井上円了の仏教改良と修身教会運動
長谷川琢哉(東洋大学井上円了哲学センター研究助手)
井上円了の思想と行動の全体は、主に哲学館を中心とする学校教育に軸を置いた前半期と、「修身教会運動」(後に「国民道徳普及会」に改称)に軸を置いた後半期に分けることができる。円了の前半期から後半期への展開については「哲学の普及から社会的実践」への移行としてしばしば説明されるが、本発表ではこれについて、円了がごく若い頃から晩年まで維持していた「仏教改良」への志向を手がかりについて考える。とくに本発表が注目するのは、円了が修身教会運動を始める直前の明治30年代中頃に精力的に発表していた仏教改良・宗教改良をめぐる論説である。
明治30年代初頭には、条約改正を機に内地雑居や宗教法案問題が浮上し、仏教界を揺るがす事件や問題が次々と起こっていた。一連の問題の根幹には、仏教がキリスト教と並ぶ諸宗教の一つとして扱われることへの仏教界の危機感があった。円了もこの時期に仏教公認教についての論説を繰り返し発表しているが、ただ他の論者たちとの際立った違いもあった。多くの論者は現存の仏教宗派を公認教に認定すべきと主張したが、円了は政府が公認するかわりに仏教各宗派に改良を促すよう干渉すべきだと主張していた。
明治35年に発表された円了の『宗教改革案』では、仏教各宗の改良を行うには「政府の規定」が不可欠であるとして、住職の資格についての規定案とともに、「各寺院教会は毎週一回必ず教会を開きて教導の実を挙げしむる」よう政府が促すべきであるとする提案がなされている。これは日曜学校をモデルとした修身教会運動を先取りするアイデアでもあった。各本山に自発的な改良は期待できないため、政府が積極的に介入して仏教界全体を改良しようというのがこの時期の円了の主張であった。
しかしながら、この改良案は哲学館事件を機に修正されたと考えることができる。海外視察中でロンドンに滞在中であった円了は、明治36年1月30日に哲学館事件の報せを受け、その後バルレ―村の日曜学校を参考に修身教会を構想する。それは葬祭くらいでしか利用されない各地方の仏教寺院を改良し、一般に向けた道徳教育を行う場として活用することを主眼としたものだった。この際注目すべきは、修身教会運動においては政府の介入という改良案が退けられ、むしろ修身教会という実践を通して寺院・僧侶を直接改良するという方針が取られたことである。
このように見るならば、円了が行った修身教会運動は、哲学館事件を契機に構想された、政府から独立した仏教改良の直接的実践でもあったと考えることができるだろう。
井上円了の仏教観とその影響 ―霊魂不滅論と無我説を中心に―
水谷香奈(東洋学研究所客員研究員)
井上円了(1858-1919)は仏教をはじめとした東洋思想を、実証的な科学と並ぶ近代に対応可能な哲学として再構築することを目指しているが、実は最初期の著作である『仏教活論序説』(1887年)の時点から、輪廻説に対して肯定的な解釈を示している。その理論的な背景も含めて、人間存在と世界(宇宙)との関係について体系的に考察したのが『破唯物論』(1898年)、『霊魂不滅論』(1899年)などの著作であり、円了は一貫して「霊魂」の永遠性を主張している。
一方、円了以降に展開した近代仏教学の原典研究の成果の一つとして、阿含経典ひいては初期仏教の思想解明がある。中でも無我説は、輪廻や霊魂の否定として理解され、仏教の近代性・合理性を証明する説と位置づけられている。
両者は「仏教の近代化への対応」という共通性を持ちつつ、出した結論の方向性は大きく異なっている。本発表では、その相違点が生じた理由を考察することを目標とし、まず円了の主張した霊魂不滅論の論理構造を検討した。円了は当時の知識人の間で提唱されていた唯物論的な社会進化論や実利主義に対して、それらは仏教・儒教・神道といった宗教思想が伝統的に培ってきた道徳・倫理的な生き方・価値観を損なうものだと批判し、護国愛理の観点から反唯物論や霊魂不滅論を主張している。円了の主張の特色は、物質不滅(質量保存の法則)、勢力恒存(エネルギー保存の法則)、因果相続(万物の因果関係)といった科学的な表現を用いて、仏教の業感縁起説、阿頼耶識縁起説、真如縁起説を援用したとみられる人間観・世界観を論じる点にあり、彼によればこれが真理であることは誰もが理性によって哲学的に考究することができるという。
この円了の思想は、東洋大学第二代学長でもある前田慧雲(1857-1930年)の『霊魂論』(1906年)にも影響を与えているように見受けられる。慧雲は専門である天台思想の立場から円了に一部類似した主張を展開し、霊魂不滅論を擁護する。ただし、慧雲の時代には阿含経典の研究が進められつつあり、原始仏教の立場に立てば、霊魂に相当するような何らかの意識的存在が三世にわたって相続することを認めるのは難しいであろうと判断している。さらに初期仏典研究で有名な友松円諦(1895-1973年)が刊行した『現代人の仏教概論』(1933年)では、阿含経典の無我説とはる無霊魂説であり、現代人にふさわしい合理的な思想であると評価されている。
以上を踏まえ、発表者は円了、慧雲、円諦の霊魂観に関する思想的相違を生み出している要因について、
(1) 扱う仏教思想の範疇:大乗仏教までとするか、原始仏教を重んじるか
(2) 学問的な厳密性の追求
(3) 日常的な実践のしやすさ
にあるのではないかと考察した。その優劣を論じるのは本発表の目的ではないが、この中で円了の主張は、仏教と国益を結びつけることによって生じる思想上の懸念はあるにせよ、仏教に対する総合的な見解を反映した独自性に満ちている。したがって、霊魂不滅論は円了の思想を研究する上で重要な位置を占めているのではないかと思われる。