ドラッグ
ガラパニ峠の頂上で右にアンナプルナ、左手後方にダウラギリ峰を眺めながら最高の気分で朝の排便を終えた私は、チベットに向けて山を下っていた。途中でオーストラリアから来た若い女性二人とトレッキングが一緒になって、その日は谷底にある山小屋に宿を取った。
夕食後、デザートにマリファナが出された。やがて、一日一緒に山を歩いてきたオーストラリアの女性と山小屋に長期逗留している日本の青年との間で会話が始まった。オーストラリアの女性は英語、日本人の彼は日本語である。驚いたことに言葉が違うのに完全に意志の疎通がなされているのだった。
人間の脳には約140億個の脳細胞があって、それはダーウィンによれば、生命が生まれたときの古いものまで保存されているそうだ。140億個といえば、数の上では宇宙誕生から毎年1個、地球誕生から毎年3個の脳細胞が積み上げられた計算になり、まさに宇宙的に膨大な数だ。もちろん、地球に生命が誕生したのはずっと後のことだが、それでも人間の脳には魚の脳細胞も、鳥の脳細胞も残されている。そして我々は通常、140億個の脳細胞の数パーセントの新しい部分だけしか使わずに生きているのだ。どうもドラッグにはこうした古い脳細胞を刺激し、甦らせる作用があるようだ。だから自分が魚になったり、鳥になったりできるのだ。普段は見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえる。体は地球の自転によりねじれ、天井まで飛び上がってしまう。とんでもない発想も浮かんでくる。我々の脳は自分が考えているよりもずっと偉大なのだ。昔、人類史に偉大な業績を残した科学者の多くは、こうした効果を引き出すのにドラッグではなくスピロヘータを選択した。そのため彼らの多くは脳梅毒で若死にしているのだ。
「目は口ほどにものを言い」と言われる。目は体の表面に露出した唯一の脳器官なのだ。我々が何かものを言うときには、脳細胞のどこかで化学反応かなんかの反応が起こり、それがある制御のもとに喉の声帯を振動させ、次に空気を震わせ、それが相手の鼓膜に伝わる。空気がなければ不可能な原始的方法なのだ。目が脳の一部であるなら、脳の最初の反応を直接目から読みとれても不思議はない。言葉の語源は「事の端」であり、現実の一部しか伝える力のないことは昔から知られていた。それは言葉で、美人を見たとおり正確に他人に伝えることは不可能なことからも明らかだ。ドラッグの力を借りると意志や感情伝達の直接的通信チャンネルが開かれ、言葉は不要になる。これは多くの人が体験済みだ。
多くの可能性を秘める我々の脳だが、数パーセントでなく、もっと全面的に活用できれば素晴らしいと思う。ドラッグやスピロヘータのような危険なものでなく、もっと安全に全脳細胞を制御できる方法があれば良いと思う。そうなれば、もっとすごい科学的発見も生まれるかもしれないし、全人類が、争いによらず平和に暮らしていける社会システムすら考え出されるかもしれない。また、言葉の問題にしても。英語だ、いやエスペラントだという必要はない。宗教の偉大な求道者は、その方法を既に見つけだしているのかもしれない。しかし、我々凡人にはそれができない。簡単に、かつ安全にそんな効果を生み出すタバコのようなものはないのか。マリファナだと言う人がいる。でも問題は、マリファナは脳を暴走させて制御不能にしてしまうのだ。