井上円了の明治25年冬期巡講について
~播磨・備前・安芸・周防・長門~
出野 尚紀 客員研究員
井上円了の明治25年冬期巡講について
~播磨・備前・安芸・周防・長門~
出野 尚紀 客員研究員
哲学館館主・井上円了は、明治25年(1892)に、哲学などの学術演説と哲学館拡張の寄付金募集のため、5度の巡回講演をおこなった。冬期は1月21日から3月6日まで46日間で、兵庫県、岡山県、広島県、山口県、広島県で講演し、京都を経由して帰京した。この巡講の記録は、「館主山陽道巡回日記」として、『哲学館講義録』第5学年度14号・16号・17号・18号に分けて掲載された。
巡講の予告は、①明治25年1月15日発行の『哲学館講義録』第5学年度第8号、②32月15日発行の『哲学館講義録』第5学年度第11号、③25年2月20日発行の『天測』第4編第8号に記されている。山口県内巡講について、①と③は「防長二州巡回」となっているだけで、②は詳細に日にちと各講演場所が記されているが、山口県に着くまでの講演場所は記されていない。②でも2月25日以降が実際と異なっている。編集元へは発行日とは異なり、①、③、②の順に渡った。また、出発の直前まで、場合によっては講演の直前まで、講演地を確定させずに臨機応変に対応していたといえる。
この巡講には、120人の協力者・面会者の名前が記されている。兵庫県10人、岡山県8人、広島県36、山口県66人である。職業が判明する人たちは、僧職34人、官人12人、教員12人、経済人11人、軍人6人、医師1人、議員1人という77人である。訪問地の有力者と見られる。僧職のうち、広島県と山口県で宗派が分かる人はすべて浄土真宗本願寺派である。哲学館への寄付者は、館賓7名、館友10人で、創立員10人である。他に、山口師範学校、山口中学校、法城青年義会、徳山中学校といった団体名での寄付も見られる。講演会の会場となったところは、寺院が25会場、学校が6会場、軍関係施設と劇場が2会場、地方自治体施設、旅館、私宅が1会場ずつ、不明が1会場の39会場である。1会場を除き、寺院は本願寺派寺院である。
この講演の特徴は、それまで見られなかった陸軍施設での講演があること。そして、会場の多くが本願寺派寺院であり、開会場所を提供した住職その他の本願寺派僧侶の名前が多く見られることである。円了は、哲学館創設時から円了は大谷派一派に頼るのではなく、広く仏教各宗派の援助を求めようとしていたことから、本願寺派にも援助を求めたと考えられる。本願寺派に援助を求めるとしてもっとも軋轢を生まない土地が、大谷派寺院がない山口県であった。それまでは、勝海舟や大谷派との縁により講演地を定めることが多くみられた。しかし、大きな違いとして、この巡講は、島地黙雷など本願寺派との、あるいは、石黒忠悳など陸軍関係者との縁により講演地を定めたことがいえる。