ヒンドゥー教における女神信仰の展開
―聖地カーマーキヤーの縁起譚を中心にして―
宮本 久義 客員研究員
インド北東部のアッサム州に、多くのヒンドゥー教徒の巡礼者を集める霊山ニーラーチャラがある。その中心寺院の御本尊であり寺院名でもあるカーマーキヤー(Kāmākhyā)はシヴァ神妃の別名の一つであるが、インドに五十一か所ある「女神の座」の筆頭であり、女神の女性器を御本尊とするなど極めて特異な聖地である。昨年度、この聖地の縁起譚を『カーリカー・プラーナ』から試訳したので(「『カーリカー・プラーナ』におけるカーマーキヤー縁起譚」『東洋学研究』六十号)、本発表ではそれをもとにこの女神の性質の一端を検討した。
最初に、ヒンドゥー教おける神崇拝の変遷をインダス文明から概観した。特に男性神中心のヴェーダ時代を経て、ヒンドゥー教が形成される時期に、主要な男性神が配偶者と組み合わさって崇拝されるようになり、さらに八世紀頃に編纂された『デーヴィー・マーハートミヤ』(作者不詳)で、女神信仰(特にドゥルガー女神)が、シヴァ神信仰、ヴィシュヌ神信仰と並んで三大信仰潮流になるまでを解説した。
またそれと並行して「プラーナ聖典」などで語られるサティー女神の神話が示唆する問題点を指摘した。すなわち、アーリヤ人たちが持つブラフマー神に代表されるバラモン教的信仰と、シヴァ神に代表される民間信仰の確執である。神話によれば、シヴァ神の最初の妃サティーは自分の父親ダクシャがシヴァ神を冷遇したので、焼身自殺を遂げる。シヴァ神は悲しみのあまりその屍体を肩に担いで放浪する。すると世界が揺れ壊れそうになったので、ほかの神によって切り刻まれ、体が落ちた場所が五十一の「女神の座」(śaktipīṭha、śāktapīṭha)となった。
以上を踏まえて、『カーリカー・プラーナ』第六十二章のカーマーキヤー女神の縁起譚のなかで、女神の特徴がよく表れている箇所を見ていった。最大の特徴は、アスラの兄弟マドゥとカイタバの誕生と死のエピソードが語られる際に、カーマーキヤー女神こそが世界の創造神であることが強調されている点である。彼女だけが全世界の根源(プラクリティ・根本原質)であり、そこからブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァに支えられて、彼女は世界の生みの母になった、と描写される。これは『デーヴィー・マーハートミヤ』第一章におけるドゥルガー女神の描写に似ていて、『カーリカー・プラーナ』ではドゥルガー女神がカーマーキヤー女神に置き換えられていることがわかる。
最後に、二〇十一年三月に現地調査をしたときの写真をパワポで示しつつ、今ではインドでもたいへんめずらしくなった水牛やハトなど動物供儀の様子を解説した。