中心のコロンビアでも最もレベルの高い大学の一つと言われている。Hernanは高い月謝を払って生命倫理学を勉強している。この前は大学から与えられた世界の哲学史について書かれた分厚い本を読んでいた。この4月の初め、そのBosque大学からしゃべらないかと言われた。1年8ヶ月以上前に作った資料を使った同じ内容でいいと言う。それなら準備は要らなので引き受けた。講演は4月11日の10時から12時までだった。大学はボゴタ市の北にある。大まかに言って、ボゴタ市は北が裕福で南が貧困な地域だ。僕とHernanは少し南寄りの貧困地域に住んでいて、北の大学までバスで行くのは少し不便だ。当日僕は、Hernan、Mariaとともにタクシーで大学に向かった。ボゴタ市もよく交通渋滞が起こるが、この日は渋滞がなく、思っていた時間の半分の45分で着いた。予定よりも早く着いたので、講演までは1時間20分も余裕があった。僕達三人は医学部の一室に通された。英語がしゃべれる女の秘書が、まずコーヒーを出したくれた。コロンビア人は日本人同様、英語をしゃべれる人が少ないが、さすが大学だと思った。講演は視聴覚教室で開かれることになっていた。僕は念のため、資料をコピーしたCDに加えパソコンを持参していた。資料が問題なく映写されるか、本番に備え早くテストしたかった。秘書は、システムは完璧で全く問題がないと言った。10時前になって視聴覚教室のパソコンの調子が悪くて映らないと言われた。英語の通訳も講演が始まる10時になってやっと到着した。10時の講演は20分以上遅れて始まった。公開講座で、200人ほど収容できる立派な教室は、学生を中心に半数以上の席が埋められた。僕は、まずスペイン語で自己紹介し、大学卒業後の仕事と退職後の旅についてしゃべった。そして演壇のスクリーンに向かって座り、PowerPointを操作しながら英語で説明した。通訳は女の人だった。何の打ち合わせもしていないのに立派なものだ。説明も終盤になり、大気拡散シミュレーションの計算式の説明が終わったところで後の聴衆を振りかえって見た。教授らしき人達だけを残し、ほとんどの学生の姿は消えていた。学生は自由で正直だ。
学内には僕の講演の美しいポスターが多数貼られていた。自分の名前がポスターに出たのは生まれて初めてだ。僕は秘書に頼んで一枚もらった。無償の講演だが、このポスターはそれを補って余りある。僕は大学の帰りに早速額を買った。今、ポスターは誇らしげに僕の部屋に飾られている。