2013-02
文:玉木英明
2013年 2月号 中世ヨーロッパにあった、おもしろい職業。
パリの街角。一人の少女が…
少女:マッチはいかが?マッチはいかが?
紳士:いらないよ!
少女:そんなこと言わずに、マッチを買ってよ!
紳士:なんだか、押し付けがましいな。おい、うでをひっぱるな、いたい、
いたい、こら、赤ずきん!
少女:ちょっと!何をカン違いしてるのよ。私は「マッチ売りの少女」よ。
赤ずきんなんかじゃないわ。だいたい、「頭巾」なんて言葉、今の若い
人たちは使わないわよ。これはね、コートにくっついてるフードなの。
どう見たって、このフードとブーツのコラボレーションは、ベストマッ
チだと思うわ。スタイリッシュでしょ?
紳士:いっぱい、しゃべる奴だなぁ。しかも外来語ばかりで、何を言ってるか
よくわからないよ。私から見れば、「長靴」をはいた「赤ずきん」に
しか見えないけれど。
少女:「ながぐつ」なんてダサい呼び方しないでよ。とても失礼な人ね。
こんなに寒い街角で、一生懸命にマッチを売っているんだから、一つ
くらい買ってくれたらどうなのよ。もう6時間もがんばってるのに、
一つも売れないのよ。
紳士:だから、マッチなんて今は使わないよ。何につかうの?
少女:何…って、タバコを吸うのにつかうでしょ?
紳士:たばこはガンになるから、ぼくは吸わないよ。
少女:じゃ、ランプに火をつけるのに使うでしょ?
紳士:ランプの明かりで生活してる家は、都会では、ほとんどないよ。
少女:食事を作るときに、マキをたくでしょ?
紳士:うーん、最近は、ガスか電気を使うと思うよ。
少女:ろうそくに火をつけるときは使うでしょ?
紳士:ライターの方が、燃えかすがでないから、便利だ。
少女:私のセールス・トークを、ことごとく否定する人ね!気にいらないわ!
マッチ売りのどこが悪いのよ!わたしだって、もっとお金があれば、
ぱーっとお金を使って、おしゃれな「セレブ」をしていたいわよ!
紳士:たいへんな、マッチ売りだなぁ。急に怒り出したよ。つば、飛ばさない
で、しゃべって。
少女:だいたい、マッチが売れないのは、政府が悪いのよ!日銀が大胆な金融
緩和をしないから、ボーイング787のバッテリーが焦げるし、
アルジェリアで善良な日本人が犠牲になるのよ!
紳士:なんか、乱れてるなぁ。それに、だいぶ、うっ積したものがあります
なぁ。つば、飛ばさないでね。
少女:いつの間に…、こんなにマッチが売れなくなってしまったのかしら…。
紳士:時代の流れで、商売として成り立たなくなるものはあるものさ。君の
している「マッチ売り」だけやない。昔のヨーロッパにはあったけど、
今では完全になくなってしまったものは、たくさんあるよ。
少女:どんな商売?
つけボクロ師
紳士:F・クライン=ルブールいう人が、「パリ職業づくし」いう本の中で
「つけボクロ師」とか「発表人」とか、今の私らの目からは、思わず
「なんだろう?」と頭をかしげたくなるような職業を紹介してる。
少女:な、な、何ですって?「ほくろ」って、顔の?
紳士:そうだ。つけぼくろは、もともと歯痛よけの「まじないマーク」だった
のが、やがてファッションとして流行したんだ。庶民や女性、騎士や
聖職者までも、この奇妙な風習をこぞって真似した。「つけぼくろ師」
は、面白いホクロの形を考えて、実際に人の顔につけた人や。現在で
言えばネイルアーティストが一番近いかな。
少女:小さい「いれずみ」みたいなものね。
紳士:そうだね。彼らの考えたつけぼくろの中には、円形ばかりでなく、楕円
形や星形、ハート型、動物の形をしたものまであり、人々はそうした
ほくろを、時に何十箇も顔にひっつけて、意気揚々と街中を歩いてた
らしい。
少女:お金出して、「ホクロ」をつけてもらうなんて、おかしいなぁ。
紳士:その時代には価値があったんだろうね。
発表人、葬式通報人
紳士:「発表人」なんていうおもしろい職業の人もいたんだよ。
少女:わかった!ニュースをふれてまわる人ね?
紳士:ニュースはお金にならない。だから街頭にたって「宣伝」をしたんだ。
少女:商品のコマーシャルをするのね?
紳士:商品だけじゃない。国王から命令が発せられたりした時には、集まった
人たちにトランペットの音楽付きで、命令の内容を伝えたらしい。
少女:新聞はなかったの?
紳士:グーテンベルグの活版印刷の発明は、15世紀まで待たねばならない。
だから、識字率(しきじりつ)も低かった。
少女:何が自立できてないて?
紳士:なんぎなひとだ。「しきじ・りつ」だよ。字が読めない人の割合が
多かった、ということさ。
少女:ゆるしてね。長いことマッチ売りしかしてなくて、学校へ行ってない
のよ。
紳士:何年くらいマッチ売ってるの?
少女:かれこれ230年くらいになるわね。
紳士:…。まあ、ええわ。似たものに「葬式通報人」いうのもいたんだ。
少女:街の真ん中で「だれだれさんが、死にましたよ~」といって叫ぶの?
紳士:そうだよ。最初は通告してただけだったけれど、そのうち、葬儀屋
みたいなこともするようになったらしい。
少女:うーん、今、そんなことを街の中で叫んでたら、変な人と間違われるわ ね。
ランタン持ち、ロウソク芯切り人
紳士:「ランタン持ち」いうのも、いたらしい。
少女:ランタンって、ランプのこと?
紳士:そう、フランス語でファロティエという。泥棒やら殺人がひんぱんに
起こっていたパリを夜歩くのはすごく危険だった。そこで、ランタン
持ちは夜が更けて来ると、「ファロでござい!ファロでござい!」と
大きな声で怒鳴って、ランタンを持って、有料のボディーガードを
したんだ。
少女:女性やお金持ちたちは、雇ったでしょうね?
紳士:そのとおり。舞踏会や宴会の時には、ファロ持ちが、お客を求めて
屋敷の前にたむろしてたらしい。
少女:よけいに危ない集団みたいな気がするけど。
紳士:それから、劇場には必ず「ロウソクの芯きり人」いうのがいた。
少女:はさみで、チョキンと切るだけ?
紳士:そうさ。
少女:…誰でもできるでしょ?
紳士:いや、ついてる火を消さずに芯を切るのは、難しかったらしいよ。
少女:…。
喫湯店、抜歯屋
紳士:「喫湯店(きつゆてん)」いうのもおもしろい店だね。
少女:え?…何?喫茶店(きっさてん)の間違いじゃないの?
紳士:いや、お湯でええのや。ギリシア・ローマ時代には、ワインを飲ませる
店とは別に、湯を飲ませる「喫湯店」が軒を並べてたらしい。
少女:「お湯」なんか、飲みにいくのかしら?
紳士:それが、かなり繁盛してたらしい。この喫湯店に入りびたって、毎日
怠けて過ごしてた者が多かったので、ローマ皇帝ブリキュタス(皇帝
ネロの父)は喫湯店への庶民の出入りを禁止したとも言われてるよ。
少女:ペットボトルで「水」を売ることも、20年くらい前までは、日本では
信じられなかったことだものね。
紳士:それから、「抜歯屋(ばっしや)」いうのもおった。
少女:何か、こぼした時の音みたいやね。
紳士:まぁ、簡単に言ったら、歯医者だね。ただ、営業場所は病院ではなく
縁日の舞台で、連れているのも助手ではなく音楽隊だった。
少女:音楽隊?何のために?
紳士:当時、抜歯は見せ物同然の行為だったそうだ。この抜歯屋には、演劇
出身者が多くて、前職がダンサー、興行師、役者なんて人も珍しく
なかった。中には犯罪者まがいの者もいて、抜歯の最中にすりを働き、
投獄された者もいたそうだよ。
少女:歯を抜かれる人の顔は、そりゃ…おもしろいでしょうね。
マッチ売りは、もう街にいない
少女:私も、マッチ売りなんてもうやめて、他の商売を始めようかしら。
紳士:何を売るつもり?
少女:「金魚売りの少女」は、どうかしら?
紳士:夏の日本ならともかく、冬のパリで、金魚が売れるかなぁ?
少女:「夜鳴きそば売りの少女」は?
紳士:夜鳴きそばを、ヨーロッパの人が理解できるだろうか?
少女:「焼きいも売りの少女」は?
紳士:かわいそうな感じがしないなぁ。
少女:「バナナ叩き売りの少女」はどうかしら?
紳士:ケッコウ毛だらけ、ネコ灰だらけ、ええい、みんなもってけ!