2021-02

2021年 2月号 家庭から消えてゆく仏壇。日本人の感覚の変化は

極楽の蓮池のふちで

クモ: お釈迦さま!お釈迦さま!

釈迦: だれか、呼んだか?

クモ: お釈迦さま!私です!

釈迦: どこにいるのじゃ?見えぬぞ。

クモ: ここです!クモです!

釈迦: クモいうたら、あのコロナで重症患者につけるやつやな?

クモ: あんた、それは、エクモやがな。

仏壇が…

釈迦: 極楽で、釈迦とクモが漫才とは、さすがタマキタイムズじゃの。

クモ: そんなことよりお釈迦さま、たいへんです。

釈迦: 声が大きいぞ。あのな、あれは私のせいではない。カンダタが悪いのじゃ。

     あの男が、あんなことを叫ばなければ、糸は切れなかったのに…

クモ: いや、その話ではありません。あの後、糸をつたって下界に行ったのですが…

釈迦: おう、そうか。どうであった?

クモ: それが、民家から仏壇が、どんどんなくなっているのです。

釈迦: 何をばかなことをいっておる。仏壇はなくならぬ。日本の仏教は今も絶好調じゃ。

畳の幅ほどある唐木づくりの仏壇など、車一台分の値段はするぞ。

クモ: その仏壇が、全く売れていないのです。

釈迦: …ほんとうか?

クモ: 仏壇の大安売りが行われています。大幅値引きがあちこちで行われています。

釈迦: 仏壇屋は安泰だ。つぶれるわけがない。

クモ: それは、30年ほど前までのことです。

戦後の仏具需要

クモ: 日本の宗教用具の国内製造出荷額は1990年の1299億円をピークに、

      2016年には442億円、3分の1に減ってしまったのです。

釈迦: わずか25年で?どうして?

クモ: 第二次世界大戦では多くの日本人が死にました。寺も空襲で焼かれました。

釈迦: 知っておるぞ。だから戦後はその戦死者の供養に仏壇がよく売れたのじゃろ?さらに、

高度成長と相まって全国の寺も再建されたではないか。

クモ: そうです。日本のバブル期まで、高額の仏具は飛ぶように売れ、寺を守る檀家も、

競うように寺に寄進(お金をおさめること)をしました。

釈迦: そうじゃろう、そうじゃろう。日本人は信心深い。

クモ: さらに地方の寺院は、東京に「分院」をつくりました。地方から出てきた人たちが、

      故郷に帰らなくてもお参りすることが出来るようにと仏像を新たに置き、

      山門を新調したり客殿をつくったり、仏具業界には空前の需要が集まりました。

釈迦: よいことじゃ。仏教界の発展は、ここ極楽浄土の繁栄につながる。

クモ: ところが…

釈迦: なんじゃ?そんな接続詞を使うと、不安になるではないか。

クモ: バブルが崩壊しました。

釈迦: どういうことじゃ?

クモ: 日本国民は、信仰や供養より自らの生活を優先するようになりました。

釈迦: それでも、お寺は大丈夫じゃろ?

クモ: 地方に住む人数が減り、高齢化によって経済力が下がり、都市部に集中して

     住む子や孫の世代は、仏教から次第にはなれていったのです。

釈迦: それでも葬式と墓は必要じゃろう?坊さんは「ひっぱりだこ」のはずじゃ。

クモ: このところ、世の中は「小さな葬式」が全盛です。坊さんのお経の代わりに

     バイオリンの演奏をバックに「お別れ会」を行う人も増えてきました。さらに墓には

     入らず散骨する(遺骨を粉末にして海にまく)人も出てきました。

釈迦: 日本人の感覚が、戦後75年の間に変わってしまったということか?

クモ: その通りです。

都市化と和室・仏間

釈迦: 一つ聞くぞ。都会の新築分譲マンションには仏間はないのか?

クモ: 皆無です。

釈迦: 一戸建て住宅には仏壇はあるじゃろ?

クモ: 國學院大學の石井研士教授の調査では、戦後間もなく80%あった仏壇の保有率は

     1981年には63%、2009年には48%、さらに減っているそうです。

釈迦: なんと!一戸建てでも仏壇がなくなってきたのか?

クモ: 亡くなった人の位牌(いはい)とそれが入る仏壇よりも、故人の思い出あふれる写真を

      リビングのにぎやかな中に置く割合が増えたそうです。

釈迦: 仏間はどうするつもりじゃ?

クモ: 最近の家は、和室のない家がほとんどです。

釈迦: あのな、仏壇というのは…

クモ: 今は電子レンジの上に置けるくらい小さな箱で「モダン仏壇」と呼ばれるものが主流です。

釈迦: …まるで神棚じゃのう。いくらくらいするのじゃ?

クモ: 数万円も出せば仏具一切買えて、おつりがきます。

釈迦: どうして、そんなに安いのだ?

クモ: 金細工などが施されていないからです。

釈迦: 都市化とともに、信仰とか供養とかの方法が形を変えておるわけじゃな?

クモ: そのとおりです。

明治時代の大きな変化

クモ: 京都の仏具屋などは、御所や多くの寺社を取引先にかかえ、江戸時代まで

      よく栄えていました。

釈迦: 江戸時代まで?

クモ: そうです。ところが、明治維新には、王政復古、祭政一致の国家づくりで

      神仏分離令が布告されました。

釈迦: なんだ?それは?

クモ: 神社と寺を切り分けよという命令です。

釈迦: ほう、切り分けてどうなったのだ?

クモ: 寺と神社の切り分けだけで終わらず、寺が破壊されました。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

     といって仏を廃して釈迦の教えをこわそうとしたのです。

釈迦: えげつないやないか!

クモ: お釈迦さまは、関西のご出身だったのですね?

釈迦: 興奮するとなまるのだ。

クモ: さらに都が東京へ移されることによって、京都は荒廃し始めました。

釈迦: 仏具は…京都の仏具はどうなったのだ?

クモ: 寺から仏具を供出させて、その金属で橋や武器をつくりました。

釈迦: 仏具を溶かして橋を作っただと?なげかわしい!

クモ: 事実、当時の四条大橋は、仏具が溶かされて建造されたそうです。

先進的仏具メーカー、島津製作所

クモ: お釈迦さまは、島津製作所をご存知ですか?

釈迦: おお、ノーベル賞をとった田中耕一さんのいた理化学機器の会社だろ?

クモ: そうです。島津製作所は、実は「島津仏具店」だったのです。

釈迦: なんでまた、仏具屋が理化学機器の会社になったのだ?

クモ: 明治維新の状況、荒廃した京都の状況をみて、当時の島津源三が仏具製造で培った

      鋳物の技術で、理化学機器を開発していったのです。

釈迦: 仏具製造に見切りをつけ、研究に方向転換したのじゃな?

クモ: そうです。1877年、日本初の人間を乗せた気球を飛ばしたのは島津仏具店でした。

釈迦: えらい仏具屋だな。

クモ: はい、今では従業員1万3000人の大企業です。

仏壇・仏具が再び脚光をあびる時

釈迦: 火事になったら、まず位牌をもって…

クモ: そんな人は、もうほとんどいません。

釈迦: 亡くなったひとを粗末に扱うのは、もってのほかじゃ。

クモ: 現代の人も死んだ人を粗末に扱うつもりはありません。ただ、大切なものが

     「位牌」や「仏壇」でなくなってきたのでしょう。

釈迦: 今を「生きている人」「生きていること」の方が大切になってきたということか?

クモ: そのとおりです。

釈迦: なあクモよ、日本人の感覚が戦後75年たって変わってきたことは、だいたいわかった。

      じゃが、釈迦が仏壇をあきらめ、墓をあきらめるわけにはゆかぬ。

クモ: そうですね。

釈迦: 日本の家庭に、でかい仏壇が置かれるようになる時代は、再び来ないのだろうか?

クモ: お釈迦さまにすがらなければならないような大変な災いがあれば、状況は大いに

      変わるでしょうね。

釈迦: 大変な災い…か。

クモ: そうです。そんな状況では、仏教が再び活気づき、亡くなった人を祀り、祖先を思い、

      各家庭にこぞって大きな仏壇が置かれるようになるにちがいありません。

釈迦: たとえば、どのような災いじゃ?

クモ: たとえば、世界中に恐ろしい伝染病が蔓延して、次々と人が死んでいくような…

釈迦: …それは、まさに、今の状態ではないか?

文責:玉木英明

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