2015-09
文:玉木英明
2015年 9月号 はんこ。日本の伝統的内容証明法。
黄門(こうもん)様と、蜘蛛(くも)男。
蜘蛛男: ワットア・シェイム!ディダイ・メイク・ア・ミステイク?
黄門様: だれじゃ?ごちゃごちゃ文句を言いながら歩いておるのは?
蜘蛛男: オウ、アンビリーバブル!
黄門様: おお、外国の人じゃな。よし、タマキタイムズでおなじみの自動翻訳機を
使うぞよ。
蜘蛛男: アイ・キャント・アンダースタ… けったいな制度やで!
黄門様: いつも感心するのじゃが、この翻訳機は関西弁に訳すのじゃな?
蜘蛛男: あんた、だれですのや?
黄門様: わしは、黄門(こうもん)じゃ!
蜘蛛男: …こう…もん?
黄門様: そうじゃ、黄門じゃ。高くかざすと、みんな「はは~っ」と、ひれ伏すぞ。
蜘蛛男: こうもん…かざす…。えらいことしますのやね?
黄門様: そういうおぬしも、えらいカッコで歩いておるのぅ。恥ずかしいじゃろ?
蜘蛛男: ほっといてくださいな。私は、蜘蛛男でっせ。しゃしゃしゃっ…と、ビルの間を
とびぬけていく、米国生まれのヒーローや。
黄門様: 江戸川乱歩の「蜘蛛男」じゃな。おぬし、恐ろしい殺人鬼なのか…?
蜘蛛男: この自動翻訳機、ちょっと、訳し方に問題がありまへんか…。
黄門様: まあ、よい。それで、どうして文句を言いながら歩いておったのじゃ?
蜘蛛男: 日本の銀行で、口座をつくろうとしたら、「はんこ」がないからと、断わられ
ましたんや。
黄門様: おぬし、そのスタイルで、銀行に行ったのじゃな?。
蜘蛛男: そうでっせ。それで、「はんこって何ですのや?」いうて銀行で聞いたら、
stamp やら seal やら単語も教えてくれたし、実物も見せてくれました。けど、
何で必要なのか、釈然としませんのや。
黄門様: 私が私であることを証明するには、「はんこ」が必要なのは当然じゃろ?
蜘蛛男:「個人を認証するもの」ならば、「サインで十分」というたら、銀行員が
「何が何でも、はんこ」いうて、ききませんのや。
「はんこ」と「サイン」
黄門様: 日本人にとって、はんこは信用のしるしじゃ。
蜘蛛男: 何ではんこは信用できますのや?
黄門様: あの赤い色や。書類のうえで「どや!」いうて威張っておるのがよい。銀行の
通帳はもちろん、領収証から、土地の登記簿に至るまで、日本の国の中で信用の
必要なものには、絶対、はんこが押してある。
蜘蛛男: …サインでは、あきまへんのか?
黄門様:「このはんこは信用できます」という書類に、サインがあっても、信用できぬが
「このサインは信用できます」という書類に、はんこが押してあったら、信用
できるのじゃ。
蜘蛛男: なんか、ややこしい話になってきましたなぁ。
黄門様: とにかく、はんこが押してあると、ニセモノとちがう「本物」であることを
示すのじゃ。安心のしるしじゃ。
日本人の特別な感覚?
蜘蛛男: 日本人は、はんこに特別な感覚をもってますなぁ。
黄門様: そう、日本人にとって「はんこ」は、視覚的にも信頼感を高めるものじゃ。
蜘蛛男: 吉相印鑑とか、開運印いうのを広告で見ました。あれは何ですのや?
黄門様: 易学とか方位学、姓名学、運命学やら、あらゆる要素をとりいれて、材質にも
気を使ってつくった「ありがたい」はんこが、開運吉相印鑑じゃ。
蜘蛛男: 漢字を使わない名前の人は、画数もなにも、関係ありまへんやないか?
黄門様: 何をいっておるのじゃ?いい「はんこ」は、一級彫刻技能資格を持ってる
印章彫刻士が、時間をかけて彫ったものじゃ。縁起のいいはんこじゃ。心が
こもっておる。鑑定書もついておる。
蜘蛛男: 鑑定書って、なんですのや?
黄門様:「めっちゃええ印相で、由緒正しいはんこ作りの人がつくりましたでぇ」いう
証明書じゃ。
蜘蛛男: なんの証明になりますのや?
黄門様: 鑑定書じゃ!ありがた~い、鑑定書じゃ!
蜘蛛男: 大声でおこらんと、やさしく教えてえな。ほんで、つば、飛んでまっせ。
黄門様: 「はんこ」は特殊なものじゃ。使わなくなったからいうて、ゴミ袋に入れて
捨てられないくらい尊いものじゃ!
蜘蛛男: ???…必要なくなったはんこは、どうしますのや?
黄門様: 京都の下鴨神社へ持って行って、印鑑供養するのじゃよ。あそこに、印鑑の
神様がおる。
印鑑証明?実印?
蜘蛛男: 大学受験の願書や自分の履歴書に押すのは、文房具屋の100円のはんこで十分
でっしゃろ?ということは、正直なところ、誰でもすきなようにはんこぐらい
押せるわけや。よっぽど、サインの方が信用できるやないですか。
黄門様: いやいや、そういう人のために「印鑑証明」があるのじゃ。
蜘蛛男: 市役所に「これは私本人の本当のはんこ、実印です」ということを登録する制度
やね?ただ、誰かが持ち出して、押せることに変わりないでっしゃろ?
黄門様: タンスの引き出しの奥の方に、しっかりしまっといたら、誰かが持ち出すこと
なんか、ない!
蜘蛛男: 引越しするたびに印鑑登録をしなおさなきゃならんでしょ?住所が変わったら、
その引越し先の役場に印鑑を登録し直さなければならない、なんてのも私ら
外国人から見れば、何をしてるのか分かりまへんで。
黄門様: とにかく!このはんこは世界に一つ、私の意思を表す最高のものじゃ!
蜘蛛男: はんこの印影をスキャンして読み取って、書類にのせたり、もう一つはんこを
作ることなんか簡単でっせ。
黄門様: それはサインも、同じことじゃろ?
捨印(すていん)、割印(わりいん)、何のため?
蜘蛛男: もう一つ聞きまっせ。大事な書類に「捨て印」をしますやろ?あれ、どうして
ですのや?
黄門様: あれは、内容に訂正があった時に、「訂正しましたよ」いうことを認めるために
押すのじゃ。
蜘蛛男: ということは、自動車を買ったり、保険に加入したりするときに、
「訂正したところがまだない」のに、販売員が捨て印を押させるのは、
おかしいやないですか?
黄門様: …まあ…あれは、変やといわれれば、変じゃ。でもな、実際には、業者さんが
訂正をスムーズにできるように、契約者に捨て印を押させるのじゃ。
蜘蛛男: ということは、勝手に訂正してもいいと、あらかじめ認めてる契約書やね?
黄門様: まあ、そういうことになる…なぁ。
蜘蛛男: ほーら、やっぱり変や。もう一つ、書類のページの境目に押す割印も、
意味ありますのか?
「認めた、同意したしるし」とは
蜘蛛男: ホンマに信用されてるのなら、世界中どこでも行われてるはずや。そやのに、
実際のところ、はんこの習慣があるのは、台湾と日本くらいでっせ。
黄門様: …韓国は…どうなんじゃ?
蜘蛛男: 1990年代に、国をあげてIT化をすすめましたんや。その時に最初にやったこと、
それが「はんこの廃止」やった。
黄門様: 日本は…日本は、お役所日の丸、はんこがなかったら、誰も認めん!
蜘蛛男: いや、もう日本でも、コンピューターで扱うpdfファイルいうやつには、
電子署名が認められはじめてまっせ。「はんこ」は公式に必要なくなってきて
ますのや。
黄門様: そうなったら、はんこ屋さんが、黙っておらんぞ。全日本印章業協会かて、
絶対、黙っておらんぞよ!
蜘蛛男: 言いにくいけど、印鑑を作ってるのは、今ではほとんど中国でっせ。
黄門様: はんこは、…しっかりとした「証明」にならんということなのか?
蜘蛛男: よう考えてみなはれや。木はもちろん、ガラスやプラスチックでも簡単に
レーザー切削機ではんこを作れる時代や。昔みたいに職人さんが一つ一つ
彫刻刀で彫った時代とは違って、はんこが個人を認証したり、本人の意思を
確認できるものには、ならんということでっせ。
はんこの文化。いいじゃないの。
蜘蛛男: 原子力施設や軍事施設みたいな重要な施設への入場は、角膜とか声紋とかを
確認するハイテク技術が、もう使われ始めてまっせ。
黄門様: 検問所で印鑑を押すのではだめか?
蜘蛛男: 侵入者から、施設を守ることに、全くなってませんでぇ。
黄門様: 日本の「はんこ」は…もう…時代遅れに…なってしまったのか?
蜘蛛男: 泣きないな。そうは言うてませんで。
黄門様: 変だ変だと、おぬし、言ったではないか。
蜘蛛男: ビジネスの現場では、書類の端にちょっとのスペースがあれば「見ました、
承認しました」いうマークをつけられるのが、はんこや。サインだと、
どうしても大きなスペースが必要になる。きれいにはんこが並んでる書類なんか
「みんなが認めた。賛成した」という印がついた、価値の大きな書類でっせ。
黄門様: ということは、日本の「はんこ」はまだまだ活躍できるのじゃな?
蜘蛛男: そう、日本の「良き伝統的風習」いう意味でも残す価値があると、たくさんの
人たちが認めてまっせ。
黄門様: ほんとうじゃな?
蜘蛛男: はい、私が太鼓判をおしまっせ。