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健康のため高度を下げる

2001年6月4日に日本を出てから7年余り経ちました。アメリカ大陸を一周してコロンビアに戻って来たのが、2004年9月18日ですから、もう4年近くになります。2005年12月9日にはMariaと結婚しました。最初の二年近くの2006年7月21日までは、首都ボゴタの空港の横にある友達のHernan Patinoの家に住んでいました。それからエル・ドラード(黄金郷)の近くにあるGuatavitaという高度2700mの村に2年ほど住んでいましたが、動脈硬化症になり、医者が低い土地で暮らす方が良いというので、今年の5月4日にボゴタの南にある高度1600mのフサガスガという町に引越ししてきました。ここは一年中初夏の気候です。ボゴタまではバスで1時間半から2時間ほどかかりますが、人口は12~13万人もあってGuatavitaよりはずっと大きな町なので、医者もあり、そう日本のお米はボゴタまで買いに行く必要がありますが、その他は醤油から魚まで大体手に入ります。

去年の6月の10日頃、夜ベッドに入ってから頭が痛みました。この頃の3~4日の日記は文字が無茶苦茶乱れていて、ほとんど読めません。動脈硬化症にはこの時になったと思います。それから約3ヶ月経った9月4日、左足の親指の爪が痛んだので医者へ行き1/3ほど切断してもらいました。ところが爪が生えてこないのです。病院で検査をしてもらったら足の血管がほぼ詰まりかけていると言われました。医者と相談して薬で治すことにしました。この薬は保険が利かず、一月4,000円くらい掛かります。給料の高い日本では大した金額ではありませんが、月の最低賃金が2,3万円のこの国ではかなりの金額です。日本大使館の日本人医師にも診てもらいました。二年後に再度レントゲンを取って調べるように言われましたが、多分、死ぬまで直らないと思います。

フサの家の玄関(左側に駐車場を造った)。

この町の近くで家を探していた今年の2月末、たまたま入ったコーヒー店で東洋人に会いました。東洋人はこんな田舎の町では珍しいので、僕の方から話しかけました。なんと日本人でした。Aさんといって64才の男性で、日本を出てもう30年以上も経つそうです。彼に、フサガスガに住むもう一人の日本人男性を紹介してもらいました。Kさんという男性で、日本を出て14年間コロンビアで暮らしているそうです。Aさんはマツダのクルマを持っていて、毎日ほど僕の家に遊びに来ます。僕は動脈硬化でスペイン語も忘れてしまったので、Aさんと日本語でしゃべるのが最近の楽しみになっています。一週間ほど前に、ボゴタに住んでいる日本人で以前一度お会いしたことのある、やはり男性からメールが届き、早速電話してしゃべりました。また次の日に、日本人の若い女性からメールがありました。1年ちょっと前にボゴタで会った青年海外協力隊員の方で、こちらで知り合った男性と結婚するため2週間ほど前にコロンビアに戻ってきたらしいのです。彼女ともそのうちに会うつもりですので、日本人の和が広がりつつあります。

家の東側。右隣は空家で家が建っていない。

今年の1月に皆様のお送りしたメールに書いていたFusagasugaの家は買わずに、同じ団地に建つ1,200万円くらいの家に5月4日に引越ししました。家は築3年ほどの古い家ですが、家の前にはプールがあります。敷地が630㎡の家で2階建てです。2階に部屋が3つあるだけの小さな家ですが、二人だけで住んでいるので、多くなければ客がきても泊まってもらうことができます。こちらの家には便所が多くて、こんな小さな家でも3つあります。そしてシャワーも3つありますが、お風呂がありません。こちらの家では普通はシャワーだけで風呂はありません。それで今、一階に風呂を造っています。風呂が終わると、雨が降ると庭に水が溜まるので、排水工事をするつもりです。それが終わると、ボゴタに住む日本人画家に頼んで、庭を日本庭園に変えてもらおうと思っています。平日はほとんど毎日、Fusaに住むにAさんが遊びに来るし、週末にはボゴタから誰かがやってくるので結構忙しい日々を送っています。お陰で、たくさん買い寄せた日本語の本も置いたままで読む時間がありません。まあ、ゆっくりやります。

家の玄関の前にプールがある。ボゴタの人はみんな泳いでいるが、僕には気温が低いのでまだ一度もプールに入っていない。