一般的には多分散なエアロゾルの粒度(粒径)分布を,種々の計測装置を用いて分級,分光等により複数の測定チャネルごとに得られた非負の測定値から推定することをいう。カスケードインパクタ,DMA ,拡散バッテリー,光散乱を利用した計測装置(例えばネフェロメーター,動的光散乱測定器)など,エアロゾル物理量の粒径依存性を用いた間接的な計測機器において不可避な問題である。データ逆変換は出力応答値(結果)から入力値(原因)を推定する逆問題で,科学技術の多くの分野で同様な事例が多数存在する。なお,サンフォトメータ・スカイラジオメーターや衛星リモートセンシングによる観測データを用いた粒度分布やエアロゾル特性の導出などは,エアロゾル・リトリーバルと呼ばれる。前者の地上観測機器では,エアロゾルの波長別光学的厚さからの粒度分布推定などが挙げられる。衛星リモートセンシングでは,エアロゾル特性などのパラメータ群から放射伝達モデル等で導出された衛星観測値に相当するシミュレーション値と実際の観測値との比較からエアロゾル特性を推定するが,一般的なエアロゾル計測器とは異なるため文献を挙げるに留め,詳細には言及しない。なお,地上,航空機,人工衛星などの観測より得られたリモートセンシングデータからエアロゾルと地表面特性をリトリーバルするアルゴリズムとしてGRASP (Generalized Retrieval of Aerosol and Surface Properties)がある。
エアロゾル粒子の粒径(厳密には測定原理に依存した等価径)をx,粒度分布関数をf(x)とすれば,一般に得られたm個の測定データのうちi番目の測定値giは,Fredholmの第1種積分方程式と呼ばれる以下の式で逆問題を定式化できる。
(1)
ここで,dminとdmaxは,それぞれ測定範囲の粒径下限値と上限値,εiは測定誤差,Ki(x)は測定機器の原理に係わる理論モデルや機器較正から求められる既知の非負な応答(核)関数であり,giとKi (x)の情報を用いて何らかの方法で未知のf(x)(非負で正規化条件を満足する)を求めることが,データ逆変換である。低圧アンダーセンサンプラのKi(m=12)を図1に示す。なお,iは段数(カスケードインパクタ)や測定チャネル(DMA)などに対応し,粒径域が広範囲に及ぶ場合にはxの代わりにその対数値log xが用いられる。
式(1)は連続モデルであるが,実際にはxについて粒径範囲を幅Δでn等分し,区間内でf(x)が一定と仮定して離散化された式(2)が一般に用いられる。
(2)
(3)
式(2)は,n次元ベクトルf = (fj) , m次元ベクトルg = (gi)とe = (εi),m×n行列A = (Kij)を用いて
(4)
なる有限次元の線形離散モデルで表される。いま,測定誤差を無視した f の近似値 f~ および f~ と f との差は,Aが特異(singular)でない場合
(5)
(6)
となる(Aが非正方行列の場合,A-1は一般逆行列)。ここで,エアロゾル計測では図1にみられるように各チャネルの応答関数には重複部分(感度交差)が存在し, Aを構成する列ベクトルが部分的に従属(半独立)であることが多い。このため,行列Aが特異に近く逆行列A-1の成分の値が非常に大きくなる。このため,式(6)で測定誤差eのわずかな変化がA-1によって増幅される結果,推定値 が大きく振動し(粒度分布が滑らかな形状を示さない)不安定になるため,式(5)によって粒度分布を求めることが困難になる。また,チャネル数は滑らかな分布を得るために必要な粒径分割数よりも少なく(n > m),測定誤差がゼロであっても式(4)における解(粒度分布)の一意性が保証されない。解の安定性,一意性に加えて存在性の3条件の少なくとも一つが満足されない問題は不適切(ill-posed)と呼ばれる。
粒度分布を推定するためには,こうした逆問題の不適切性を回避する方法が不可欠となり,解に先見情報や制約条件を導入して最も確からしい分布を推定する。①感度交差を無視した方法(例えば,カスケードインパクタの50%カットオフ径を用いたヒストグラム表示),②粒度分布関数を対数正規分布などと仮定しそのパラメータを求める方法,③分布形を仮定しない方法が提案されている。具体的には,②では測定値と推定値の差の二乗和などの目的関数を最小化する最適化手法(例えば最小二乗法),③では,目的関数に解の振動を抑制し滑らかな粒度分布を得るためにペナルティ関数を導入したTikhonovの正則化の方法や特異値分解法など逆問題の直接解法と,初期値を与えた順問題の反復解法として粒度分布の非負性を保持したTwomeyの非線形反復法, Bayes推定などの統計解析に基づく方法(期待値最大化法など)が挙げられる。ただし,先見情報の定量化と求解への導入方法の検討,機器によって応答関数が異なること,各方法ともに一長一短があり普遍的な方法は存在しない。光散乱計測では,機械学習やどのような組み合わせ最適化問題にも適用可能なメタヒューリスティクスなどの新規な方法が適用されている(Świrniak, G. and Mroczka, 2022)。なお,数学的手法や個々の計測器におけるデータ逆変換の詳細については,参考文献を参照されたい。
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(京都大学・東野 達)2022年2月21日 ★