2016-06
文:玉木英明
2016年 6月号 依存症。アルコールにギャンブル、たばこにネット
依存症(いぞんしょう)? 酒神が?
医者: はい、次のかた、どうぞ!
バッカス: ヒック…わし…の番だな…ヒック…
医者: あなた、酔っていますね。
バッカス: おう、そうかも知れん、チア~ズ!…ヒック。
医者: 困りますね。それに、あなた、裸じゃありませんか。
バッカス: いや、申し訳ない…ヒック!とりあえず着るものが、なかったのだ。
医者: ここは、病院です。病気の人が来るところです。
バッカス: そ、そう、そう。そのとおり!あんた、えらい!
医者: 何を言ってるのですか?怒りますよ!
バッカス: ちょ、ちょっと、待て…ヒック。今日は、診察を受けに来たのだ。
医者: …あなた…どこかで見たことがありますね…お名前をお教えください。
バッカス: わしの名前はバッカス。おりこうなのにバッカスだ。
医者: おもしろい自己紹介ですね…。え?バッカス…って、酒神ディオニソスじゃ…!
バッカス: しっ…!声が高い!ローマでは顔が売れてるから、恥をしのんで日本まで来たのだ。
医者: えらい人が来てくれたなぁ…。あとで、サインもらえますか?
バッカス: そんなもの、いくらでもやる。それより、ちょっと診察してくれぬか?
医者: 神様が…どうなさいました?
アルコール依存症
バッカス: じつは…依存症ではないかと…最近思うのだ。
医者: 何の依存症ですか?
バッカス: 言いにくいが…アルコールだ…。
医者: 酒の神様が、アルコール依存症になってしまったのですか?
バッカス: ああ、そうだ。飲まずにいられない。
医者: わかりました。いくつか質問してもいいですか?
バッカス: ああ、なんなりと、聞いてくれ。
医者: …何年くらいお酒を飲んでいるのですか?
バッカス: 4000年は飲んでいる。パルテノン神殿での宴会(えんかい)は、それはそれは
華やかだったぞ。
医者: えらい人やなぁ。それで、お酒をあけるのは、週に何日くらいですか?
バッカス: お酒の封は、毎日5万本はあけるぞ。
医者: そんなことを聞いてませんよ。お酒を飲まない日はどれくらいあるのかと聞いて
いるのです。
バッカス: 4000年間、飲まなかった日はない。
医者: そらバッカスさん、ちょっと、飲みすぎです。
バッカス: だから、ここに来たのだ。
医者: なるほど。それで、アルコール依存症ではないかと最近思い始めたのはどうして
ですか?
バッカス: 最初は、ただの「酒好き」だと思ってた。ところが、先日WHO(世界保健機構)
のガイドラインを読んでたら、どうも、あてはまることだらけなのだ。
医者: 酒の神様が、そんなものを読むのですね?
バッカス: う~っ気分がわるい。今日も二日酔いだ。
医者: さらに聞かせてください。何をしていても、お酒のことを飲みたいと考えて
しまいますか?
バッカス: 今まで、酒以外のことは考えたことがない。
医者: 1日中、ちびちびとお酒を連続して飲み続けてますか?
バッカス: ああ、「がぶがぶ」とだ。コントロールがきかぬ。
医者: 以前に比べると、たくさん飲まないと酔えなくなっているということはありませんか?
バッカス: ああ、4000年間、酒量はどんどん増えてきた。
医者: ここへ来る前にも、飲んでましたね。
バッカス: ああ、飲んでいたぞ。ただ、今日は、病院に来ようと思ったから50バーレルほどで、
飲むのを止めた。
医者: ごつい量ですね。離脱症状はどうですか?
バッカス: なん…なんだ、それは?
医者: お酒がきれてくると、手がふるえるとか、寝汗をかくとかの症状です。昔は
「禁断症状」とよびました。
バッカス: わしは、美術館の中で1日中立っておるから、寝汗はかかぬ。ただ、最近、トイレが
ちかくなった。
医者: 健康問題や心の問題はおきていませんか?周囲に深刻な影響を与える言動が
出始めたら、要注意です。
バッカス: うむ、美術館のほかの像たちに「おまえ、酒癖がわるい」といわれる。
医者: 残念ながら今の質問のうち3つ当てはまるなら、立派なアルコール依存症です。
バッカス: そうか、やっぱりそうか。
アカンプロサート
医者: アルコール依存症の人の数は増えています。
バッカス: おお、わしだけでは、なかったのだな?
医者: 2013年、厚生労働省が調べたアルコール依存症は109万人でした。10年前の
調査では80万人ほどだったので、明らかに増えてます。
バッカス: 何人くらいが、依存症の治療をうけておるのだ?
医者: 4万人ほどです。
バッカス: ちょっとまて。100万人のアルコール依存症患者のうち、4万人しか治療を受けて
ないのか?
医者: そのとおりです。
バッカス: わしの…わしの依存症を治してほしいのだが…
医者: 自分でお酒をやめられない人とか、他の病気を併発している人とか、家族への
暴力がひどい人は、入院するのが最もよい方法です。
バッカス: 「酒の神が入院」なんて知れたら世間がうるさい。何とか外来治療で治して
くれぬか?
医者: では、抗酒薬をつかいましょう。
バッカス: 何だ?それは?
医者: 世の中には、体質的に全くお酒の飲めない人が5%ほどいます。そういう人の
体質を薬で作り出すのです。
バッカス: ちょっと…それは…。私は酒の神だ。飲めない体質になるのは困る。
医者: 30年ぶりに全くあたらしい薬、アカンプロサートができました。
バッカス: あかん…なんやて?
医者: アカンプロサートです。脳には興奮系の神経と抑制系の神経とがあります。
このうち、興奮系の神経をおさえる働きをする薬が、アカンプロサートです。
バッカス: 悪いが、二日酔いでも分かるように説明してくれ。
医者: お酒を飲むと、「いい気持ち」になるでしょ?それをなくすのです。
バッカス: …えらい薬やなぁ。
たばこも、ギャンブルも、インターネットも
バッカス: アルコール依存症なんて、実に困った。
医者: 実は、依存症があるのは酒だけではありません。たばこも、ギャンブル(賭け
ごと)にも、インターネットにも依存症があるのです。
バッカス: 「病みつき」になってしまうものばかりじゃな?
医者: そうです。例えば、たばこは体に悪いのはみんな知っています。だから最初は
興味本位でちょっと吸ってみるだけなのです。しかし、次第に深みにはまって…
やめられなくなってしまうのです。若い時期の喫煙は胎児に影響が出るし、
人間の寿命そのものも、ぐっと短くしてしまいます。
バッカス: ギャンブルの依存症は…日本では少ないじゃろ?
医者: いいえ、とんでもない、パチンコの依存症はとても多いのです。
バッカス: インターネットなんて…
医者: 中学生、高校生で昼と夜とが逆転している人、朝起きられない人は、ネットで
つながったゲームなどに、脳をむしばまれている場合がほとんどです。
信用も、自分の人生も、家族までも
バッカス: 脳をむしばまれる?
医者: そうです。きちんと自分でコントロールができない人は、「むしばまれて」いる
のです。人生をだいなしにしてしまったり、信用を失ってしまったり、注意して
くれた大切な家族に心ないことばをかけてしまうのは、依存症の顕著な症状です!
バッカス: 耳元で大声でいわないでくれ…二日酔いで頭が痛い。
医者: アルコールをやめるのですか、やめないのですか?
バッカス: さっきも言ったが、他の神たちの手前、「酒神が断酒した」なんてことが知れる
と大騒ぎになる。ちょっと、量を減らすだけで、何とかならぬか?
医者: わかりました。ちゃんと、ご自分でセーブしてくださいね。
バッカス: よし、わかった。では、今日を私の新たな出発の日としよう。アルコールに
依存しない、新たな日だ!
医者: 神様がわかってくれて、うれしいですよ。
バッカス: ようし、ローマに帰って、今からお祝いだ!グラスを用意するように、国中に
伝えよ!乾杯だ!今日は飲み明かすぞ!
医者: …こら、治りませんなぁ。