2018-02
文責:玉木英明
2018年 2月号 「しごき」は愛情表現? 広い心の視野とは
とうちゃんが…
監督 : おい、飛雄馬(ひゅうま)!
見学者: あ、あの、ぼくは、ただの野球部の見学者ですが…。
監督 : いつも、わしは、見学者を飛雄馬と呼ぶのだ。文句あるか?
見学者: い、いえ、文句はありません…。
監督 : それから、監督の私を「とうちゃん」とよべ!
見学者: は、はい、…とうちゃん。
監督 : よし。おまえに豪速球を教えてやる。
見学者: あ、あの、ぼくは、クラブ活動を見学だけさせていただければ…
監督 : 豪速球では、不足か?
見学者: い、いえ、ありがとうございます…とうちゃん。
監督 : よし、わしの「しごき」はきついぞ!今日は、おまえに大リーグボール養成ギプスを
装着する!
見学者: もしかして、あなたは、1970年ごろ一世を風靡(ふうび)した、あの、ほしいって…
監督 : 何にもほしいなどといっておらん!めざすは巨人、巨人の星じゃ!
見学者: あの、ぼ、ぼくは、ただの見学者、巨人は…
監督 : なんじゃ…と?
見学者: うわっ!巨人、大好きです…とうちゃん。
監督 : よーし、おまえを一流の野球選手にしてやる。わしに続いて復唱するのだ!
「思いこんだら試練の道を、ゆくが男のど根性!」
見学者: 「お、重い大根だ、知らん野道を行く男、どっこいしょ!」
監督 : どう聞いたら、大根の歌になるのだ?
見学者: す、すみません…とうちゃん。
「しごき」は愛情?
監督 : わしの指導の基本は「しごき」じゃ。しごけばしごくほど、人は強くなる!
見学者: 岐阜で野球部員が100mを130本走れと命令されて走ったら倒れて…
監督 : 何と、ひよわな奴じゃ!気合いが足らん!
見学者: 東京のバスケットボール部の高校生が、夏の日中10km走れと言われて意識不明の
重体で…
監督 : スポーツは、根性だ!そんな、弱虫くんではダメだ!練習こそ勝利への近道だ!
見学者: ぼくは、きつい練習は…。
監督 : なまぬるい練習で勝てるわけない!スポーツの「しごき」は、「勝利」を手に入れ
させるための「愛情」だ!
見学者: 音楽の演奏会で、演奏していた生徒が、有名なトランペッターにたたかれたことが
問題になりました。「勝利」とは関係ないと思うのですが。
監督 : 態度の悪い奴は、たたかれても当たり前だのクラッカーだ。
見学者: ギャグが古くて、どこで笑えばいいのか難しいですね、監督。
監督 : 「とうちゃん」だ。
指導者は、魅力の多い人。
見学者: しごきに耐えた人が成功して、それが正しかったとする考え方を「生存者バイアス」と
言います。成功した人が指導者になって、その体験に基づいた次の世代の教育を
行います。だから、この「しごき」の循環は、なかなかなくなりません。
監督 : 運動の指導をしようなんて人は、人間的に魅力のある人ばかりだ。人間味、人間臭さが
あって、熱い人が多い。多少行き過ぎた指導は大目に見てやらねばならん。
見学者: それは、大いに認めます。
監督 : しっかりした指導者は、「みんなが認める人物だ」ということだ。
成功した人の言葉
見学者: ちょっと聞いてもいいですか、監督…いや、とうちゃん。
監督 : …なんなりと、聞け。
見学者: 「しっかりした人」、「みんなが認める人」でない人の言葉は、聞く必要ないので
しょうか?
監督 : どういう意味じゃ?
見学者: たとえば、刑務所から出てきた人たちなどの言うことは、はなから軽んじていいの
ですか?
監督 : …犯罪者だな?
見学者: そうです。そんな人の意見を無視していいのでしょうか。
監督 : そりゃ、無視はいかんが…。
見学者: 薬物中毒だった人の言うことは、どうですか?
監督 : …麻薬か?覚せい剤の中毒者か?
見学者: そうです。そんなものに手を染めた人の意見は聞かなくてもいいのですか?
監督 : そりゃ、立ち直るチャンスは与えてあげなきゃいかん。
見学者: では、話すことがおこないにくい人や、いろんなハンディーキャップを持った人達なら
どうでしょう?うまく考えたり話したりすることができない人達の言うことは耳を
傾ける必要はないのでしょうか?
監督 : …聞かな、あきまへん…やろなぁ。
見学者: とうちゃんは、関西人だったのですね?
監督 : いや、追いつめられると、なまるのだ。
多数をよしとする日本人
見学者: 昔から言われる、日本人の「島国根性」とは、何だと思いますか?
監督 : きまってるだろ、せまいところしか知らなくて、広い視野で考えられないことだ。
見学者: 島に住む日本人は、「みんなでいっしょのこと」を「いっしょのように」できれば
人並みでした。誰もが真ん中と考える基準があって、できればOK、できなきゃダメ
でした。
監督 : いっぺんにようけ、しゃべったな。つばも、いっぱい飛んでおる。
見学者: これからは「人並み」からはずれてしまった人の視点を、私たち日本人がしっかり
理解する心の余裕を持たなければなりません。
監督 : 飛雄馬、なかなか雄弁だな。
見学者: 学校の中で「できる」人と「ふつう」の人と「できない」人がいたとしましょう。
監督 : 勉強か?
見学者: たとえば、組み体操を考えます。
監督 : 運動会でやってるやつじゃな?
見学者: そうです。あの組み体操、「できる」人と「ふつう」の人にとっては、何てこと
ありません。
監督 : まあ、そうじゃろうな。あの組み体操のおかげで、連帯感やら達成感を味わえる。
見学者: それを「できない」側から見たら、どうでしょうか?
監督 : できないのは、努力と工夫、練習が足らぬから…
見学者: たとえば足が不自由な人や、手や指が自由に使えない人にとってみればどうでしょう。
監督 : …運動会は苦痛だろうなぁ。
見学者: 多数ができれば、その多数に視線をあわせて「よし」とすることが、日本には多すぎ
ませんか?
監督 : 飛雄馬、あまり、興奮するな。それから何度も言うが、つばが飛んでおる。
少数の側に立って
監督 : 根性と努力で何とかさせなきゃならん部分と、できなくても、自信を持たせなきゃ
ならん部分とが、おぼろげにわかってきたような気がするぞ。
見学者: もちろん、「努力すること」や「我慢すること」は若者が身につけなければならない
大切なことだと思います。
監督 : うん、うん、やっぱり「しごき」も必要じゃ。
見学者: ただ、指導者が、しごきに耐えた人にかける言葉と同じように耐えられなかった人にも
ねぎらいの言葉をかけ、人格を認め、意見を尊重すべきだと思うのです。
監督 : なるほど。しごきに耐えて得られるものだけが幸福ではない、ということじゃな?
見学者: その通りです。さらに、競い合いで勝った人だけが正義であるというのではなく、
競い合いで負けた人にも大きな拍手と賞賛を与える気持ちの余裕を、私たち日本人
一人一人が持たねばならないと思います。
監督 : わ、わかった。手始めに…わしは、何からはじめようか?
見学者: まず、私たち来年度の入学生は、しごかないで、楽な練習から始めさせてください。