港の沖合い25キロには、世界でも有数のダイビング・スポットとして知られるプアーナイト島がある。 オークランドで買ったバイク、「ヤマハ SR-250」に運ばれて、大木カウリの森、ニュージーランド最北端の灯台、丘の上にある温泉と、既に1500キロの距離を旅していた。ツーリングに出て6日目だった。 ニュージーランド人は、たいへん親切で優しい。二日前は温泉であった年配の農夫が彼の農場へ招待してくれたし、前日はというと魚釣りクルーザーの船主がキャビンに泊めてくれたのだ。 ニュージーランドの道は、交通量も信号も少ないので、たいへん走りやすい。「ほんまに最高のツーリングやなアー!」 その日は、あの美しい海が待っていたのだ。 プアーナイト島の海は深くて暗い。
YAMAHA SR-250
ニュージーランド最北の岬
魚群は、海中に光輝く青色の川となって泳ぐ。この島では、キングフィッシュ、鯛、それに名前は知らないがピンク色の魚以外は漁を禁止されている。ニュージーランドにおける自然保護は厳しいのだ。密漁すると監獄行きになる。青色の魚の川に混ざって泳ぐピンクの魚を追って、ヤスを片手に潜る。海水は凍りつくほど冷たい。今年、ニュージーランドは異常な冷夏に見舞われているのだ。でも、魚を追ってどんどん深度を下げる。その時だ、右の耳に変な音がしたのは。鼓膜が破れてしまったのだ! クルーザーは夕刻になって港に戻った。聖なる夜に温泉に入るべく、ワンガレイに向けて走っていた。緩やかに起伏する牧草地を縫ってのツーリングは快適だった。やがて丘を巻く曲がり道にさしかかった。ブラインド・コーナーだ。左にハンドルを切った途端のことだ、赤いクルマが、前方100メートルばかりの所に、こちらに向かって突進してくるではないか! 最短のラインを取って運転しているのだと思った。しかし...ドライバーは手前のコーナーでクルマの制御を失っていたのだ。これはヤバイと、道路端の方向、左にバイクを向けた。ところが! 彼も同じ方向へハンドルを切ってくるではないか!!「オイオイ、何しとんねん!」 その瞬間、わが身はスーパーマンの如くクルマの上を飛び越えていった。
意識が戻ったら、何人もの顔が見下ろしている。ヘミングウェイに似たレイという名の老人がいくつか質問してきた。
反対に尋ね返した、「何が起こったんですか?... 交通事故ですって!」 バイクはグシャグシャになっている。赤いクルマの損傷もひどい。しかしながら、幸運にも俺はまだ生きている。そして、まだ歩くこともできる。その若いドライバーに向かって言った、「こちらは大丈夫ですが、そちらはどうですか?」 クルマは堅い鎧だ。その鎧に守られて、彼は無傷だった。しばらくすると若い女医、パトカー、レッカー車、救急車がやってきた。交通量の少ない丘の道に大勢の人が集まってきた。 美人の女医に診療所に連れて行かれた。目撃者のレイは、彼の息子と一緒についてきてくれた。レイは、回復するまで家に泊めましょうと女医に言ってくれた。患者には傷もなく骨も折れていないので、女医は彼の申し出を認めてくれた。
その後、レイは、食事の世話、洗濯、パパクラに住むニュージーランドの友人達への電話連絡、事故のドライバーや保険会社との折衝、破損したバイクの処置、事故の証言書の作成、警察への書類手続きの確認、それに夜中の看護に及ぶまで、まるで自分の息子のように、十分すぎるほど面倒をみてくれた。集中治療室の患者並みの扱いをしてもらったのだ。 そのドライバーはレイのところに2回電話してきて、その内1回は彼と話すことになった。彼は、「どんな具合ですか」とは尋ねたが、「すみませんでした」とは言わなかった。これは文化の違いのためなのか? 一年間は免停だと聞いた。気の毒だと思う。 結局、レイの家には彼の息子三人と一緒に5日間泊めてもらった。最後の日、息子の一人はパパクラまでクルマで送ってくれた。 今年のクリスマスは耳と肩の痛みをプレゼントしてくれたが、そのお返しとして、ニュージーランドの人々からの心からの友情をプレゼントしてくれた。あの農夫、クルーザーの船主、それにレイとその息子達... 日本人である我々は、海外の旅行者を彼らのように迎える美しい心を、まだ持っているだろうか。日本人は確かに、日本こそ世界中で一番裕福な国だという幻想を持っている。ニュージーランドの経済は危機的状況にある。1987年の統計によると、ニュージーランドの人口1人当たりのGNPは日本の三分の一だ。しかしながら、この国の生活水準は、疑いなく日本以上だ。ニュージーランドはほんとうに豊かである。その自然、それに国民と彼らの生活は、美しさに輝いている。
ニュージーランドの牧場。この写真を撮るために急ブレーキを踏み、第一回目の転倒をして手の平の皮膚が舌を出したようにめくれた。