中古バイクを売り、旅が終わると買い戻してくれるバイク屋を捜してくれるよう、メキシコのエスペラント本部に手紙を出した。メキシコは三回目の旅だが、今回はマヤの遺跡とカリブの珊瑚礁の海をバイクで回るのが目的だった。だから、バイクはメキシコで手に入れたかった。
返事は二か月ほど経った7月に着いた。八方手を尽くして、やっと一軒だけ見つけたという朗報だった。メキシコ人は、「アスタ マニャーナ(また、明日)」で、いい加減だと思っていたが、さすがエスペランティシトは頼りになると感謝、満足しつつ、さっそくバイク屋に手紙を書いた。一か月しても、さっぱり返事は来ない。さらに二回手紙を出した。10月になって、いよいよ心配になり今度はファックスを打った。ファックスは通信コードが違うためか、届かない。そこで電話をした。時差を忘れていたので、ガードマンらしき男が電話に出た。なかなかバイクに関する情報がつかめない。その後1週間、何回も電話をして、結局、深夜の2時にした6回目の電話でやっと店主と話ができた。バイクは2台だけあって、いずれも前傾姿勢を必要とするレース向きのバイクで、値段は70万円と40万円。この種のバイクは長時間のツーリングには疲れるのでいやだし、それに高すぎる。すぐにアメリカのバイク屋に電話をして、ロスアンゼルスとサンジェゴのバイク屋を6~7軒、紹介してもらった。2時間、方々に電話して、やっとサンジェゴのバイク屋に望むバイクがありそうだとわかった。これでマヤとカリブ海は?念、旅行先はカリフォルニア半島からメキシコシティーへ、帰りはメキシコ高原を北上するコースに急遽変更された。
12月21日、2時間遅れの飛行機でサンジェゴの空港に着くと、バイク屋のダグラスが大型のバンで迎えに来てくれていた。その日の内に、Honda Rebel-4502台を購入した。実を言うと、今回のバイク旅行には初めて相棒がいる。しかも若い女性ライダーだ。
翌朝6時に起きて、メキシコ国境の町、ティファナへ向かった。ときどき小雨の降るあいにくの天気だ。メキシコの国境周辺の町への入国は、72時間以内ならフリーパスだ。しかし、我々には車両許可証、交通保険、それに入国用のツーリストカードが必要だが、アメリカ側の国境には事務所もなければ誰もいない。そこで、バイクをアメリカ側の駐車場に置いたまま、情報を得るため歩いてメキシコに入国することにした。全てメキシコ側のティファナの町で処理できることを知って、再度アメリカに入国。今度はバイクで国境を素通りして、再びメキシコに入国。一日に同じ国に2回入国したのは初めてだ。
カリフォルニア半島は本州くらいの長さで、ティファナから真っすぐ南に1200kmに渡って棒状に細長く伸びている。この半島は、ちょうどその真ん中で、南北の2州に分けられ、経度が変わらないのに突然1時間の時差が設けられているのには戸惑った。日本の常識は世界には通用しない。南カリフォルニア州に入るとすぐビスカイノ砂漠が広がっている。何もない荒野に一本の道路が、果てしなく一直線に伸びている。やがて荒野を過ぎると、トーテンポール状のサボテンが現れる。高いものになると10m近くもある。カリフォルニア半島の南半分は全て、このようなサボテンの森だ。サボテンの列柱の谷間を縫ってRebel-450が疾走する。並列2気筒450ccのエンジンは力強い。このバイクは荒馬の如く、男性的だ。人口的なものが何もなく、荒々しい自然が支配するカリフォルニア半島には、うってつけのバイクだ。
カリフォルニア半島に限らず、メキシコはバイクのツーリングにはもってこいだ。まず、雨の心配がない。冬のメキシコで雨にあったことがない。これはバイク旅行にとっては最も重要だ。天気が良ければ視界はいいし、荷物も濡れない。スリップの心配も少ない。それよりも何よりも走っていて気分がいい。それに、メキシコは日本よりもずっと南にあるため、冬でも寒くはない。日本では初秋を走っている感じなので、ライダーにとってはむしろ最高の天候だ。
天気に続いて物価の安いのも大きな魅力だ。まず、バイクには欠かせないガソリン。日本でツーリングに出ると、近場でもガソリン代は馬鹿にならない。日本は世界でも最もガソリンの高い国の一つなのだ。しかし、メキシコは誰もが知る産油国だ。したがって、ガソリンは1リットルが30円弱で、日本の1/4以下だ。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドでは、どこでも40円くらいで安かったけれども、さらに安い。だから、いくら走ったからといってガソリン代を気にすることはない。
バイクに餌をあげたら、ライダーにも餌は必要だ。
メキシコのホテルにはパティオ(中庭)があるので、バイクはここで眠る。
心配せずともホテルも安い。1000円から2000円も出せば、高い天井に、ダブルベッド二つ、時には三つ、四つ置いた広い部屋が確保できる。もちろん熱いシャワー付きだ。メキシコのホテルは日本と違って、飛び込みでもまず間違いなく空室があるので追い返される心配はない。だから、予約みたいな邪魔臭いことは忘れて、自由気ままに旅をすればよい。「衣、食、住」の「食」と「住」が終われば、次は「衣」だ。クルマと違ってライダーの体は100%危険に曝されている。そこでライダーはすべからく、皮の鎧をまとわなければならない。メキシコの皮製品の安さは、日本の価格破壊どころではない。皮ジャン4000円、皮パン3000円、皮のロングブーツ3000円、締めて1万円で上から下まで皮で身を保護することができる。 天気がよくて物価が安いだけでは、バイク旅行にはまだ不十分だ。日本の道路のように混んでいては、ツーリングなんかは止めて家で寝ている方がましだ。でも心配無用。メキシコでは村と村の間が50kmも100kmも離れていて、信号もなければ車もない。たいてい道は真っすぐだから、時速100km以上でぶっ飛ばしても全く不安は感じない。だから計算どおりに旅が進む。 こんなふうに言うと、メキシコはライダーにとって天国のように思われるかもしれない。ところが、世の中いいことばかりではない。メキシコのツーリングにもいくつかの問題点がある。それは、メキシコの道路構造、高速道路の料金、それに警官だ。 まず、カリフォルニア半島で遭遇したのが洪水だ。もともとカリフォルニア半島には砂漠があるくらいだから、雨は少ないはずだ。だから、川がない。川がないということは橋がないということだ。そこへたまたま雨が降る。砂漠には雨の貯水庫たる木がないので、降った雨はそのまま海に向かって地表を走る。道路があってもおかまいなしだ。お陰で半島南端の町、ラパスに着くまで、6~7回も道路を横切る川を渡ることになった。
メキシコの道路は、日本のそれに比べてはるかに交通量が少ない。それに直線道路が多い。だから、ついついアクセルを開けたい衝動にかられる。日本の飛ばし屋さんだったら、おそらく時速200km以上で走るにちがいない。しかし、それは問題だ。メキシコの道路は、ひび割れ、穴ぼこが多いのだ。カリフォルニア半島で日暮れ時にホテルのない村に着いて、さらに80km走るはめになった。日がたっぷり暮れて、電灯もガードレールもない道は真っ暗だ。目を皿のようにして道路を見つめていても、道の穴ぼこを発見した時には、もう遅い。バイクは大きくジャンプし、その衝撃で左右のバックミラーが下を向いてしまう。道路の悪さはバイクの故障の原因にもなる。激しい振動のためリヤーウィンカーの止めネジがはずれて、時計の振り子のように垂れ下がり、ヘッドライトも大きく口を広げる。最後にはチェンジのシフトレバーが突然脱落して、バイクは一瞬制御不能となる。
道路の危険は穴ぼこだけではない。日本の道路と違って大自然の中を走るので、交通規則を知らない動物が、いつ何時でも交通妨害を行う。昼は牛、夜は狐が飛び出してきて、急ブレーキを踏む。小石でも危ないのに、こんな動物に当たれば一巻の終わりだ。バイクは車輪が二つしかないから、自動車と違っていつも命がけだ。
さらに、メキシコの道路にはもう一つの障害がある。交通量の少ない道路を高速で走っていて、町や村にさしかかると、必ずと言ってよいほど障害物が道路を遮る。それはトペスと呼ばれるもので、クルマの速度を落とさせるため、半円柱状のコンクリート製の丸太を道路の進行方向に垂直に横たえたものだ。バイクやクルマには迷惑極まりない物だが、歩行者には最大の味方だ。効率よりも人を大事にするメキシコ人の知恵に敬服する。ところが、メキシコシティーのような大都会では、交通を阻害するこのような邪魔物は取り外されているので、歩行者にとって道路の横断はほんとうに命がけだ。どうも都会ではどこの国でも、人間は物と見做されているようだ。
メキシコを旅するライダーにとっての2番目の問題は、有料道路だ。メキシコへ発つ前、テキサス出身のアレンが、メキシコの有料道路はガラすきだと教えてくれた。物価の安いメキシコのことだから、なるべく有料道路を使おうと思っていた。メキシコに入国してすぐに、ティファナからエンセナーダまで有料道路に乗った。200km走って200円だった。安い。ラパスからカリフォルニア湾をフェリーで渡ってからも、そのつもりで有料道路に乗った。それがなんと、テピックからガダラハラ間200kmが3000円、
メキシコ第二の街、ガダラハラにはマリアッチを演奏する広場がある。
ガダラハラの彫刻がある広場
ガダラハラからメキシコシティーまでの200kmが4000円と、日本並みの料金だ。これは2泊分、3泊分のホテル代ではないか。それ以降、有料道路は、真っ平御免と避けるようにした。バイクで旅する人間は、一般的にお金に恵まれていないものが多い。だから、ライダーにとって、この高い高速料金は無視できない問題だ。 最後の問題は、メキシコの警官だ。前にも述べたように、メキシコでは一般道路でも交通量が非常に少ないため、その気になればいくらでもスピードは出せる。ましてや高い有料道路ともなれば、ほとんどクルマはなく、そのためレース場まがいの高速でぶっ飛ばしていくクルマも多い。この国の有料道路には速度制限があるのかどうか知らないが、時々110kmとか90kmとかの標示を見かける。午後4時、ラッシュアワーまでにメキシコシティーに入りたいと、時速105kmで郊外を都心に向かっていた。その時、急に警官が道路に出てきて、両腕を広げ我々のバイクを制止した。規定速度が85kmだからスピード違反で警察に連行すると言う。それまで空は真っ青に晴れあがっていて暑いくらいだったのに、メキシコシティーに入ると急に暗雲に覆われ、小雨まで降りだした。悪名高いメキシコの警官だ。我が心も暗転した。 メキシコの警官は、クルマをとめては何かと言い掛かりをつけ、無知な旅行者からお金を巻き上げるという噂だ。ことに、言葉ができない相手だと不当な額の罰金を要求するという。その場合、すぐに賄賂を出さないと、さらに大きなイヤガラセを受けるとも聞いている。また、「男」を信条とするマチズムを傷つけるような発言をすると、それだけで牢屋にぶち込まれるとも書かれている。以前、バスで一緒だったメキシコの警官自身が、「メキシコで一番危険な人種は警官だ」と言っていたのを思い出す。
とにかく重大事だ。カリフォルニア湾を渡るフェリーで会ったメキシコの自転車野郎が言った、「警官と10分間しゃべってダメなら、10ペソ(200円)で全て解決する」と。200円とは、メキシコの警官の給料はそんなにも低いのか。生まれてこの方、賄賂は渡したことがない。気がひけるが、とにかく言われたとおりに10ペソを、スピード違反と言ってきかない警官に差し出した。すると、その若い警官は、上着の下のバッジを見せて、「俺はメキシコの警官だ!」と言ってお金を受け取らず、さらに態度を硬化させた。結局、この件は訳のわからないまま無罪放免となった。
いよいよ市内の道路に入った途端、後ろを走っていた相棒が指示器を出して、バイクを道路端に止めた。相棒の後ろにパトカーが追いている。警官が出てきて、ナンバープレートを指差し、何か言っている。登録番号の末尾の数字が「7」の車両は、今日は運転禁止になっているらしい。今度は相棒が10ペソを出したが、困ったことに、また受け取らない。賄賂の話はウソなのか。でも、またまた訳のわからないまま無罪放免となった。
やがてメキシコシティーの目抜き通りに入っていった。
メキシコシティー、ティオティワカンのピラミッド
メキシコシティー、白バイの警官
すざましい交通量だ。目指すホテルは、メキシコシティーを貫通するレフォルマ大通りとの交差点の近くだ。各交差点に掲げられている通りの名前に注意しながら走っていると、また後ろの相棒が捕まった。今度は5台もの数のハーレーの白バイがお出迎えだ。先程と同じで通行禁止番号だから、バイクは道路に止めておいて、警察まで来て罰金1万円を支払えと言う。日も暮れてきたので、とにかくまずホテルまで行ってから話をしたいと言うと、白バイで先導してやると言う。周りに人がいた方が安全だし、電話があればいろんな所に援助の連絡が取れる。さあ行こうと言うと、警官は、「私達はあなた達を扶けるのだから、あなた達も私達を扶けてほしい」と言う。賄賂の要求なのか。4000円と言った。大金だ。どうもタチの悪い警官に捕まったらしい。仕方がない。とにかくホテルまで行ってからのことだ。ところが、先頭を走る中年の警官も、相棒と一緒に走る若い警官も、ほんとうに愛想がいい。我々二人を送って行くのを、まるで楽しんでいるみたいだ。中年の警官の白バイに、時々無線が入る。そのうち、その警官は大きな交差点の中で急にバイクを止め、「緊急の仕事がはいったので送れない。あとは自分達で行?ように」と言う。ほっとしたついでに一緒に写真を撮らせてほしいと頼むと、なんと交差点の中にバイク4台を止めたまま記念撮影となった。おまけに、中年の警官はこちらの写真まで撮ってくれ、そのままUターンして街中に消えていった。 夜になってやっとホテルを捜し当てると、ホテルの前にパトカーが止まっている。そのホテルは民家のような造りで、どこが入り口なのかよくわからない。ウロウロしていると、その警官は大きな声でホテルの人を呼び出してくれた。使用人が出てきて、「部屋は満室ですが、もう一度確かめてきます」と言って門に鍵をかけ、中に入ったまま帰ってこない。先程から辛抱していた小便が、いよいよ我慢ならなくなって、警官に便所はないかと尋ねると、道路の反対側の暗い所でやれ、と言う。その警官、歩道を歩く通行人から見えないよう、恥知らずの中年ライダーをわざわざ自分の体で隠してくれた。
メキシコシティーから北へ65kmのところに、トゥーラという、古代トルテカ文明の古都がある。その少し手前の小さな町で、「トゥーラ」と書かれた矢印に従って進んでいくと、町の中心の混雑した道で立ち往生してしまった。道端の人に道を尋ねると、運悪く前が交番で、またまた警官が二人やってきた。一方通行違反だから交番まで来いと言う。これは、また難儀なことになると覚悟して追いていくと、なんのことはない、免許証を見せただけで終わった。それどころか、パトカーでトゥーラに通じる一本道まで先導すらしてくれた。
メキシコ人は心が温かい。
20年前にスペイン語の勉強を始めたのも、旅で会ったメキシコ人が好きだったからだ。今回もたくさんの親切なメキシコ人に会った。特に、メキシコシティーのレストランで知り合った母子の親切は忘れられない。「メキシコのほんとうの夜を見せてあげましょう」と、外国人旅行者が一人で行けば絶対に危険だと言われる繁華街にあるナイトクラブに招待してくれ、次の日には自分達の勤めるレストランでご馳走してくれた。こんないい人ばかりなのに、なぜかメキシコには泥棒が多いとか、悪徳警官が旅行者に賄賂をせがむとかいう悪い評判が流布している。このことは皆無ではないにしても、少し誇張され過ぎだと思う。メキシコでは自然も、人間の管理から自由なままだ。そのため、メキシコは、工業社会ないしは管理社会からきた旅行者にとって、決して安全な国ではないのだ。人間によって造られた道路だって、人間によって完全には管理されていないのだ。この国では、社会が約束する安全というものを信じてはならない。基本的に、安全は社会から無条件に与えられるものではなく、個人の責任で手に入れるものだ、という考えを日本人は忘れている。実は、日本人は社会から与えられる安全と引き換えに、自らの自?を売り渡しているではないか。 メキシコ人は、自分達の国を自由な国だと誇る。彼ら一人ひとりに、人生を自由に生きているという確信があるからだ。彼らは仕事よりも愛を優先する。組織よりも個人を優先する。彼らは、ルールは全体のためではなく個人のためにつくられるべきだ、と考えているのか。メキシコでは、警官であっても決してルールに縛られない。ルールを決めるのは法律ではなく、我々個人なのだ。メキシコの警官は、時として、賄賂を取っては法律を守らないかもしれない。そうでなければ、交通違反者を自分だけの判断で勝手に解放する。無政府的ではないか。危険ではないか。でも、人間的ではないか。俺はこんなメキシコの警官が好きだ。
メキシコシティーの親切な母と息子