経典の目的とは何か?
世親の『経典解釈方法論(『釈軌論』)』より
堀内 俊郎 研究員
経典の目的とは何か?
世親の『経典解釈方法論(『釈軌論』)』より
堀内 俊郎 研究員
世親(ヴァスバンドゥ、インド、350-430年頃)の『経典解釈方法論(『釈軌論』)』に対しては、近年研究が徐々に蓄積されつつある。しかし、チベット語訳の難解さゆえに、その論旨や内容が必ずしも正確に理解されていない部分もある。そこで、本発表では、世親の経典解釈法の大枠を概観した上で、経典の「目的」についての新たに発見された関連議論を提示することによって当該議論を読み直し、経典や釈尊の説法に対する世親の理解の一端を解明しようと試みた。
同論のある一節では、ブッダ(世尊)はなぜ同義語を説いたのかということが議論されている。経典ではしばしば同義語での説法が見られるが、同義語でもって同じ内容を説くことは無意味なのではないかという反論があるからである。世親はそれには8つの目的があるとする。本発表では『決定義経注』や『縁起経釈論』やその注釈での関連議論を網羅的に参照することによって、その8つの目的の構造を明らかにした。同じ意味を持つ単語A、単語B、単語Cなどというモデルを使ってその議論を説明すると、世親が同義語ABCなどを用いて説法した8つの目的は、次のように体系的に理解できる。
(1)Aで理解できない人は、同義語のB、Cなどで理解できる。(2)世尊がAを説いたときに気を取られて聞こえなかった人は、B、Cなどの同義語で理解できる。(3)理解の遅い人は、B、Cなどの同義語によって、Aの意味を忘れない。(4)多義語のAの意味を、B、Cなどを使って一義的に固定する。(5)さもなくば、同義語B、Cなどを列挙することによって、多義語Aの意味を明確にする。(6)説教者の語彙を豊かにすることで、説教者の説教に役立つようにする。(7)世尊自身が法に関する自在な知識(法無礙解)を持っていることを示す(そして、そうすることで、聴衆が世尊を尊敬し、その教えに熱心に耳を傾けるようにする)。(8) 聴衆がダルマの説法者になった時、同義語で説法することができるように、また/あるいは将来に法に関する自在な知識を得ることができるように。
このようにして、世尊の言葉に対する世親の考え方の一端が明らかになった。世尊はあらゆる状況に置かれることが予想される聴衆のために、同義語を使って説法したのであり、この8つの目的自体も整然としたものであり重複や無意味な繰り返しはない。詳細や関連議論は以下の論文を参照されたい。Horiuchi Toshio “What are the “Purposes” of Buddhist Sūtras? From Vasubandhu’s Logic of Exegesis (Vyākhyāyukti).” Journal of Indian Philosophy 51, 539–566 (2023)https://doi.org/10.1007/s10781-023-09542-8