「ヒンドゥー教の法話バーガヴァタ・カター-ヴリンダーヴァンのチャイタニヤ派ゴースワーミー師の事例から-」
澤田 彰宏 客員研究員
「ヒンドゥー教の法話バーガヴァタ・カター-ヴリンダーヴァンのチャイタニヤ派ゴースワーミー師の事例から-」
澤田 彰宏 客員研究員
本発表では、北インドのヒンドゥー教クリシュナ神の聖地ヴリンダーヴァンVrindāvanaに所在するラーダーラマンRādhāramaṇa寺院(以下R寺院)のブラーフマン(バラモン)司祭であるゴースワーミー師(以下G師)によるバーガヴァタ・カターBhāgavata kathā(以下BK)の事例(2019年8月と2023年2月に同地で調査実施)を中心にして、このカターの社会的側面と意義を明らかにすることを目的とする。
インド文化においてカター kathāという語は「話、説話、伝説」などの意味の他、宗教的な語り物(縁起譚)を人々に聞かせるある種の儀礼・行事(=法話、講話)をも指す。後者には取材するサンスクリット語文献に応じて各種のカターがある。バーガヴァタ・カターは『バーガヴァタ・プラーナ』に基づく。各種のカターでは楽器の伴奏が必ずあり、語り手の歌唱もたびたび入る。BKは連続7日間で行われるが、時間帯は午前中にその日のカターが始まり、昼に休憩を挟んで午後は夕方・夜まで続く。決まった制限時間があるわけではないので、ほぼ1日中となることも珍しくない。
R寺院のG師によるBKはクリシュナ神信仰の聴衆への教化となるが、カターは同時に聴衆にとっては宗教的なライヴでありエンターテイメントでもある。その内容以外にも、抑揚をつけた語りと音楽という聴衆に直接訴えかけるものが魅力的であれば、それだけそのG師のカターは評判を呼び人気が出る。その結果、さらに語り手のG師の弟子となる人々、または弟子にはならずとも支援する人々が増えることになる。これらの人々、特に弟子は定期的にG師に高額のダーン(dāna、布施)をする存在でもある。
R寺院のG師たちのカターは現在、その主催者の求めに応じてインドの国内外で催されているが、語り手のG師にとっては各地に住む弟子との交流の機会であり、また新たな弟子を増やす機会、そして寺院外からの収入を得るための重要な機会でもある。なぜならG師のR寺院の司祭としての収入は輪番の儀礼担当のときに得られる参拝者からのダーンのみで、現在は約2年半に一度のおよそ1~2週間の期間であるため、個人の寺院や不動産などの財産を持たないゴースワーミー師にとって儀礼担当以外の期間は、師弟の関係を結んでいる信徒からのダーンが収入として非常に重要だと考えられるからである。
ヒンドゥー教寺院での神像への儀礼職を担うブラーフマン司祭だが、寺院外でこのようなカターという機会において結ばれ更新される師と弟子という関係が存在し、それが司祭の生活を支える重要なものとなっているのである。
現在のカターのあり方は、かつての対面で長時間の催しというものから、不特定多数の人々がインターネットを通して見るものという要素も加わってきていて、これはインド社会におけるマルチメディア化が進む現在、さらに今後進行していくと思われる。