分子動力学法

molecular dynamics method

・概要

原子・分子やこれらが構成する系の静的・動的な構造,およびその変化の過程など,通常の手段では観測できないような微視的な現象をコンピューターシミュレーションする方法。MD法とも呼ばれる。分子動力学法では,相互作用する分子(または原子)の動きをニュートンの運動方程式を用いて数値的に解く。この相互作用は分子間ポテンシャルと呼ばれ,これを経験的な関数で表して解く手法を古典的分子動力学法,原子配置に応じた電子状態を量子力学的に求め,運動方程式を解く手法を第一原理分子動力学法またはab-initio法と呼ぶ。

・分子間ポテンシャルのモデル

図1のように分子(または原子)間に働く力は、分子間距離が近づくにつれ互いに引き合う力が増大するが,ある距離以下になると急激に斥力(反発力)に転ずる。これをあらわすポテンシャルの分布を分子間ポテンシャルと呼ぶ。

図1 分子間ポテンシャル

図2 分子間力の計算方法

・運動方程式と計算方法

分子動力学法シミュレーションでは,図2のように領域内に分子が分散している場合を想定する。領域内のある分子iに着目すると,その分子は,ポテンシャルの作用域内にある近接分子jから力F(t)を受ける。この力は分子間距離がわかれば一意に求まるので,分子iが周囲の分子jから受ける力の総和から以下の運動方程式が求まる。

ここでmは分子の質量である。

対象領域内のすべての分子について運動方程式を立て,これを離散化して解くことで、微小時間ステップごとに各分子の挙動をシミュレーションできる。

古典的分子動力学法では,分子間ポテンシャルのモデルとして以下に示すレナード・ジョーンズ ポテンシャル が最もよく用いられている。

ここに Φ(r):分子間ポテンシャル,r:分子間距離,ε,σ:フィッティングパラメータであり,通常はn=12,m=6をとる。


・その他の分子間ポテンシャルモデル

溶融塩,酸化物に用いられる剛体イオンモデル,金属結合の原子間相互作用を表す金属ポテンシャルモデル,イオン間の相互作用を表すイオンシェルモデル,完全イオン性2体ポテンシャル,これに共有結合ポテンシャル項を加えた部分イオン性2体ポテンシャルなど,原子の特性に合わせて様々なモデルが提案されている。


第一原理分子動力学法(First-Principles Molecular Dynamics:FPMD)

分子間ポテンシャルに異方性を考慮すべき場合や,化学反応を伴う場合には,経験的ポテンシャルモデルによる現象再現が困難である。このような場合,第一原理分子動力学法(First-Principles Molecular Dynamics:FPMD)が用いられる。特にシリコンSiは異方性の高い元素であり、シリコン化合物などの分子動力学法シミュレーションでは第一原理分子動力学法が必須である。

第一原理分子動力学法では,分子を取り巻く電子の分布から分子間ポテンシャルを求め,各分子の運動方程式を解く。電子分布状態の計算には,密度汎関数法(DFT:density functional theory)やカー・パリネロ法(Car-Parrinello method:CP法)が用いられる。特に後者はバンド計算を大幅に高速化した手法で,多原子系の場合に多く用いられている。

・計算対象領域のモデル化

分子動力学計算では,時間的にはピコ秒(1兆分の1)オーダ,空間的には数十nmの範囲を対象とすることが多い。空間中の気体分子やバルクの固体分子を対象とした計算では,同様な状況が周囲にも存在するものと仮定し,計算対象領域の全周囲を周期境界条件とするモデルが多く用いられる。このとき,粒子数,体積,温度,エネルギー,圧力,化学ポテンシャルのいずれを一定とするかによって計算モデルの方針が違ってくる。

代表的なモデル化の方針として以下のものがある。

*マイクロカノニカルアンサンブル(Micro Canonical Ensemble):粒子数と体積を一定とすることでエネルギー一定が得られる。

*カノニカルアンサンブル(Canonical Ensemble):粒子数,体積,温度を一定とすることで熱平衡を再現する。

*NTP(T-p集合):体積変化を許すことで粒子数,温度,圧力一定を満たす系。相転移等の解析に用いられる。

*グランドカノニカルアンサンブル(Grand Canonical Ensemble):化学ポテンシャル,温度,体積を一定とする最も現実的な平衡条件。相平衡,化学平衡の解析に適用される。

・適用範囲と応用例

温度・圧力変化に伴う相変化,局部変形等に伴う結晶構造の変化,気相中の分子間衝突やクラスター形成,溶液中での分子レベルでの溶解・凝集現象や水分子の作用,表面における分子の吸着・脱離・薄膜成長など,幅広い適用範囲がある。エアロゾルに関連した応用としては,粒子生成初期の分子成長や粒子表面における分子の吸着・脱離等の問題への適用例がある。

参考文献

1) 田中実, 山本良一 「計算物理学と計算化学 - 分子動力学法とモンテカルロ法」, 講談社, 1988.

2) 上田顕 「コンピュータシミュレーション - マクロな系の中の原子運動」, 朝倉書店, 1990.

3) Gale J. D., and Rohl A. L.: The General Utility Lattice Program (GULP), Mol.Simulat. Vol.29, 291–341, 2003.

4) Payne M. C., Teter M. P., Allan D. C., Arias T. A. and Joannopoulos J. D.: Iterative minimization techniques for ab initio total-energy calculations: molecular dynamics and conjugate gradients, Rev. Mod. Phys. Vol.64, No.4, p1045, 1992.

5) Car R. and Parrinello M.: Unified Approach for Molecular Dynamics and Density. Functional Theory, Phys. Rev. Lett, Vol.55, No.22, pp.2471-2474, 1985.

6) Kühne T. D., Krack M., Mohamed F. R. and Parrinello M.: Efficient and Accurate Car-Parrinello-like Approach to Born- Oppenheimer Molecular Dynamics, Phys.Rev. Lett. Vol.98, 066401, 2007.

(芝浦工業大学・諏訪 好英) 2022年8月6日  ★