酸性雨

Acid rain, Acid deposition

最近マスメディアに登場する機会が少なくなった環境問題の一つに「酸性雨」がある。だがこの問題が解決したわけではない。取り組みは連綿と続けられている。たとえば1970年代の湿性大気汚染に端緒をもつ越境大気汚染・酸性雨長期モニタリング計画(環境省)は、半世紀近くを経たいまも継続中である。2001年に開始された東アジア酸性雨モニタリングネットワーク EANET は、13ケ国の参加のもとに活動中である。1975年以来5年に一度開催されてきた酸性雨国際会議は、コロナ騒動で延期されたが、2023年4月に新潟で開催の予定である。

酸性雨の全体像は複雑である。原因(先駆)物質の排出域と酸性物質の受容域との間には、移流・拡散変質沈着・除去の三つの過程が並行していると考えれば現象を理解しやすい。移流・拡散とは、大気中に排出されたガスや粒子が上層風によって運ばれ、濃度の濃淡が均されていく現象である。変質とは、ガスや粒子がその物理的・化学的な様態を変えていく現象である。沈着・除去とは、ガスや粒子が大気中から地表面に回帰される現象である。雲・雨・霧・雪といった降水要素との相互作用を介する場合を湿性沈着、そうではない場合を乾性沈着とよぶ。

これらの諸過程をへて対流圏最下層でのガスや粒子や降水の濃度と沈着量がきまり、それが環境の許容する閾値を越えたとき、土壌・陸水の酸性化、森林の衰退、構造物の劣化・腐食といった被害は顕在化する。排出域と受容域との間には、しばしば数百 ㎞ あるいはそれ以上の距離のへだたりがある。ヨーロッパや北アメリカでは、長距離越境大気汚染条約の締結をめぐって、ながい国際論争が繰り広げられた。

前世紀おわりに酸性雨が国際問題となったヨーロッパ(欧州監視評価計画EMEP)と北アメリカ(全米酸性降下物調査計画NADP)でその後の経緯をみると、EMEPの降水のpH は1980年代から2000年代の期間に4.6から5.2まで、NADPの降水のpH は同じく4.8から5.2まで回復した。同じ期間に非海塩起源の酸(硫酸イオン+硝酸イオン)の濃度和と、塩基(アンモニウムイオン+カルシウムイオン)の濃度和はともに減少したが、前者の減少には二酸化硫黄と窒素酸化物の排出量の削減が関与したと考えられている。

広域モニタリングの展開が軌道に乗り、新しい排出インベントリーを用いた輸送モデルの解析が進むにつれて、降水の硫酸イオンに対する硝酸イオンの濃度比は,東アジアの生産活動の推移と連動して、複雑に変化していることが明らかになった。東アジアで最大の排出国は中国であり、二酸化硫黄と窒素酸化物の総排出量に占める日本の割合は数%にすぎない。だが日本の降水の「質」には、2010年代になると中国の環境対策の効果が少しずつ見え始めた形跡がある。

環境省によれば、全国26地点における2013年から5年間のpHの加重平均値は4.77であるが、近年やや上昇の傾向にある。過去に日本各地で実施された観測データをみると、生産活動が小さかった時代のpHはおおむね5.6以上であり、これが低下したのは1960年代以降のことであった。日本の降水の特徴は、他域と比べると酸の濃度和が塩基の濃度和より大きいため、中央値は低く分布幅は狭いpHの発現を招いていることである。東アジアにおける原因物質の排出量の推移や、ヨーロッパと北アメリカの事跡などをふまえて総合的に判断すると、将来的にみて日本の降水の酸性度は、緩和の方向に向かう可能性が示唆される。


参考図書など

畠山史郎、酸性雨日本評論社、2003.

藤田慎一、酸性雨から越境大気汚染へ成山堂書店、2012.

環境省、越境大気汚染・酸性雨長期モニタリング報告書(平成25~29年度)、2019.

藤田慎一・三浦和彦・大河内博・速水 洋・松田和秀・櫻井達也、越境大気汚染の物理と化学 2訂版、成山堂書店、2021.


関連サイト

酸性雨に関する基礎的な知識 気象庁

酸性雨対策 環境省

酸性雨について / 一般財団法人 日本環境衛生センター アジア大気汚染研究センター


(藤田 慎一)2016年4月12日、2022年1月17日更新  ★