化学輸送モデル(Chemical Transport Model; CTM)とは,大気汚染物質の発生・輸送・化学反応・沈着の諸過程を物理・化学法則に基づいて数学的に解くことで,任意の3次元空間においてその時間変化を記述できる数値モデルである.具体的に数式で記述をすれば,次のように書ける.
ここで,C が大気汚染物質の濃度を,右辺の各項は順に,−∇・F が輸送,E が排出,R が化学反応,D が沈着を表す.
輸送(−∇・F):水平・鉛直方向への輸送(移流および拡散)を表し,一般的には気象モデルの出力結果をインプットデータとして利用する.
排出(E):大気汚染物質が空間的・時間的にどのように排出されているか,排出量インベントリデータなどをもとにインプットデータとして与える.アジア域の人為起源排出量については,Regional Emission inventory in ASia(REAS)(Ohara et al., 2007; Kurokawa et al., 2013; Kurokawa and Ohara, 2020)が利用できる.ほかにも,植生起源,火山起源,バイオマス燃焼起源などの排出量を考慮する必要がある.
化学反応(R):大気汚染物質の化学反応に係る項であり,生成項にも消失項にも成り得る.化学反応に係る温度や湿度などの気象条件は気象モデルの出力結果を利用し,速度定数には室内実験等から得られたデータベースを用いる.その上でガスおよびエアロゾルの時間変化をモデル内部で計算する.
沈着(D):乱流運動や重力沈降による乾性沈着,雲粒として取り込まれたり,雨で除去される湿性沈着の2つの過程からなり,モデル内部で計算する.
化学輸送モデルの利点としては,観測データのみからは把握されにくい任意の時空間における大気汚染物質の挙動を理解する一助となることが挙げられる.さらには,諸過程の影響(例えば,排出量削減による大気汚染物質の濃度変化)を評価できる感度実験が可能であること,そして,地球温暖化研究に代表されるように将来予測にも適用できることなども挙げられる.しかしながら,化学輸送モデルは上述の各項に起因した様々な不確実性を有していることも念頭に置かなければならない(Carmichael et al., 2008).
化学輸送モデルの構成は任意の3次元空間で可能であるが,空間分解能の点から,地球全体を対象とした全球化学輸送モデルと,東アジアなどの領域を対象とした領域化学輸送モデルに大別される.全球化学輸送モデルとしては,
Geos-Chem(https://geos-chem.seas.harvard.edu)
SPRINTARS(http://sprintars.riam.kyushu-u.ac.jp/)
MASINGAR
などが,領域化学輸送モデルとしては,
CAMx(http://www.camx.com/)
WRF-Chem(http://ruc.noaa.gov/wrf/WG11/)
などが挙げられる.一般的には,全球化学輸送モデルの空間解像度は数十〜数百km程度と粗く,領域化学輸送モデルの空間解像度は数〜数十kmとより細かい.領域化学輸送モデルの対象とする領域外からの境界条件には,全球化学輸送モデルのデータを利用することが多い.
化学輸送モデルには気象モデルのデータが必要であり,これをインプットデータとして独立して用いるものをオフラインモデルと呼ぶ.これに対して,気象モデルと化学輸送モデルが結合されているものをオンラインモデルと呼ぶ.オンラインモデルでは,気象場と化学場の相互作用が計算可能である(滝川,2009).化学輸送モデルの和文の参考書としては鵜野ら(2021)を参照されたい.
参考文献
Carmichael, G. R., Sandu, A., Chai, T.,Daescu, D. N., Constantinescu, E. M., Tang, Y.: Predicting air quality:Improvements through advanced methods to integrate models and measurements, J. of Comp. Phys., 227, 3530-3571, 2008.
Ohara, T., Akimoto, H., Kurokawa, J., Horii,N., Yamaji, K., Yan, X., Hayasaka, T.: An Asian emission inventory ofanthropogenic emission sources for the period 1980-2020, Atmos. Chem. Phys., 7, 4419-4444, 2007.
Kurokawa, J., Ohara, T., Morikawa, T.,Hanayama, S., Janssens-Maenhout, G., Fukui, T., Kawashima, K., Akimoto, H.:Emissions of air pollutants and greenhouse gases over Asian regions during2000-2008: Regional Emission inventory in ASia (REAS) version 2, Atmos. Chem. Phys., 13, 11019-11058, 2013.
Kurokawa, J. and Ohara, T.: Long-term historical trends in air pollutant emissions in Asia: Regional Emission inventory in ASia (REAS) version 3, Atmos. Chem. Phys., 20, 12761-12793, 2020.
滝川雅之:オンライン化学輸送モデルについて,ながれ,28(1),29-36, 2009.
鵜野伊津志 [編著],弓本桂也・板橋秀一[共著] 大気環境モデリング,森北出版,320 ページ, 2021.
(電力中央研究所 板橋秀一) 2022年3月25日 ★