BMW R110R
8年前に台湾の蘭輿島でスクータに乗ってしまったばっかりにバイクにはまってしまった。帰国したらすぐバイクの教習所に走った。免許証を取って約2ヶ月後、ニュージーランドをバイク旅行した。ツーリング5日目にクルマと正面衝突したが運良く生きていたので、翌年ニュージーランドを再訪し、バイク一周の旅を終えた。その後アメリカ、オーストラリア、メキシコ、ベトナムをツーリングしたが、今ではバイクは欠かせない旅の相棒となった。 バイクの旅行は自由だ。バス停の場所と発車時刻を確認する必要もなく、座席の予約も不要だ。重い荷物もバイクが運んでくれる。駐車場の心配もいらない。燃費もクルマと比べて問題にならないほど良いから、若者などの貧乏旅行者にとってはある程度お金からも自由になれる。私がツーリングした国々のガソリンは1リットル当たり30~40円だから、1リットルで30km走るとして、1kmの旅費が1円となる。これは、燃料費だけで考えると乗り合いバスより安いことになる。そして、燃費が良いということは環境に優しいということだ。バイクが優しいのは環境に対してだけではない。テントを張ればバイクはテントの門番だ。さすがにテントの中で添い寝するわけにはいかないが、その美しい機能美はある意味の恋人だ。そして翌朝、一度エンジンに火が入ると山奥の秘湯へも、海岸の岩場へも運んでくれる。人間が歩ける道さえあればどこでも問題はない。 長期間の旅行となると、時としてバイクも病気になる。これが人家のまばらな外国で起こるとなると命取りにもなりかねない。ライダーはバイクの恋人であると同時に医者でなくてはならないのだ。免許証を取ってからもう8年もバイク修理の見習いをしている。バイクの前には放置自転車の再生をしていたが、その技術はバイクには無力だ。とにかくバイクは産業革命後の技術の粋を集めて造られている高度な乗り物なのだ。私は大学で工学を専攻したが、そんな知識は全く役に立たない。そんなペラペラの知識ではバイクは走らないし、修理もできない。お陰で少しばかりは工学が勉強できた。
それなのに野蛮なこの国では、バイクは悪の象徴のように忌み嫌われ、ライダーには「不良」の烙印が押されている。学校でもバイク通学禁止のところがほとんどだ。これは危険だと言って生徒から鉛筆削り取り上げるのと一緒だ。責任逃れをせず、学問でも何でも、正しい使い方を教えるのが学校の本来の姿ではないのか。日本の学校に哲学は望まないとしても、実感のない字や絵が書かれた教科書でなく、たとえばバイクを生徒の目の前に置いて授業はできないものか。物理、化学、数学、それに整備マニュアルを出せば国語や英語も教えられる筈だ。まあいい、神戸の震災で若者のバイク・ボランティア部隊が大活躍したことを思い出してほしい。
今年の冬は南インドをバイクで走るつもりだ。海外バイクツーリングで一番問題なのはバイクの手配だ。私の場合はわずか1ヶ月の旅行なので、現地で中古バイクを買うことにしている。買ったバイクは、旅が終わると邪魔になるので売り飛ばしたい。そんなバイク屋を日本で見つけるのは至難の業だ。どうしても行き先の国の友人に頼ることになる。今まではそうしてきた。ただメキシコには友人がいなかったので、メキシコのエスペラント本部に手紙を書いて助けを求めた。結局その情報は、メキシコの中古バイクは高すぎるということで私の役には立たなかったけれども、メキシコのエスペランティストが払ってくれた努力には大いに感謝している。私にはエスペラントを通じて世界中の国でバイクを手配できるという自負がある。この点で、私は他のライダーとは違った特別なライダーなのだ。