2021-05

2021年 5月号 東京大会。日本が真に迎え入れるべきものとは

俳人と弟子が細い道で

俳人: 夏草や~ つわものどもが~ 夢のあと~

弟子: お師匠さまの俳句は、何と味わいのある句でしょうか。

俳人: そう言ってくれると、うれしいぞよ。

弟子: お師匠様、今の日本の状況を、俳句でよんでいただけませんか。

俳人: 東京で~ オリンピックと~ パラリンピック~

弟子: うーむ、実にしみじみと趣き深い響きをもつ句ですね‥。三つの単語がそれぞれに

      力強さと躍動感を感じさせ「だからいったい何が言いたかったのか」をよみ手に

      強烈に問いかけたくなる、いい句ですね。

俳人: 賛じてくれてありがとう。

オクサナ・マスターズさん

弟子: お師匠さま、私は今年の夏が楽しみで仕方がありません。

俳人: そうじゃのう。我らも7月22日までには東京にもどらねばなるまい。

弟子: お師匠様は、応援しておられる人がいるのですか?

俳人: 実は、パラリンピックのサイクリング競技に出場するオクサナ・マスターズという女性を、

      私は特殊な思いで応援しておる。

弟子: オクサナ・マスターズさん?

俳人: 彼女は1989年、ウクライナ生まれじゃ‥

弟子: ウクライナ?あのチェルノブイリ原発事故のあった?

俳人: そうじゃ、彼女はあの事故の後の高い放射線の影響を受けて生まれた。

弟子: なんだか、不穏な感じがするお話ですね。

俳人: 彼女は生まれた時から、放射線による先天性欠損という病気だった。

弟子: 先天性欠損?

俳人: 左足が右足より15cm短くて、両手に親指がなく、腎臓の一つ、胃の一部、右腕の筋肉も

      なかった。

弟子: そんな‥。両親は大きなご苦労を‥。

俳人: 彼女の両親は、彼女を見捨てた。

弟子: ‥え?どういうことですか?

俳人: 彼女の親は、産まれた彼女を連れて帰らなかったのじゃ。

弟子: じ、じょうだんでしょ?

俳人: 彼女は、ウクライナの3カ所の孤児院を、7歳まで転々としたのじゃ。

アメリカの女性が

弟子: 孤児‥にされてしまったのですね?

俳人: 彼女が5歳の時、アメリカの女性ゲイ・マスターズさんが写真を見て、自分の養女に

      迎え入れようとしたのじゃ。

弟子: ウクライナの子をアメリカで養女として迎え入れようとした‥のですね?

俳人: そう、国際養子縁組じゃ。

弟子: 難しかったでしょう?

俳人: ああ、困難を極めたよ。成立するまでに2年かかった。でも、ゲイ・マスターズさんは、

      我慢強く双方の国にはたらきかけ、やり遂げた。

弟子: なんと素敵な方なのでしょう。

俳人: そう、私たちではまねできないような度量と行動力じゃ。

弟子: 7歳の子、体に障害のある子を、自分のアメリカの家に招いたのですね。

俳人: ウクライナの孤児院の状況は極めてひどく、オクサナさんは当時、栄養失調でやせ細り、

      風呂にもほとんど入れてもらってなかった。

弟子: もし彼女が、そのままウクライナにいたら‥

俳人: 10歳までは生きられなかっただろうと医師たちは言っているよ。

さらに苦難はつづく

弟子: オクサナさん、ほんとうによかったですね。

俳人: いや、ところが‥

弟子: お師匠さま、そのような接続詞をお使いになると、不安になります。

俳人: オクサナさんは足の痛みがどんどんひどくなり、自分の体重を支えられなくなり、

      やがて足は、完全にだめになってしまった。

弟子: ど、どういうことですか?

俳人: 足を体の一部として残しておけなくなったのじゃ。

弟子: 残しておけない‥ということは‥

俳人: 8歳のときに、左足を膝の上から切断するしかなかった。

弟子: み‥右足だけを残して?

俳人: その右足も、13歳のときに切断しなければならなかった。

弟子: ‥オクサナさんの体の不具合は、すべてはチェルノブイリ原発事故の放射能が

      原因なのですね?

俳人: 医師たちはそう言っている。

弟子: え?認められていないのですか?

俳人: ああ、直接の原因であると、政府によって認められていない。

左足、右足、背中が

弟子: 私ならば、毎日泣き暮れて、すごすだけでしょうね。

俳人: オクサナさんは片足がなくなった時、療養のためにニューヨークからケンタッキーに

      引っ越した。

弟子: 養母のゲイ・マスターズさんは、失意の底にいる小学生に、どんな言葉をかけたので

      しょうか。

俳人: 「素敵なボート、こいでみる?」と、すすめたそうじゃ。

弟子: ‥それで、ボートをこいでみたのですね?

俳人: たちまち「とりこ」になったそうだ。こんなにも自由と湧き上がる力を感じたことはなく、

      生まれて初めて自分の肉体と力強さを意識することができたと後述しておるよ。

弟子: すばらしい‥実に‥すばらしい‥でもその後、右足も失ったのでしょう?

俳人: そうじゃよ。再び半年間の入院生活をしたのじゃが、その間も大好きなボートにのることを

      一生懸命に考えていたというよ。

弟子: 何と前向きな人でしょうか。

俳人: そして2012年のロンドン・パラリンピックでダブルスカル(2人乗りボート)で銅メダルを

      獲得するまでに成長したのじゃ。

弟子: すばらしい!彼女の快進撃の始まりですね。

俳人: いや、ところが‥

弟子: あの、お師匠さま、その接続詞は心臓によくありません。

俳人: 翌年、韓国でおこなわれた世界ボート選手権で、彼女は背中に大けがを負ったのじゃ。

弟子: ど、どうなったのですか?

俳人: 完全にボート競技をあきらめなければならなかったよ。

冬にも活躍

弟子: お師匠さま、こんな不幸なことがありましょうか。天は、彼女からどれだけ奪い取れば

      気が済むのでしょうか。

俳人: いや、彼女のすごいのはここからじゃ。

弟子: え‥彼女、立ち直るのですか?

俳人: 立ち直るなんてなま易しいものではない。彼女はクロスカントリースキーに挑戦、

      2014年のソチ・パラリンピック(冬季大会)で2種目で銀・銅メダルを獲得、その4年後の

      2018年の平昌(ピョンチャン)パラリンピックでは2種目で金メダルを獲得した。

弟子: なんという、なんという、強い心の持ち主なのでしょう。

俳人: さらにじゃ。オクサナさんは2016年からは、できなくなったボート競技にかえて、

      パラ・サイクリングを始めたのじゃ。

弟子: そ・それで?!

俳人: 東京パラリンピックに、パラ・サイクリングで出場する予定じゃ。

弟子: お師匠さま、東京大会(夏季大会)の半年後に北京パラリンピック(冬季大会)が

      あります!スキーにも出場するのであれば、彼女は夏冬両方とも出場するのですね?

俳人: その通りじゃ。「コロナで中止されなければ」オクサナさんに会えるよ。

大切なもの

弟子: コロナを乗り越えて東京オリンピック、パラリンピックを開催することに

      大きな意味があることを、あらためて認識することができました。

俳人: そう、この二つの大会は、我々の国の威信をかけて実施されなければならぬ。

弟子: それにお師匠さま、今回のオリンピックとパラリンピックの開催だけではなく、

      私たち日本人の、世界の人たちと関わる日々のスタンスを、今一度考えてみた方が

      よさそうですね。

俳人: そうじゃのう。大会の成功は大切じゃが、本当に世界の中で手助けを必要としている

      人たちを、大会の1ヶ月だけでなく日本が招き支え、希望を与える役割を担うことが

      大切であると、私は強く思うよ。

弟子: 手助けを必要としている人とは‥

俳人: 国を追われた難民の人たちや、力や恐怖で押さえつけられている人たち、内戦で平和な

      生活に身をおけぬ人たち、貧困で食べるものも、暖をとる毛布も、教育をうける機会も、

      満足にない人たち全てを含むよ。

弟子: 何がなんでも戦いや争いをさけるために、余計なことはしない言わないという、よく

      ありがちな日本人の考え方は‥

俳人: アメリカでオクサナさんを受け入れた養母、ゲイ・マスターズさんは、私たちの大きな

      お手本になると思うのじゃ。自分が進んで引き受けて貢献する、困っている人のために

      ひと肌ぬぐ、そんな姿勢を、私たち日本人はぜひ持つべきだと思うのじゃ。

弟子: そんな生き方ができる人とは‥

俳人: 深い教養と哲学的な思考をもとに、人間とは、社会とは、生きるとは、前に向かって

      希望を持つとは、いかなる事であるかをよく理解し、それに向けて行動をおこすことが

      できる人であろうのう。

弟子: お師匠さま、いまのお気持ちを、俳句によんでいただけますか?

俳人: オクサナさん はつらつ姿は 世界の希望

文責:玉木英明

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