2014-09
文:玉木英明
2014年9月号 漢文。日本の古文で翻訳された中国の古文
盾(たて)と矛(ほこ)。永遠のペアー
盾 : わたしは、たてだ。横になっていても、たてだ。
矛 : …今日は、しょっぱなから、きましたなぁ。ええ自己紹介でしたなぁ。
盾 : ♪たって、たってたって、たってたってなんだもん~♪
矛 : それ、キューティーハニーの歌でっしゃろ?もしかして、あんた、昭和30年代
の生まれでっしゃろ?
盾 : ほっといてんか。あんたこそ、だれや?
矛 : 私は「ほこ」や。ほこ者天国から、やって来た、ほこり高き戦士だ。
盾 : …あんたの自己紹介も、なかなかやね。
矛 : ほこほこほこ…。ほこほこ…。
盾 : な、なんや?
矛 : いや、笑ってますのや。
盾 : …まあ、よろしいわ。ちょっとあんたに言いたいことがありまっせ。
吾が盾の堅きこと、能(よ)く陥(とお)すもの莫(な)きなり。
矛 : おっ!久しぶりに漢文を聞きましたで!私もいきまっせ。
吾が矛の利(と)きこと、物に於いて陥(とお)さざること無きなり。
盾 : …読者の人に、わかるように言わんとあきませんなぁ。
矛 : …そうやね。言い直しましょか。
盾 : 私の「たて」は硬くて、いかなる矛も突き通せませんで。
矛 : 私の「ほこ」は鋭利で、いかなる盾でも止められませんで。
盾 : あのな、絶対に私を突き通すのは無理や!
矛 : なんの、絶対に私を止められるものはありまへんで!
盾 : 何をぬかすか!
矛 : あなたこそ、冗談を言わんといて!
盾 : この、うそつきめ!
矛 : この、ホラ吹き!
盾 : …ふんっ!
矛 : …ふんっ!
盾 : 中国のことわざでは、ここらへんで、この話を聞いてた人が、口をはさむのと
違いましたっけ?
矛 : そうでしたなぁ。私らのいうてることは「つじつまが合わん」いわれて、私ら
が言葉につまるのやったね。
盾 : 紀元前300年ころからからずーっと言葉につまり続けてるわけやなぁ。そろそろ
考え直さないと、あきませんなぁ。
矛 : そやなぁ。私の矛で、あんたの盾をついたらどうなるか、どうでもよろしな
ってきましたわ。
漢文をどう読む?
矛 : 私ら故事成語も、漢文を原文のまま読んでもらえることは、ほとんどなくなって
しもたね。
盾 : よう考えると、漢文は奇妙なものや。漢字だけで書かれた中国の古い文章を、
「レ点」などを駆使して単語の順序を並べ替え、最小限の言葉をおぎなって
無理やり日本の古い文章に再構成して意味を把握するわけや。
矛 : いくら漢文離れが激しいいうても「矛盾」くらいなら原文で読めますやろ?
盾 : ほんまか?ほな、読んでみなはれや。
楚人有鬻楯與矛者。譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。
又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
或曰、以子之矛、陷子之楯何如。其人弗能應也。
矛 : こら、あかん。何が書いてあるか全くわかりませんなぁ。
盾 : でしょ?多くの人は、有名な「矛盾」くらいなら…と思ってまっせ。
矛 : 翻訳しないで、中国語として読んだほうがええのとちがうやろか?
盾 : それも一理あるでぇ。漢文は、もともと中国語や。発音もリズムも無視されて
「日本の漢文」に姿を変えてるのは、不自然といえば不自然や。
矛 : 漢文を、そのまま原文で、しかも当時の発音で読んでこそ、伝わるものもある
やろなぁ。
盾 : 漢文を訳し込む日本語の方も、現代語でない。これが漢文を難しくしてる
原因や。
矛 : わかりやすく、説明してくれまへんか?
盾 : 日本の高校では、まず日本の「古文」を教える。そして、その言葉と文法で
中国の「漢文」を訳すわけや。
毎日漢文を読む人がいる!?
矛 : 漢文を漢文のまま読むことなんて、難しくてできんのやろか?
盾 : いや、実はな、漢文を文字が並んだ順序に一律に音読している人たちが、
日本人にもたくさんいてるのや。
矛 : ほ、ほんまでっか?どこの学生さんたちや?いや、学者さんや?
盾 : 大きな声をだしないな。ほんで、つば飛んでまっせ。
矛 : これが黙っていられよか!おおい、みんな、漢文が起死回生でっせ!
盾 : そやから、大きな声を耳元で出さんといてんか!ほんで、えらいことつばが
飛んでることも忘れたらあかん!
矛 : ほんで、誰ですのや?その「漢文マニア」の人らは?
盾 : ごく普通の人や。実は、その漢文とは「お経」のことなんや。
矛 : …お経?坊さんのとなえてる?
盾 : そうや、お経や。実はお経は、「レ点」も使わずに、漢文の文字を並んだ順序に
一律に音読して仏典を読んでるわけや。
矛 : おばあちゃんが唱えてる、般若心経、あれも漢文?
盾 : そう。ただ、あれは作者が書いた文の「原文」とちがうけどな。
矛 : あのな、さっきから言うてますやろ、わかるように説明してや。
盾 : 般若心経は、もともとサンスクリット語で書かれていた仏典やった。それを、
三蔵法師の玄奘が漢語訳したものなんや。
矛 : …三蔵法師いうたら、あの孫悟空に出てきた…坊さんか?
盾 : なんや、よう知っとるやないか。
矛 : うわぁ~、孫悟空の出てくる「西遊記」いうたら、フィクションと思ってた。
盾 : うん、西遊記自体はフィクションや。そやけど、登場人物の三蔵法師は実在した
人物、玄奘(げんじょう)がもとに描かれてる。
矛 : テレビで見たときは、三蔵法師は女性やったけれど…。
盾 : 舞台やら映画やらになるときは、西遊記の登場人物が、みんな男性になって
しまうから、いうことで、三蔵法師は女性として描かれるようになったのや。
矛 : いつごろ、玄奘は般若心経を翻訳しましたんや?
盾 : 西暦645年~664年に訳されたことがわかってる。
矛 : そうか。般若心経は「翻訳作品」やったわけやね。
盾 : そうやがな、そうやがな、そうやがな。
矛 : ようやく出ましたな、中田ダイマル・ラケットのフレーズ!
盾 : 貝葉いう葉っぱにサンスクリット語で書かれたものを玄奘ら翻訳チームが持ち
帰って、難解な仏教哲学書を驚異的なペースで翻訳していったものなんや。17年
にもわたって自分の足で中国からインドを歩いて回った玄奘のバイタリティーは
「行動する知性」として、いろんな書物で話題にされてる。
漢文を読む。素養を磨く。
矛 : 長いこと私と一緒にいてたあんたが、こんなに物知りとは知りませんでした。
なんやら、あんたのことが、ごっつい好きになってきました。わたしと結婚して
くださいな。
盾 : あかん、あかん。盾と矛が夫婦になるなんて、周囲がそっぽ向いて四面楚歌
(しめんそか)になってしまう。
矛 : あんたの話は、杞憂(きゆう)や。いらん心配や。今まで2000年間、しいたげ
られて臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思いで耐えてた私の、唯一のお願いや。
盾 : ちょっと考え方が杜撰(ずさん)とちがうか?
矛 : いや、行動しなければ成果は得られない、虎穴虎児(こけつこじ)や。
盾 : みんな納得してくれるやろか?どうなるか、まるで見込みが立たん、五里霧中
(ごりむちゅう)やで。
矛 : あんたと私、切磋琢磨(せっさたくま)していこやありませんか。
盾 : いや僕ら二人は、いつまでも相反する者同士、呉越同舟(ごえつどうしゅう)を
続けなあかんのや。
矛 : …よう、わかりました。ほな、完全に離れて暮らす方がよろしおますのか?
盾 : それができんから困ってるのやろ?君と僕は二人でひとつや。
矛 : いっしょにいるのに、夫婦でない。なのに二人でひとつなんて…。それって、
矛盾やないですか?