若いつもりでいたが、いつの間にか50才になってしまった。老眼も進んできて、いよいよ本が読みづらくなってきた。50才になったら仕事を辞めて、5年間バイクで世界中を走り回ろうと夢を描いていたが、知らない間に55才の年金支給が64才に延長されていた。国家的契約違反だ。このままだと70才にまで延ばされそうだ。その時には、もうバイクには乗れないのではないかと心配している。
20年後はどうなっているのだろうか。もう20年も前のことだが、年金や退職金の係りの仕事をしていた人が、我々が退職する頃にはどう計算しても退職金は出せない、と言っていたのを思い出す。では、年金はどうか。年々その額が少なくなって、20年後には最低レベルの生活もできないのではないか、家賃すら払えないのではないかと不安である。
それよりももっと危惧するのは、年金どころか日本経済そのものが崩壊してしまうのではないかということである。この国で現在起こっている政治の貧困と腐敗、若者の無気力と無能を思うと、今の不況が最終通告でないとしても、終局は団塊の世代である我々が年金生活に入る頃にやってくるのではないか。よく言われるように、日本は人的資源だけの国だ。それがダメとなると致命的だ。それに世界の動きは、国境を越えた経済の下でとてつもなく急だ。アジアの経済が一日で崩れ去ったように、日本の経済もアッという間に潰れるかもしれない。
現に世界には、家もなく食事も満足にとれない貧困な国が多数ある。日本だけが例外であるはずがない。戦争で生き残った両親の世代は、日本の復興のため必死で働いてきた。今よりも平均学歴は低かったが、知恵を使い創意工夫をして、西洋のコピーと言われても、廉価で高品位の日本製品を送り出してきた。我々戦後ベビーブームの世代の多くは理工系学部に進み、彼らの下でこれまた必死で働かされた。私と同じ世代で民間会社に就職した人達にとって、一ヶ月の残業時間が200時間というのはザラだった。一ヶ月を25日としても毎日8時間も余分に働いていたことになる。これは一日8時間の中で通勤し、風呂に入り、ご飯を食べ、寝ることを意味する。まともな人間の住む国が、こんな気狂いじみた国民に勝てるはずがない。その結果、日本は世界一の金持ちになった。
しかし、クルマは手に入ったが、生活が良くなったという実感はない。そのうえ、死ぬ直前まで働かされて、満足な年金すらもらえないとなると、牙を抜かれたこの世代が60年代の学生運動を思いだし、もう一度ゲバ棒を持って国会を取り囲むことになるかもしれない。いくら屈強で残忍な機動隊だって、死にかけの老人達には無茶はしないだろうが、デモ中にバタバタ倒れる人間が続出して、東京は救急車が足りない、病院が足りないの大パニックになることだろう。
私は、その前にどこかお金のあまりかからない所に移り住もうと思っている。日本の過疎地に行くか、物価の安い外国に行くかのどちらかである。都会から、または国家から捨てられるのである。
そうなれば、ずっと自由になる時間がもてるはずだ。バイクももっといじれる。言葉の勉強には底がないほど多くの時間がかかるから、暇を持て余すと言うことはないだろう。エスペラントも本格的に勉強しよう。外国に捨てられた場合には、まずその土地のエスペラント会に入ろう。私は旅行しかしたことがないのでよくわからないが、外国に住んでも本当に親しい友人は、すぐにはできないかもしれない。しかし、エスペラントでは世界中に、まだ会っていない友人が待ってくれているはずだ。また、コンピュータ通信があるから、世界のどこにいても日本とはその場で通信できる。新しい土地での経験も書いて送れるだろう。私は一人ではない。